【web版】押しかけ執事と無言姫−こんな執事はもういらない−
安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!
《Introduction》初めてお目にかかりやがります、お嬢様
離宮に帰ったら、人がいた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
その人は完璧な動作で一礼するとニコリと笑いかけてくる。
サラリと揺れる漆黒の髪。キラリと光る銀縁のメガネ。ヒラリと揺れる燕尾服のしっぽ。
それを見てカレンは彼が『執事』という職につく人間だと理解する。
──ああ、執事。
と、カレンが納得するはずがない。
『ダレッ!?』
なぜならカレンは執事など雇っていないからだ。
カレンはガクガクフルフル震えながらも腕に抱えていたクッションを全力で投げつけた。魔力を注ぐことで文字を表示する魔動クッションはカレンの心情を映したまま、淑女が投じたとは思えない剛速球で飛んでいく。
「わたくし、クォード・ザラステアと申します。本日付でお嬢様の執事となりました」
だがクォードと名乗る執事はわずかな動作でサラリとカレンの必殺攻撃をかわしてしまった。クッションはそのまま直進し、玄関ホールの彼方へ消えていく。
『雇ッタ覚エハナイッ!!』
──こいつ、できる。
その動きから察したカレンは長く引きずるドレスの後ろ裾からいくつもクッションを取り出すと砲丸投げの選手も真っ青な投球で次々とそれを投じていく。
だが自前の顔はあくまで無表情。そのコントラストのせいで恐ろしさが倍増していることにカレン本人は気付いていない。カレンはあくまで座右の銘である『省エネ』を実行しているだけである。
『執事ノ』
『セールス ハ』
『間ニ合ッテイルノデ』
『オ引キ取クダサイッ!!』
『テカ』
『サッサト引キ取レ』
『コノ不法侵入者ッ!!』
「不法侵入者などではございませんよ」
だが敵はカレンの想定以上に
笑顔をキープしたまま全てのクッションをかわした執事は懐に手を入れると一枚の紙切れを取り出す。ひとまず手を止めて目を眇めて眺めてみると、それは労働契約が締結されたことを示す証明書だった。
「わたくしは
確かにその証明書の末筆には見慣れた伯母の筆跡で伯母の名前が書かれていた。
『伯母』と言えばとても身近に感じるが、カレンの伯母……つまり、カレンの母の姉は、この魔法国家、アルマリエ帝国を治めるアルマリエ帝国第十八代女皇であり、この国の魔法使い達の頂点に立つ魔法使いである。貴族という立場に立ってみても魔法使いという立場に立ってみても、カレンと比べれば月とすっぽんどころかおしりに殻をつけたひよ子と悠々と空を飛ぶ鳳凰ぐらいの差がある。伯母の名前が出てくればカレンに逆らう余地などない。
──いや、でも、いくら伯母様の下命で派遣されてきたんだとしても、いらないものはいらないし、間に合っているものは間に合っているっ!!
『執事ハ間ニ合ッテイマスカラ』
思い直したカレンは再びクッションを取り出すとそこに浮かぶ文字がよく見えるように執事に向かって突き出した。
『執事スキーハ伯母様ダケナノデ、ドウゾ伯母様ノ元ニ』
「……つーか、テメェに拒否権なんざねーんだよ」
行ッテクダサイ、と続けようとした文字は何やら不穏な声に遮られた。
「そもそも誰のせいで俺がこんな労働階級に身を落とされたと思っていやがんだ。あぁん?」
パチクリと目を瞬かせても目の前には先程と同じように執事が優雅に立っていて、玄関ホールに他の人影はない。この離宮に仕える使用人達はそれぞれの仕事に忙しく、たとえお嬢様が帰ってきたとしてもそのことに気付きはしない。
つまり、この玄関ホールにはカレンと執事しかいない。座右の銘、『省エネ』に励むカレンが口を開くことは滅多にないし、顔面表情筋が動くことも稀だ。
消去法で考えると、今喋ったのは目の前で優雅に微笑んでいる押しかけ執事しかいない。この優雅な微笑みからは信じられないことだが。
「俺の完璧にして完全な人生計画を潰しやがった人間が執事の一人や二人雇うことにガタガタ文句言ってんじゃねぇよ。さっさと雇いやがれ」
──……? なんかこの声、聞いたことがあるような……
カレンはもう一度シパシパと目を瞬かせるとじぃーっと執事を観察した。
