新月の皇子

辻野桜子

新月

 月の満ち欠けや、星の動き、月食、日食の有無で、国の行く末を占い、占いの結果を政に反映させる、特徴を持つ月暈国げつうんこく


 王都・宵月しょうげつにある宮廷。国王の盈月えいげつは自分の宮である幻雲げんうん宮にて、細々とした雑務をこなしながら、就寝前のひと時を過ごしていた。

 盈月は夜着である、紺藤色の深衣を身に纏っている。


 暮れ五つ半(午後九時頃)。

 雑務に切りが付き、そろそろ就寝を…と思案したその刹那、宮の前がなにやら騒がしい。

夜更けに何事だ―?

 そう案じていると、二重に閉じられた宮の障子が開き、数名の内官がわき目も振らずに、盈月が腰を下ろしている場まで歩みを進める。

 内官らは皆、ただ事ではないと言わんばかりに、血相を変え揖礼を飛ばす。一人が口を開いた。

「王様。王妃様が先程、産気づかれました」

 その言葉を聞いた瞬間、盈月は目を瞠り息を呑む。


 王妃である秀鈴しゅうりんは現在、第二子を身ごもっている。しかし予定日はまだ、半月ほど先のはずだ。

 

 盈月の指摘に、内官は口ごもり苦い顔をする。

「宮廷医の雲霓うんげい様によれば、予定日というのはあくまでも目安なのだそうで……。

 此度のように、半月ほど早く産気づくのは珍しいことではないと。また、王妃様は初産ではございません。故に、お産の進みが早いのでは…と」

「だが、今宵は新月。万が一、生まれてくる子が皇子ならば……」

 盈月は苦しげに言う。

 内官らも、苦い顔をする。


 盈月と内官の言動には、この国の掟が関わっている。

“新月の夜に生まれた皇子は、王座を継げず世間から存在を隠さなくてはならない―”

 月暈国では、王位継承にこのような掟が存在する。


 月には神が宿り、国王は月の神が加護する人物。故により満月に近い日を選んで、生まれてくるのだと、国の民は皆信じている。

 新月の夜に生まれた皇子は、生を受けたその瞬間から、神の加護はないよって王位継承に相応しくないのだと、御伽噺おとぎばなしのような古からの言い伝えが存在している。


 盈月は秀鈴の元に向かおうと、立ち上がる。

「なりません」盈月の行動を見、内官が声を上げる。

「出産は神聖な場。故に、例え王様でも入ることはなりません」

「状況が分かり次第お知らせいたします。ですから、このままお待ちください」

 内官はそう諭すと、踵を返し宮を後にする。


せめて生まれてくるのが皇女ならば……。

 報告を待っている間、そう願わずにはいられなかった。

 眠ってしまおうと、寝台に横になるが目が冴えて眠れず、外に出て空を見上げる。薄雲が広がっているが、幾つもの星を見ることができる。しかし、そこに月の姿はない。

 東の空に鼓星つづみぼしを見ることが出来るこの時期は、空気が澄み冷たい風が吹き、首を竦める。

 内廷は秀鈴のお産のためか、幾人かの女官が秀鈴の宮を出入りを繰り返している。


 再び、内官が「無事出産した」と報告に来たのは、暮れ八つ半(午前三時頃)であった。

 

 結局、ほぼ眠れぬまま報告を待っていた盈月は、寝台の上で身体を起こしている。

「母子ともに異常は見られません」

 寝台の横に跪いた内官の一言で、ひとまず胸を撫で下ろす盈月である。予定日まで半月ほど早く産気づいたことで、秀鈴と子になにかあるのでは…と案じていた。

「して、どちらであった」

 盈月は本題を突きつける。内官は若干間を開け、やがて意を決して口を開く。

「お子は皇子でございます」内官の言葉が、盈月の身と心をえぐっていく。残酷な現実が、目の前に聳え立つ。


 覚悟はしていた。だが実際、目の当たりにすると、このあとどうするのが正解か分かりかねる。

世間から存在を隠すとは、どういうことなのか―。

「王妃に会うことは……?」

 一刻も早く、労い今後のことを話し合わなければならない。

 そう思案し、内官に訪ねるが首を横に振る。

「お会いなるのは、もう二・三日経過した後になさったほうが良いかと存じます。

 今は王妃様も、お産を終えたばかりでお疲れでしょうから」

 内官はそう言うと、立ち上がり揖礼を捧げ宮を後にする。


 盈月が秀鈴の元を訪ねたのは、お産から数日経った後の昼間である。

 盈月は禁色きんしきである、金青こんじょう色の深衣を身に纏っている。

 朝晩は息が白くなるほど冷たくなるが、晴れた昼間は日差しの暖かさを感じられる。


「王妃様はこちらに」側仕えの女官に案内され、盈月は秀鈴の自室に向かう。

 

