《Ⅰ》とっとと召し上がれでございます、お嬢様

 元はと言えばカレンは、一人悠々と引き籠って趣味の魔法実験に心行くまで打ち込むべく、実家であるミッドシェルジェの所城・ランベルフォード城を出てきた身の上である。


「何回言ったら分かるんだっ!! 一日の茶の時間は10時、15時、18時の三回っ!! その時間になったら自主的に出てきてティータイムの作法のレッスンを受けやがれっ!!」

『イラナイシヤラナイッテ何回モ言ッタジャナイカッ!!』


 それなのにどうしてこんなことになっているのだろう。これならまだランベルフォード城にいた頃の方がマシだったような気がする。


 ああ、ここに来た当初の引き籠りの日々が懐かしい。


「ふざけんなっ!! 俺はテメェをどこに出しても恥ずかしくない立派なクソ女皇に育ててさっさとこんなトコからオサラバすんだよっ!!」

『何ソノ身勝手ッ!!』


 というわけで、今日も朝から研究室に閉じこもっていたカレンは、15時のお茶の襲撃を受けて離宮中を逃げ回っていた。


 10時のお茶の襲撃はこれでもかと積み上げたバリケードによって阻止できたのだが、何とこの執事は何らかの方法でドアごとバリケードを破壊するという暴挙を以って15時のお茶の襲撃をかけてきた。ここまでくると押し売りにも程があるのではないだろうか。そろそろ消費者サービスセンターに相談できるレベルだと思う。


 ──そろそろクーリングオフができる日は近いかも。


 そんなことを思いながらカレンはチラリと後ろを振り返った。


 ツインテールに結った自分の栗色の髪が翻る向こうを、黒い笑みを浮かべた執事が疾走してくる。これだけ走ったのにまだ撒けないとは随分しつこい執事である。自分で言うのも何だが、カレンの体力は淑女の規格から外れているし、伝令兵もはるか後方にぶっちぎる速度で疾走し続けている自覚があるのだが。もしかして何か魔法でも使って身体強化でもしているのだろうか。


「今日は10時の茶ぁも拒否しやがったからな……っ!! 茶ぁも作法もまとめて胃と頭に突っ込んでガボガボ言わせてやるっ!!」

『ヒィッ!!』


 クォードが入れるお茶は存外美味しい。丁寧に淹れられているなぁというのが、公爵家令嬢として舌が肥えたカレンにも分かる味だ。だが胃がガボガボになるまで飲まされたのではたまったもんじゃないし、礼儀作法で頭をガボガボにされたらこの後の魔法研究に支障が出る。


 カレンは研究中に愛用している前はミニ丈、後ろは通常丈のドレスの裾を勢いよく蹴り上げながら尖塔へ繋がる螺旋階段に足をかけた。大人一人がやっとすれ違えるかという細さの階段は急カーブを描きながらひたすら上へ上へと伸びている。


 カレンがスピードを落とさないまま階段に突っ込むとクォードの姿はすぐに見えなくなった。だがクォードが諦めていないことは迫ってくる足音で分かる。


 カレンは走りながら手にしたクッションをモフモフモフと勢いよく叩いた。気が済むまで叩くと後ろを振り返ることなくクッションを放り投げる。さわり心地の良いクッションはもふんもふんと跳ねながら急な階段を転がり落ちていった。


 ──後先考えずにこの階段を選んだわけじゃないんだからっ!!


 カレンは内心だけでニヤリと笑うとパチンッと右手の指を鳴らす。擦り合わさった親指と中指の間から弾けた紫電が一瞬だけ周囲の薄闇を払い……


「のわっ!?」


 次の瞬間、背後でクォードの悲鳴が上がった。


「っっざけんなっ!! なんだこのクッションの雪崩っ!? こんな場所から転がり落ちたら洒落になんねぇ……っ!! ~~~~~~~~~~っ!!」


 ドドドドドドッという音に、クォードの声は呑まれた。最後には声にならなかった悲鳴までもが雪崩の中に消えていく。


 カレンはゆっくり足を止めると階下の音に耳をすませた。雪崩の音が遠ざかっていく以外は、特に何も聞こえない。


 ──やった……!!


