堅固
白陽が秀鈴に、天雲の件を交渉していた同時刻。
初虧は娘の六華が住まう銀華宮を訪れ、六華と対峙していた。
六華は浅葱鼠色の衣に勝色の裙を合わせ、月白色の披帛を肩から掛けている。衣の袖には金の糸で雷文が刺繍され、六華という名の通り胸の帯と裙には同じく金の糸で雪華文が刺繍されている。
身頃は二十歳過ぎ、猫を彷彿させる吊り目がちな大きな瞳と、二輪に結った漆黒の艶のある髪が目を引く。
先に口を開いたのは初虧である。
「王様の退位の噂は?」
「勿論、存じ上げております」女性にしてはやや低い声で答える。
人一倍、王妃の地位を望んでいる六華のことだ。国王の退位という、自分にとってまたとない話題を知らないはずがない。
恐らく、この機会を逃すまいと狙っているに違いない。
初虧も娘が、国王の退位の噂を知らないはずがないと自負している。寧ろ、知らぬ存ぜぬでは困るのだ。
六華はいづれこの国の王妃となるだろうと、初虧は自負している。また、六華自身も王妃の座を渇望している。王妃になるのなら、どのような機会であれものにする貪欲さが必要だと初虧は思案している。
貪欲に手段を択ばず、時には冷酷に物事を判断し、国をより強固にする人物。それが、正しい王や王妃の姿だと初虧は自負している。
ただ、内廷の主として国王の後ろで微笑んでいるだけのお飾りの王妃など、大国ならまだしもこの国には不要である。王妃に求めているのは、国を強固にする強さと覚悟である。
勝気な人柄と歯に着せぬ物言いで誤解される六華だが、実は父親想いで努力家な娘だということを初虧は知っている。
それ故、恐らく期待に応えてくれるだろうと自負している。
現王妃である彗天は、どうにもいけ好かない。
如何にも、蝶よ花よと溺愛されたと言わんばかりの甘い雰囲気と声音。時に、毒を含んだような物言い。極めつけは、常に大らかで国王の後ろで微笑んでおり、世継ぎを望めぬ現状でも、初虧が見る限り気にしている素振りを見せていない。
そのような彗天の姿を目にする度、癪に障りやはり皓月と彗天を、国王と王妃に据えるべきではなかったと思う。
要するに優しすぎるのだ。皓月も彗天も。
恐らく、皓月が退位を呑めば王座は、六華の夫であり皓月の弟である偃月に向くだろうと思案している。偃月が王に即位すれば、当然王妃は六華である。
勿論、今のままでも待ってさえいれば、即位の機会はいづれやってくる。だが、それでは権力は弱いままである。王妃に即位させるに絶対的な根拠が必要となる。皓月の退位などと言う生温い根拠ではなく、誰もが納得する証拠が。
初虧は娘の顔をじっと見つめ口を開く。
「偃月様は最近、お前に会いにいらっしゃるのか」
「それは、お渡りにという意味でございましょうか」
六華は顔色一つ変えずに問う。
通常このような話は、恥ずかしがるものだが六華はそうでもないらしい。肝の据わった娘だと初虧は思う。
「左様」初虧は短く答える。
六華は思案する素振りをすると、直ぐに頭を振った。
「偃月様はお忙しい方ですから」
衣の袖で口元を隠し、小さく笑い声を漏らす。
笑い事ではない―。
娘のどこか他人事のような態度と物言いに、初虧は彼女を一睨みする。
「六華。お前は王妃の座を望んでいるのであろう?