 秀鈴は寝台の上で、身体を起こしている。

 秀鈴は卯の花色の夜着に身を包み、漆黒の背中まで届く長い髪を流している。

 秀鈴の背後にある、丸窓の障子は閉められている。

 元々白い頬がさらに白く、瞳には何も映っていないかのような伽藍堂である。


 寝台の横には、小さな布団にくるまれた生まれたての皇子が篭の中で、すやすやと寝息を立てている。

「王様……」盈月の姿を認めた秀鈴は、そう呼んだきり顔を歪ませる。

 白い頬に、瞳から溢れた涙がぽろぽろと伝う。

 盈月の姿を認めた安堵か、皇子と呼べぬ子を産み落とした畏怖かどちらとも取れる。


 二人に気を遣ってか、側仕えの女官が音を立てずその場を後にする。


 盈月は寝台の横に腰を下ろし、そっと秀鈴の手を取る。

「秀鈴。此度は、ご苦労であった」

 盈月の静かな労いに、秀鈴は涙を浮かべたまま頭を振る。

「申し訳ございません」

 か細い声で陳謝を述べる。その声音に、秀鈴の自責の念を聞き取り、盈月は胸を痛める。


 本来なら、皇子の誕生はこれ以上ないほどの慶事である。しかし国の掟がある限り、王室も民も、皇子の誕生を寿ことほぐことはない。

 

「そなたが謝ることはない。

 謝らねばならぬのは、余のほうだ。いや、本来なら誰のせいでもないのだろう」

 誰かに責を求めるならば、この国の掟に責があると言えよう。

「王様。皇子を抱いていただけますか」

 気を取り直し、秀鈴が皇子を抱きかかえる。皇子は相変わらず、すやすやと寝息を立てている。

「あぁ」短く返事をすると、秀鈴は皇子をそっと手渡す。

 盈月は秀鈴の助けを借り慣れない手付きで、皇子を抱きかかえる。温かい体温と柔らかな感触、乳飲み子特有の甘い匂いに、思わず笑みが浮かぶ。と同時に、ずっしりとした重みに、これから己が思案していることへの責を問われているようである。


「名を付けねばならぬな……」ひとりでにそんな呟きが漏れる。

「名をですか?」訝し気に問う秀鈴に、盈月は頷いてみせる。

 

 本来ならば、生まれたばかりの赤ん坊に、名を付けるのは当然にこと。しかし此度は、世間から存在を隠す必要があるため、名を付けずとも構わない。

 

「例え、世間から存在を隠さねばならぬとはいえ、二人の子に間違いない。故に、名を付けねばと思うている」

 秀鈴は皇子に視線を移す。

「王様は皇子をどうなさるおつもりですか」

 秀鈴が静かに問う。

「余としては、物心つく前に養子に出すのが一番だと思っている。

 王室とは何の関りのない、一般の民として生きるのが、この子の為になるのではないかと」

 この数日、思案していた案を話す。

「やはり、そうなさるのですね」秀鈴は両手で布団を握り締める。


雲月うんげつ」ふと、か細い声で秀鈴が言う。盈月は「え?」と問い返す。

「この子の名です。雲に月と書いて雲月。

 この子の月は、今は雲に隠れているのやも知れません。雲が切れた暁には、月が顔を出すでしょう。そう願って止まないのです」

 良い名だな、と盈月は思う。

 秀鈴は皇子の顔を覗き込み、「貴方の名は雲月ですよ」と囁く。その表情は、先程までの伽藍堂な表情とは打って変わって、母としての慈愛に満ちた表情であった。

 