 カレンが持つクッションの一番の役割はカレンの第二の顔としてカレンと他人のコミュニケーションを支えることだが、何もそれだけがあのクッションの能ではない。


 カレンが一から開発した魔動クッションには、時と場合に応じられるように様々な魔法円が仕込まれている。使いようによっては立派な武器だ。伊達にカレンだって引き籠って魔法実験に明け暮れているわけではない。


 今日は実験も兼ねて分裂の魔法円を刻んだクッションを携帯していたのだが、どうやら実験は成功したらしい。カレンが叩いた数だけクッションが分裂していて、なおかつ階段で跳ねた衝撃の数だけさらにクッションが増えていれば、クォードがクッション雪崩に巻き込まれた時には相当な数のクッションができていたことになる。


 増殖したクッションがクォードの体を受け止めてくれているだろうから、下手に抵抗していなければクォードは階下で気絶するだけで済んでいるだろう。打ち身やたんこぶくらいはできているかもしれないが、命や業務に関わる傷は負っていない……と一応計算はしている。


 ──いくら邪魔な相手とはいえ、殺しちゃったら後味悪しね。あれでも執事としては有能みたいだし。


 カレンはスッキリした気分を味わいながら残りの階段をゆっくり上っていく。最上階の小部屋まで出れば別ルートの隠し階段で下へ降りることができる。そのまま実験室へ戻って続きに打ち込むことにしよう。


 そんなことを思いながらカレンはルンルンと階段を上っていく。……傍目から見れば無口・無表情・いつも通りの動作で歩くカレンがそんな気分でいることは全くと言っていいほど分からないだろうが。


「………。…………!? ………………!!」


 だが、カレンの想像をはるかに超えて、クォード・押しかけ執事・ザラステアは有能な男だった。


「よぉ、お嬢様。ごゆっくりなご登場でいやがりますねぇ?」


 最上階の小部屋には、なぜかクォードがスタンバイしていた。しかもどうやって運んできたのか、クォードの傍らにはもはや主が椅子に座すのを待つばかりとまでに準備が整ったティーテーブルまで置かれている。


 カレンは思わず退路を求めて後ずさる。だがクォードが抜いた魔銃が階下へ続くドアのドアノブを吹っ飛ばす方がはるかに早い。


 身を裂くような爆音とツンと鼻をつく硝煙の臭いがカレンをその場に縫い止める。


「どうぞ、お嬢様。お茶の準備ができております」


 左手に持った銃の銃口に軽く息を吹きかけて煙を散らした物騒な執事は、にっこりとカレンへ笑いかけた。


 ──殺すつもりでやっても、案外こいつ、大丈夫かもしれない。


 だがそんなことを思っても後の祭り。カレンに残された道は、ひとつしかない。


『……イ、イタダカセテ、イタダキマス………』


 右手と右足を同時に出しながらカレンはティーテーブルに近付いていく。クォードはそんなカレンを迎え入れるように椅子を引いた。カレンがテーブルと椅子の間に立つとクォードは恭しく椅子を押してくれる。


「本日はアミューズにトマトとチーズのカプレーゼ、スープにカボチャポタージュ、ティースタンドには下段より野菜たっぷりサンドイッチ、ミニキッシュ各種、ミニケーキ各種をご用意致しました。紅茶はエダルフィ産のセカンドフラッシュ、スコーンにはバラジャムとマーマレードを添えてありますので、お好きな物でお召し上がりください」


