日常にひそむヒロイン+=1

ユーリカ

委員長

「おはよう、守矢くん!目が開いてないよ。もう授業始まるから集中集中!」


 眠気をずるずると引きずって月曜朝の学校にやってきた僕、守矢アオイに、クラス委員長の淀橋カオリは明るく声をかけた。長い黒髪にすらりとしたプロポーションの彼女は、細い銀縁メガネのフレームに色白の手を添えながら僕を覗き込む。


「また夜遅くまでゲームしてたんでしょ。趣味があるのは良いことだけど、何事もほどほどにね!」


 そう言うと、彼女は足早に自席に戻っていく。始業のチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。


「起立!礼!」


 はつらつとした淀橋の号令を聞くと、あぁ今日も一日が始まったという気持ちになる。時報みたいなものだ。淀橋カオリが、午前2時ぐらいをお知らせします…。


 けれども、世間一般の委員長イメージを裏切るような一面を、彼女は持っている。そして、クラスでそのことを知っているのは、きっと僕だけだ。


                  ◇

 

 先週の金曜、前夜遅くまでノリノリでオンラインゲームに興じたせいで1時間目の数学を華麗にスルーした僕は、安心と信頼の淀橋に手をついて懇願した。


「数学のノート、月曜まで借りていい?頼むよ委員長!」


 口元を尖らせて「もう、困ったなあ」と言いながらも、彼女はすんなりノートを貸してくれた。神様仏様淀橋カオリ様。


 家に帰り、淀橋のノートを写していると、手が滑ってノートを床に落としてしまった。拾い上げた僕は、偶然表になったページを思わず覗き込んだ。


「これは…漫画のネームか?淀橋、意外な趣味あったんだな」


 しかし、台詞やキャラ名を辿っていくうちに、それが「一般の」漫画でないことはすぐ明らかになった。


「これ、なんで男同士が濃厚接触してるんだ?それに、「女なんかにお前は渡さない」って…」


 そう。品行方正なクラス委員長、淀橋カオリは、筋金入りの腐女子だったのだ。


                  ◇

 

 昼休み、いつも席で弁当を食べている淀橋を、僕は屋上に誘ってみた。


「えっ?!べ、別にいいけど、なんで?」


「ちょっと話したいことがあるんだ。すぐに済む」


 淀橋は、耳まで赤くなりながら、弁当箱を持って付いてきた。完全に、僕の要件を告白だと勘違いしている。


 屋上につくと、僕は数学のノートを淀橋に渡し、礼を言うとやんわり切り出した。


「淀橋、わざと見たわけじゃないんだけど、そのノート、数学以外にも使ってるみたいだね」


 彼女は、数秒間きょとんとした後、全てを察すると可哀想なぐらい取り乱した。


「こ、こ、これは、違うの!そういうのじゃなくて、ひと時の気の迷いというか、若気の至りというか…その…だから、それは私じゃなくて、もう一人の私が書いたの!」


 二重人格カミングアウトしちゃったよ、委員長。


「別に、それを見たからって皆に言いふらすとか、そういうつもりは無いよ。ただ、趣味があるのは良いことだけど、何事もほどほどにしないと、見られたくないものまで見られるぞ」


 よし、今朝の意趣返し完了。


「ほ、ほんとに、誰にも言わないでね。私、なんでもするから!守矢くんがお望みなら、一日バニーガールの恰好をして、勉強を教えてあげてもいい!」


 ありがとうございます。契約先は御社に決めたいと思います。


「だけど淀橋、たしかに広く知られたくない趣味かもしれないけど、BLなんて最近メジャーなんだから、探せば同好の士はいるんじゃないか?」


「び、びーえるなんて大声で言わないでよ。誰かが聞いてたらどうするの?!」


 漫画みたいなリアクションを続ける淀橋を、このまま眺めているのも一興だろう。だけど、日頃から色々と世話になっている手前、僕も淀橋に何か恩返しがしたかった。


「僕が普段やってるマルチ対戦ゲームでパーティ組んでる人が、有志でBL雑誌を発行してるんだ。淀橋さえよければ、今度その人に紹介しようか?」


 ようやく少し落ち着いてきた淀橋は、「本当?」と切実な目で僕を見てきた。かわいい。


 淀橋が興味を示したので、そのBL雑誌について説明しながら一緒に弁当を食べていると、午後の予鈴が鳴った。僕たちは何事もなかったような顔で、教室に戻った。


                  ◇

 

 数日後、今度は昼休みに淀橋が僕を屋上に誘った。いつも元気で明るい彼女だが、今日は特に目が輝いて見える。屋上へと続く階段を上る彼女の足取りは、あくまで軽かった。


「BLって、やっぱり面白いね!」


 屋上に着いて開口一番、この間まで言うのも憚っていた言葉を爽やかな笑顔で発した彼女は、堰を切ったように語り出した。


「いやー、ほんとありがとう!紹介してくれた守矢くんの友達が、所属してるサークルで一緒にアンソロジー書こうって誘ってくれて、次のコミケに出す作品を準備することになったの。趣味を語り合える同志がいるって、こんなに楽しいんだね!」


「お役に立ててよかったよ。でも、要領の良い淀橋のことだから、もうとっくにサークルに所属してるのかと思ってた」


 淀橋は、恥ずかしそうに目を伏せた。


「自分で言うのもあれだけど、私、いかにも委員長って感じじゃん?趣味を公けにして、私のイメージが壊れたらどうしようって、今思えば下らない心配をしてたんだよ。あぁ、楽しい時間を逃しちゃうところだったなー」


 そして、黒髪をさらりと手で梳きながら、淀橋は銀縁メガネの奥から僕に笑いかけた。


「今度、お礼にバニーガールしてあげる。それとも、守矢くんが主人公のBL作品の方がいいかな?」


「迷う余地あるのか、それ。でもまぁ、僕をモデルに作品を書きたくなっても、「女なんかにお前は渡さない」だけはやめてくれ」


「ふふ、約束はできないよ」


 淀橋はそう言うと、空を見上げた。柔らかな雲が浮かぶ、あさぎ色の空は、どこまでも高く透き通っていた。

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