 雲月と名付けられた皇子は、盈月の計らいにより、生後三か月で養子に出されることが決まった。

 そして、秀鈴の出産に関わった宮廷医の雲霓をはじめ、女官や内官らには出産を口外するでない、という緘口令が引かれた。

 と同時に、盈月は側仕えの内官に養子先を探すように、と密かに命を下した。皇子を一般の民として、大人になるまで育てるのだ。家柄はともかくとして、口は堅い方が良い。


 雲月が生後1か月を過ぎた頃。内官が、養子先についてひとりの男に焦点を絞ったと、報告しに来ていた。

「その男は、信用できるのか」

 秀鈴の宮にて、彼女と共に報告を聞いた盈月は固い声音で問う。

 年の瀬も迫り、宮では火鉢が置かれ時折、爆跳する音が聞こえてくる。

 幾ら、暖をとっているとはいえ、吐く息は白い。

「名を白陽はくようといい、都の外れで妻と幼い娘と共に生活をしております。裕福な暮らしをしている訳ではありませんが、仲の良い家族だと」

 内官が秀鈴の瞳に映らぬよう、座り込み頭を垂れ言う。

「金子があるのが、幸せとは限らぬもの。

 娘は皇子と歳が近いのでしょうか」

 秀鈴が問う。

「皇子より二ヶ月ほど、先に生まれたのだとか」

 内官の言葉に、秀鈴が鷹揚に頷く。

「ならば、雲月と兄妹のように育つやもしれませんね」

 秀鈴が腕に抱いている、雲月を覗き込み優しい声音で言う。

 秀鈴はそっと、自らの人差し指を雲月の小さな小さな手に触れる。雲月は、小さな手で秀鈴の白い指を握る。


 秀鈴の声音からは、実の息子を生後三ヶ月で養子に出さなければならないことへの、杞憂なとないように思える。

 残された一日一日を、いとおしみ子に全愛情を注いでいく。一辺の後悔などないように。

 盈月の目に映るのは、母としての姿である。


 白陽の人となりを、内官にもう少し探るようにと命を下し、盈月は秀鈴のもとを後にする。

 内廷を内官共に歩いていると、前から菫色の深衣を纏った幼い少年が、女官と内官を連れ歩いてくる。少年は小柄で、ほっそりとした体格である。


 盈月の前で立ち止まると、揖礼をし「父上」と少年が声を掛ける。

 少年は名を晧月こうげつといい、王位継承者であり雲月の兄にあたる。

 晧月は身体が弱く、宮廷内を走り回るより、床についている日のほうが多い。

 故に、年の瀬に出歩いていることは珍しい。

 

 盈月がなにも言わずにいると、

「申し訳ございません。

 晧月様がどうしても、王妃様にお会いしたいと……」

 女官が陳謝を述べる。

 

 皓月かそのように思うのも当然である。

 秀鈴は雲月を出産してから今まで、姿を見せず宮に出入りを許されるのも、盈月と雲霓のみ。数え八つの子どもにとって、自由に母親に会えぬことがどれ程辛いことか。


「母上にはまだ会えぬのですか」変声期前の高い声。

 盈月を見上げる真っ直ぐな瞳に、どう言えば良いか逡巡する。


 皓月は歳の割には聡い子だ。また、同年代の子どもと遊ぶ機会が少ないからか、大人びており詩歌管弦など芸に明るく、雅趣がしゅに富んだ面がある。


 故に、誤魔化しは効かぬだろうと盈月は思案する。

「皓月。母上のことでお前に、話さねばならぬことがある。

 一緒に来てくれぬか」

 盈月は膝を付き、皓月と目線の高さを同じにすると意を決して言う。皓月は二つ返事で、こくりと頷く。


 盈月は皓月を連れ幻雲宮に戻ると、皓月を椅子に座らせ自分も隣に椅子を並べ腰を下ろし話を切り出す。

「公にはされていないが、母上は皇子を出産された」

 皓月は目を瞠り、すぐさま莞爾を浮かべる。


 驚くのも無理はない。

 本来ならば、民に皇子誕生を知らせる、天灯てんとうを飛ばす。しかし此度は、民に知らせぬように細心の注意を払っていた。


「では母上は、産後の肥立ちが悪いのでしょうか」

 皓月が莞爾を解き、視線を下に落とし憂いを帯びた声音で問う。盈月はゆっくり、頭を振る。

「そうではない。母子ともに健康だ。

 だが……。お前も知っているであろう? この国では、新月に生まれた皇子は、世間から存在を隠さねばならぬことを」

「承知しております」打てば響くように答える。

「皇子が生まれたのは、新月の夜であった。

 故に、生まれた皇子は年が明け、梅が咲く頃には宮廷を出、養子として都の外れで民として生活することになる」

 晧月は神妙な顔をして耳を傾ける。

「では弟が宮を出るまで、母上には会えぬのですか」

 縋るような視線を向けられ、盈月の胸が痛む。

「皇子に母上を取られたように思うであろう。

 母上はそなたのことも皇子のことも、大切に思っている。

 しかし、一旦宮廷を出れば恐らく二度と、お互いが会うことは叶わぬ。故に今は、皇子と過ごす時間が必要なのだ」

 晧月は渋々と言ったていで頷く。

 頭では仕方がないと納得していても、胸中ではそうではないのだろう。


「弟の名はなんと言うのでしょう」

「雲月だ。雲に月と書く」

 漢字を思い浮かべているのか、晧月は宙を見上げる。

「良い名ですね」

 晧月は盈月を見上げ微笑む。盈月も視線を合わせ微笑む。


「晧月。

 確かに雲月は宮廷を出、民として生活していかねばならぬ。しかし例え共に暮らせずとも、雲月が皇子として生まれたことには、代わりはない。

 故に口外せずとも良いが、雲月の存在を心に留めてやってくれぬか」

 盈月は晧月の胸に手を置き諭す。

 晧月が大きく頷く。

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