 さらに滔々とうとうとティーテーブルを彩る料理の数々について説明してくれるのだが、元々あまり食に興味がないカレンの脳内には『馬の耳に念仏』という東洋のことわざがいななきを上げながら駆け抜けていくだけである。唯一『エダルフィ産セカンドフラッシュ』という言葉だけには『ほほぅ?』と興味を抱いたが、鼻をひくつかせてみても芳香名高いエダルフィ・セカンドフラッシュの香りはなく、きな臭い硝煙の匂いが鼻につくばかりだった。


「そして次期女皇たるもの、ただ歩くだけでももっと優雅に振る舞わなければなりません。右手と右足が同時に出ることは元より、離宮中を全力疾走しやがるなんてことは、次期女皇以前に淑女として……」

『……セッカクノ、エダルフィ産エダルフィ・二番摘み紅茶セカンドフラッシュナノニ、硝煙ノ臭イシカシナイ……』

「何か言いやがりましたか?」

『イエ……イタダキマス』


 鉄壁の笑顔の裏に殺気を感じ取ったカレンは素直にカップを取ると美しい色を湛えた紅茶を嚥下する。


 ──……あ、美味しい。


 なんだかんだ言いながら喉が渇いていたカレンにはいつになくその紅茶が美味しく感じられた。口に含んだ瞬間フワリと立ち上る馥郁とした香りは、間違いなく『紅茶の女王』と讃えられるエダルフィ・セカンドフラッシュのものである。


 紅茶の名産地として知られるエダルフィでは一番茶ファーストフラッシュ二番茶セカンドフラッシュ三番茶オータムと年に三回茶葉が収穫されるのだが、セカンドフラッシュの茶葉が一番香りが良いとされている。ただ『紅茶の女王』はその名前通り取り扱いも難しく、この美しいとまで言える香りを存分に引き出すには熟練の技術がいると言われていた。エダルフィ・セカンドフラッシュがその名高さに反してお茶会に滅多に姿を現さないのはそのためだ。


 ──『エダルフィ・セカンドフラッシュを客に振る舞えるのは、よほど腕に自信がある証拠』『エダルフィを淹れられる執事は屋敷を売り払ってでも雇え』……だったっけ?


 そんなことを考えていたらグーッとお腹の虫が鳴いた。どうやら一口飲み込んだ紅茶が引き金になって昼食をすっぽかしたことを胃が思い出してしまったらしい。


 カレンはぼんやりと考えを転がしながらティースタンドの一番下に盛り付けられたサンドイッチに手を伸ばす。


 だがその手はスッと差し込まれた手……より正確に言うならばその手に握り込まれたオートマチック拳銃に阻まれた。思わず顔を上げると相変わらず鉄壁の笑顔を刻み込んだ物騒な執事が優雅そのものの仕草でカレンの手を止めている。


 ──動作は優雅でも物品が物騒そのものなんですけどっ!?


「召し上がる際は、ティースタンドの外に置かれた物からお召し上がりください。その後ティースタンドの下段から順番となります。この場合、アミューズ、スープ、それからサンドイッチの順ですね」

『オ腹空イタンダケド……』

「何でも腹に突っ込みゃ多少は満たされんだろ。ゴチャゴチャ言わずに順番に食べやがれ。何回も俺に同じことを言わせんじゃねぇよ」

『毎回言ッテルケド、指導ノタビニ拳銃突キ付ケルノヤメテクレルッ!?』

「俺に同じことを何回も言わせるテメェが悪いんたろうが、あぁんっ!?」


 ──いやでもいくらエダルフィを淹れられる執事(仮)でも、事あるごとに主に拳銃突き付ける人間は問題アリだと思うんだけどもっ!?