今のままでは、王妃としては弱い。誰もが、お前を王妃に据えても良いという証拠がいる」
初虧の言葉を聞きながら、六華の中で先程のお渡りの件と話が繋がる。
「子を権力の道具にせよと?」
吊り目がちの眼がさらに鋭くなる。初虧は頭を振った。
「そうではない。
ただ、世継ぎがいればおのずと、即位は現実味を帯びてくる。今の王妃は、子は成せぬからな」
初虧は嗤う。
「要するに、偃月様のお渡りを増やせと」
六華の声音と態度は、あくまでも冷ややかだ。
「お父様。そのようなお話なら直接、偃月様にお話しください。
お渡りの件も、内侍省のに属す内官にお尋ねしては如何です? 管理をしているのは、わたくしではなく内侍省なのですから。
世継ぎは女性ひとりでは出来ぬことぐらい、お父様もご存じでしょう」
淡々と物を言う。
至当な物言いに、初虧は黙り込む。
偃月と六華が夫婦となって今年で四年。
夫婦仲も悪くなく、積極的にとは言い難いがそれでも、偃月が六華の元を訪ねていることは初虧も小耳に挟んでいる。
懐妊する条件は揃っている。にも拘わらず、未だ懐妊の兆しはない。
彗天が世継ぎが望めないと、宮廷にいる皆周知している。それ故か、世継ぎに望まれるのは六華だろうと、皆思っている。
だが、直接それをいう者はいない。周りの過度な期待は、六華の負担になると思っている。
初虧も娘の負担を考え、これまで世継ぎのことは口を挟まず見守って来た。六華は数え二十。偃月は数え十八。どちらもまだ若い。故に、焦らずとも世継ぎに恵まれるだろうと楽観視していた。
だが、皓月が退位するかもしれない現在、焦らずとも…など楽観的なことを言っている余裕はない。
世継ぎに恵まれなければ、王妃に即位したとしても六華の立場は弱いままである。万が一、世継ぎが原因で偃月が側室を迎え、側室が懐妊、更には満月の晩に男児が産まれれば、六華の立場はひっくり返されることになるのではないか。
そのようなことあってはならない。許してはならない。
男児を産めば皆、次の王妃は六華だと納得するに違いない。男児がいる状況で、反対意見が出るとは思いにくい。
六華が王妃に即位すれば、初虧は今よりも宮廷との繋がりは強くなり、宮廷の後ろ盾を得ることになる。
王妃の父、次期王の祖父という立場になれば、国政を牛耳ることは容易ではないか―。
その為には、一刻も早く懐妊し男児を産むことが六華には求められている。
じっと思案していた初虧は再度口を開く。真剣な瞳が、六華を射抜く。
「もう一度聞く、六華は王妃の座を渇望しているのか」
六華はさも当然というように頷く。
「勿論。お父様も、わたくしが王妃になることをお望みでしょう?」
「あぁ。そう願っている。お前が王妃に即位した暁には、我が国はより強固な国に、周易局はより国になくてはならない機関になるであろう」
周易局は月暈国の象徴ともいえる機関。だが、皓月側に付いている臣下や官吏の中には、周易局ありきの国政に対して苦言を呈する者もいる。
月の満ち欠けや星の動きだけで国政を進めるのではなく、国の現状を鑑み国政を進めるべきだと。更に言えば、周易局と国政を切り離すべきだと。
初虧としては、周易局なしにこの国を維持するのは困難だと思案している。周易局が国政を占い、乱世や混乱の予兆が出た場合は早めに策を講じたからこそ、今まで大きな乱世や混乱がなかったのだ。
月には神が宿り、その神は国王だけではなく国をも加護する―。そう思わずにいられない。
「だがその為には、偃月様のご寵愛を得る必要がある。
王妃は内廷の主。だがそれだけではない。世継ぎを残すこと、勿論満月の晩に生れた男児を。
お前が目指すのは、ただの王妃ではない。現王妃のようなただ王の後ろで微笑んでいるだけの、お飾りの王妃とは違う。より貪欲で時に冷酷な、この国を強固にするための王妃を目指すのだ。
お前は人一倍、努力家で聡い娘だと私は自負している。それ故、この期待に応えてくれるだろう」
初虧は六華の瞳を真っ直ぐ見つめ、言い聞かせるように言う。六華は口元を、衣の袖で隠しくすりと笑う。
「お父様がお望みならば、わたくしは仰せのままに動くのみでございます。
必ずや、この国にとってなくてはならない王妃に、なってみせましょう」
物言いは柔らかく慇懃だが、その瞳には決意が宿る。
さすが我が娘だ―。
六華の意志の強い瞳に、初虧はほくそ笑んだ。
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