ここまで完璧な笑顔を保ったままここまで暴言を吐けることにも驚きだが、それ以上にこのデジャヴが気になる。
「この離宮に執事がいねぇってことも、テメェが次期女皇としての教育から逃げ回ってるっつーことも、当代女皇っつーしっかりした筋から調査済みだ。テメェは四の五の言わずこの俺に仕えられてりゃいいんだよ」
カレンの視線に何を思ったのか、執事は今まで浮かべていた白い微笑みを引っ込めるとその代わりにどす黒い笑みを浮かべた。
「まさかテメェ、あんなことしといて俺の顔を見忘れたとかぬかすんじゃねぇだろうな?」
魔王でさえ恐れをなして逃げ出しそうな真っ黒さなのに、下手に容姿が整っているせいかその黒い笑みが妙に様になっている。
その黒さで、デジャヴの元を思い出した。
「……っ!?」
カレンはとっさにドレスの下に隠して帯びた短剣を抜こうと身構える。
だがそれよりも執事が燕尾服のしっぽに隠すように吊るしたホルスターから魔銃を抜く方が早い。
「俺の身元保証人はあのクソ女皇で、俺がお前に仕えるのは女皇の名の下に発された命令だ」
『何ガ悲シクテ魔法議会デ死罪ガ決定サレタ秘密結社ノ人間ヲ執事兼教育係ニナンカニシナクチャイケナイノッ!?』
武力による反抗を諦めたカレンはクォードを睨み付けたまま姿勢を正す。だが口で反抗することはやめなかった。……あくまで自前の口は開いていないし、表情も変わっていないが。
「さぁな? 俺にもジョコーヘーカがお考えのことは分かんねぇよ」
クッションに走る文字を読んだ押しかけ執事は嘲笑にも似た表情をカレンに向けている。だが彼の顔にかかった眼鏡のレンズの向こうにある漆黒の瞳は一切笑みを浮かべていなかった。
「だが俺は女皇との契約により、労働対価が規定額に達するか、テメェが次期女皇を無事に就任するか、どちらかが達成された時点で国外追放処分で済む身の上になった」
クォード・ザラステア。
アルマリエ帝国転覆を謀った大罪人。アルマリエ帝国魔法議会の議場で死罪を言い渡された男。
カレンが彼と対面した場面は過去に二回。
直近では死刑判決が出た魔法議会の議場で。
そして最初に出会ったのはひと月前。
「まさかまた、こうして対面するとはなぁ? あぁん? 次期女皇陛下?」
そう、ひと月前。
次期女皇教育から逃げ出し皇宮の地下でお昼寝中だったカレンをクォードが踏ん付けてしまい、寝起きが恐ろしく悪いカレンがクォードを完膚なきまでに叩きのめしたせいでクォードがアルマリエ転覆計画をおじゃんにしたことが、そもそもの出会いだった。
「テメェがあそこで昼寝さえしていなけりゃ俺の作戦は成功してたんだよっ!! 人の人生
『イヤ、貴方ノ自業自得デショッ!?』
「るっせぇっ!! さっさと俺に仕えられろっ!! ここにサインしやがれっ!!」
『何デ サインナンカ シナキャイケナイノッ!?』
「俺の雇用主はクソ女皇だが仕える相手はテメェだ。だからテメェがそれを承認した証にサインがいるんだよっ!!」
間に魔銃とクッションを挟んでサインをする・しないの押し問答をすること一時間。
『脅迫ダ、コンナノ……ッ!!』
カレンは玄関ホールに正座させられた状態で石床の上に契約書を置き、女皇陛下からの借り物というやけに豪奢な万年筆でサインを入れさせられていた。
『イツカ、絶対、クーリングオフ、シテヤル……ッ!!』
「女皇陛下の命令は絶対なんだろうが」
無表情のまま若干目の際に涙をためたカレンを押しかけ執事は達成感に輝く顔で睥睨するという何とも器用なことをしていた。
カレンは膝の上にクッションを置いたままキッと執事を睨み付ける。あくまで顔面表情筋は無表情を保っているが。
『訴エテヤルッ!!』
「だから、どこに? この国の最高権力者は女皇で、これはその女皇の命令って言ってんだろうが。どこへ訴えても聞き入れられやしねぇよ」
執事はカレンが書き上げた契約書を優雅な動作で取り上げると満足そうに微笑んだ。
そしてその契約書を大切そうに懐に納めるとカレンの眉間に魔銃を突き付けたまま優雅に一礼する。
「それではお嬢様。どうぞよろしくしやがれでございます」
……これがカレン・クリミナ・イエード・ミッドシェルジェとクォード・ザラステアの奇妙な主従関係の始まりだった。
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