 カレンは内心だけで涙目になりながらも、物騒な教育係の監視の下、粛々とお茶会を進めた。給仕兼教育係が物騒であろうとも食事とお茶は文句なく美味しい。それらをこの物騒な執事が指示して用意したことがいっそ憎らしいくらいには。


 ──できればこういう美味しい物は、綺麗な庭と気持ちいい青空が見える場所で、心安らかに食べたい……


 省エネをモットーとし、食事なんてエネルギー切れ寸前までに必要最低限の食べられればそれでいいと考えているカレンが思わずそんな柄にもない現実逃避を思い始めた辺りで、物騒な執事による物騒なお茶会……もといお茶会作法訓練は終わった。ティーテーブルにあった食べ物を綺麗に食べ尽くしたお陰で腹は満たされたが、やれ姿勢が悪いだのサンドイッチはナイフとフォークを使って食べろだのと度々拳銃の先でどつき回されせいで変な風に体が痛い。


「そういえば、フォルカからお前宛の書状を預かっている」


 クォードが出し抜けにそう言ってきたのは、カレンが思わずホッと内心だけに留まらなかった溜め息を吐き出した瞬間だった。

 

「そこにあるだろ、ホレ」


 今度は何をしてくるつもりだと思わず身構えながらクォードを見上げる。対するクォードは軽く顎をしゃくりながら教鞭ならぬ教銃を燕尾服の尻尾の下に隠された腰のホルスターに戻した所だった。


『……フォルカカラ?』

「急ぎの手紙だと、郵便屋からフォルカが直接受け取ったらしい。ちょうどそこに15時の茶の用意をしていた俺が通りかかって、テメェに会うなら渡してくれと託されたんだ」


 突然出てきたメイド長の名前に首を傾げれば、クォードはしれっとそんなことをのたまう。急ぎの手紙を預けられるとは、クォードは着実に使用人達の信頼を得ているらしい。カレンにしてみれば迷惑な存在ではあれども信頼に足る人間ではないのだが。


『急ギダッタラ、スグニ渡スベキダト思ウンダケドモ』

「あぁん? 貴族にとって茶ぁの時間は絶対だ。茶ぁの時間には森羅万象、あらゆる流れが茶に屈服するんだよ」

『何ソノ無茶苦茶理論!?』


 ツッコミを入れつつクォードが示した先を見遣れば、テーブルの隅にひっそりと銀のトレーが置かれていた。一点の曇りもなく磨き上げられたトレーの上には純白の封筒が載せられている。


 形だけしかカレンに仕える気がないクォードは、ペーパーナイフを差し出してくれてもテーブルの反対側に置かれた手紙を取ってはくれない。さり気なく嫌がらせを入れてくるクォードにジットリした視線を向けながら、カレンは仕方なく自前の足で立ち上がり、身を乗り出してトレーを引き寄せた。そんなカレンの横着に今度はクォードが眉をひそめるが、カレンはさっさとクォードを視界から締め出すと手にした手紙に視線を落とす。


 ──誰からだろう?


 純白の封筒の表側に署名らしい署名はなかった。ならば裏かと封筒をひっくり返してみたのだが、そちらにも文字らしき物はない。封蝋に印璽もなく、封筒を見た限り差出人は完全に不明だ。


 ──フォルカが受け取ったなら、害はないと思うんだけど……


 中を開けるしかないかと判断したカレンはクォードから受け取ったペーパーナイフを封蝋の隙間に差し入れる。


 その瞬間、微かな違和感が手元から走り、パシリと何かがスパークした。


「っ!?」


 ──魔力反応っ!?


 その違和感が魔法円に魔力が走った瞬間に起きる魔力反応だと気付いたカレンは、とっさにペーパーナイフごと封筒をテーブルの向こうへ放り投げる。だがペーパーナイフを通してカレンの魔力を吸った魔法円の反応は止まらない。


「!? 仕込まれてやがったかっ!!」


 カレンが椅子ごと跳び退るのを見たクォードが遅れて事態を理解する。立ち位置を下げなかったクォードは流れるような動作で燕尾服の下に吊られた二丁の拳銃を抜いていた。


 ──って二丁も持ってたのっ!?


 そう突っ込みたかったが今はそれどころではない。


 封筒に仕込まれていた魔法円は、今や白い燐光を放ちながら勝手に魔法陣を組み上げていた。恐らく何か魔力に触れた瞬間、起動するように仕込まれていたのだろう。今はただキラキラとスノードームのように燐光を放っているだけだが、ここからどんな攻撃陣が現れるか分からない。


 カレンは魔導クッションを両手で挟み込むように構える。そんなカレンの視界の片隅には油断なく二丁銃を魔法円に向けるクォードがいた。


 ──一応、銃口はそっちに向けてくれるんだ。


 ふと、カレンはそんなことを思う。


 そんなカレンの意識の隙を突いたわけではないだろうが。


「っ!?」


 パヒュンッ、という気の抜けた音とともに、光を放っていた魔法円は弾けて消えた。白煙の中から紙テープと花弁と燐光を散らしながら弾けた魔法円は、最後にハラリと一枚の紙切れを吐き出して完全に掻き消える。


「……」


 いまだに構えを解かないカレンの向こうで、クォードがゆっくりと動き出す。両手に拳銃を握りしめたままソロリ、ソロリと移動したクォードは、警戒心も露わに残された紙切れを拾い上げた。どうやら便箋だったらしい紙片に目を走らせるクォードの顔から、徐々に表情が消えていく。


 そんなクォードの様子から『危険はない』と判断したカレンも、ソロリソロリとクォードの隣に並ぶとクォードの手元を覗き込んだ。封筒と揃いの純白の便箋に見慣れた筆致の文字が躍っているのを見たカレンは、ひとまず心を無にして手紙の内容に目を走らせる。


『カレン、適当な便箋がなかったから、以前使った誕生日カードの余りで失礼する』


 署名も何もないが、筆跡で差出人が伯母にして国主であるルーシェであることは分かったし、図らずもこの一文であの魔法円が何のために仕込まれていたのかも分かった。特に目的はなかったのである。


 ──ドッキリを仕込むのも大概にしてくれないかな……


 魔法大国であるアルマリエでは、簡単な魔法が日々便利に使われている。魔法は魔法円という図式で表わされ、魔力を持つ者が魔法円に力を通せば誰でも魔法円で定義された一定の魔法を発現できるようになっている。高度な魔法円を発動させたり、魔法円なしでの魔法の行使は高位の魔法使いでなければできないが、これくらいの可愛い魔法ならば子供でも発現させられるし、それに必要なアイテムもその辺りの雑貨屋で簡単に手に入れられる。


 ──というか『以前使った誕生日カード』の余りって。伯母様がこんな子供騙しなカードを直接贈るような相手って、誰?


 魔法大国アルマリエの国主には、国祖の流れを引く血筋の中から、その代で最も魔力が強いとされる魔法使いが選ばれる。女性が選ばれれば女皇、男性が選ばれれば皇帝と呼ばれ、当代であるルーシェは歴代国主の中でも最強と呼ばれる女皇だ。こんな子供騙しのカードを使わなくても息をするように上級魔法を使えるだろうし、そもそも国主がそこら辺の雑貨屋で売られていそうなカードを使っている意味も分からない。


『端的に用件を伝えよう。話があるからちょっと王宮までおいで』

「……いや、それ用件の説明になってねぇし、それくらいなら通信用水晶を使やぁ事足りるんじゃねぇか……?」


 一瞬、心の内を読まれたのかと思った。だが驚きとともに顔を上げてもクォードの視線はただただ手紙に向けられている。どうやら図らずもカレンとクォードの思いが一致してしまったらしい。


 ──何かそれも複雑。


 小さく溜め息をついたカレンはティーテーブルまで取って返すと机の端に置かれていた銀鈴を取った。そのまま歩みを止めることなく窓に歩み寄ると、上半身を窓の外に覗かせて手にした銀鈴を目一杯打ち鳴らす。


「行くのか? 万年引きこもりのテメェがこんなにあっさり呼び出しに応じるなんて、意外だな」


 使用人を呼ぶ銀鈴は大きな音を響かせた。カレンが城の中庭から顔をのぞかせていることも相まって、銀鈴の音は城中にこだまする。


 カレンが顔をのぞかせたまま待っていると、案の定間を置かず赤毛のメイドが中庭に姿を見せた。主を探してキョロキョロと周囲を見回しているメイドがフォルカであることを目視で確認したカレンは、フォルカの頭上に落ちないように細心の注意を払って伝言を表示させたクッションを落とす。


『昔、同ジヨウナ メモヲ 無視シタコトガ アッタンダケド』


 バスンッと音を立てて生垣に落下したクッションに気付いたフォルカが、クッションの軌跡をたどるように尖塔にそって視線を上げる。フォルカと目があったと感じたタイミングでカレンが手を振ると、フォルカはにっこりと笑い返してクッションに駆け寄った。


 一連の流れを見届けてから頭を引っ込めたカレンは、スカートの下から新たなクッションを取り出すとクォードの腕に押し付ける。


『ソシタラ 手紙ガ来タ一時間後ニ 離宮ヲ爆破サレテ』


 カレンがクォードの隣から離れた後も、クォードの腕に抱えられたクッションの文字は刻々と変化していく。反射的にカレンのクッションを受け取っていたクォードはそこに流れる文字を妙に表情のない顔で見つめていた。


『ココカラ一番近イ避難先ハ 伯母様ガイル皇宮ダカラッテ 強制的ニ 皇宮ニ 連レテイカレタ』

「……何の冗談だ、それ」


 クォードが顔を上げた時には、すでにカレンは階下へ続く螺旋階段のドアの前まで歩を進めている。


『冗談ダト思ウ?』


 カレンは足を止めないまま大きく最後の一歩を踏み込み、流れるように足を振り上げた。ドアノブが壊れたドアに向かって叩き込まれた淑女の踵は、弾丸が通過する衝撃に耐えたドアを木っ端みじんに吹き飛ばす。


『アノメモハ 緊急召集令状ト同義』


 その暴挙をいつも通りの無表情でやってのけたカレンは、溜め息とともにクォードを振り返った。カレンの内心を律儀に受信し続ける魔動クッションをいまだに抱えているクォードは、紙でも破くかのように簡単に破壊されたドアを見つめてパカリと口を開けている。


 そんな間抜け面をさらすクォードに多少溜飲を下げながら、カレンは素直な内心を表示させた。


『行キタクナイケド 離宮ヲ破壊サレタラ 引キ籠ル場所ガ ナクナル』

「……」

『ソレハ 困ル』


 とりあえずそれだけ伝えれば、クォードは勝手に外出の準備を整えてくれるだろう。


 そう考えたカレンは、伝えるべきことは伝えたと判断してスタスタと階段を下りていく。


 しばらく背後からは何の音も聞こえてこなかった。だが螺旋階段を1階分降りきった頃、他の人より鋭敏なカレンの耳は何か硬い物に足をぶつけたような鈍い音と、声にならない低いうめき声を拾い上げる。


「っっっっっ……………………………っ!!」


 ──もしかして、自分もできるか試した?


 カレンが蹴破ったドアとは反対側には、同じドアがはめられた隠し階段の入口がある。もしかしたらクォードは、自分にもできるかもしれないと思って同じようにドアに革靴の踵を叩き込んでみたのかもしれない。


 ──無駄に分厚いオーク材のドアだから、斧でも持ってこないと無理だと思うけど。


 どうしていきなりそんな無茶なことをし始めたのだろう。こちらのドアはカレンが蹴破ったから開いているし、そもそもあちらのドアに鍵はかかっていない。クォードの腰には拳銃もあるのだから、何も生身でドアに勝負を挑まなくてもいいはずなのだが。


 やはりクォードが考えていることは分からない。


 カレンは内心だけで首を傾げながら螺旋階段を降りていった。

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