廃病院の幽霊と三時間の短い夜
石谷 弘
廃病院の幽霊と三時間の短い夜
「あ、桜」
ジャングルジムの上から花びらと一緒に優の声が降ってきた。公園内の桜は散ってしまったから、どこか別の場所だろうか。
見回していると、隣にいた芽衣があっち、と指をさす。向かいのアパートの桜の木が残った花を散らしているところだった。
「あそこの桜、去年も遅かったんだよね」
ここ数年、真冬に大小二つの太陽の間を通るようになったから、冬でも手袋やマフラーがいらないくらいに暖かかった。
夜もなくなってずっと明るかったから、桜も二月頃からだらだらと咲いては散っていった。四月の半ばになって舞い落ちてきたこの花びらは今年最後の桜かもしれない。
「あ、暗い昼になった。けーちゃん、暗い昼って何が出るんだっけ?」
ゲーム機とにらめっこしたままの優の声が降ってくる。
優は二つ下の四年生だけど、僕らよりも習い事が多いから、同じゲームをやっていても少しだけ進みが遅い。
その分、俺や芽衣にポイントを聞いて進めるから、謎解きやレアキャラ集めに時間をかけないで追いついてくる。
「そこ『崩れた塔』があるだろ。確かアズキートギとスネココスリが出たはず」
小さい太陽だけが出ている「暗い昼」はゴーストタイプが出てくる時間帯。雨の日の「明るい昼」みたいな暗さだから、夜ほどじゃないけど、物陰や廃墟から飛び出してくる。
自分の画面に戻ると、対戦中の芽衣のキャラが予想外の攻撃をしてきていた。
「あー! それは聞いてない」
「はーい。わたしの勝ちー」
こっちを向いて、にぃと笑ってみせる。先週まで五分だったのに、今週は四連敗だ。
さすがに悔しい。
「暗くなってきたし、続きは俺んちでする?」
週末だし昼間一度寝たから、三時間ほどの夜の間も家に入って、まだまだ遊ぶ。
芽衣もそうしよっか、と言いかけたところで、ふと公園の入り口に目をやった。
「あれ、立花君じゃない?」
夕日で少し見えにくいけど、芽衣の指の先を歩いていくのは、六年になって初めて俺や芽衣と同じクラスになった立花昂太だ。
背負っている細長くて黒いカバンの肩紐を両手で大事そうに握っている。
「塾かな?」
優の声に芽衣は首をひねる。
「塾ってカバンじゃないよねえ。ノートとか入りそうにないし。それに塾って学校終わってすぐか、始まる前かのどっちかでしょう?」
ケータイの画面ではいつの間にか日付が変わって一時になろうとしている。
「俺、あいつのことちょっと苦手」
「そうなの?」
意外そうに芽衣がこっちを向いた。
「いいやつだってことは分かるんだけどさ。ただ、遊びに誘っても絶対来ないから」
「そういう割によく遊んでるじゃない」
芽衣も一緒に遊んでいるからその辺はよく知っている。でも、そうじゃないんだ。
「あいつ、昼休憩と放課後は絶対来ないんだよ。ずっとスマホ見てるし、すぐ帰るし」
「よく見てるんだ」
「茶化すなよ」
ちょっと怒ってみせれば、わー怖いと更に茶化された。
「でも、本当何やってるんだろうね。女子の間でも噂になってるし」
そういやさ、と芽衣がいたずらっぽく笑う。
「知ってる? 立花君の噂」
いや。と首を振る。芽衣の口がニヤリとゆがんだ。
「コレらしいよ」
そう言って、両手を顔の前に持ってきて手首から先をだらんとさせる。
「は?」
「いや、だからね、幽霊だって噂があるの」
芽衣の口調が強くなった。
あ、まずい。思わず出たあきれ声が強過ぎた。次変なこと言ったら怒り出しそう。
少し言葉を選んで聞き返す。
「なんでまた、そんなことになってんの?」
「去年同じ組だった子達がね、両三日月の夜に丘の上の廃病院に一人で入っていくところを見たんだって。しかも二回も」
ふう。とりあえず、芽衣は機嫌よくいてくれたみたい。にしても、そんな所で一体何をしていたんだろ。まさか、本当に?
そんなことを考えていると、また頭の上から優の声が降ってくる。
「今歩いて行ったのも廃病院の方じゃない?」
見上げると「それに」と空を指差す。
「今日って両三日月だし」
夕暮れが近づき黄色みを帯びた空に浮かぶ月は、両三日月というには少し頼りない細い光を左右両方から放っていた。
思わず芽衣と顔を見合わせる。ゲームも楽しいけれど、クラスメイトの幽霊疑惑を解き明かしに行くのはもっとおもしろそうだ。
「追いかけてみよっか」
「そうこなくっちゃ」
「え? 待って。僕はそんなつもりじゃ」
優がまごまごしている間に俺と芽衣は通信を切り、ゲーム機をカバンに放り込むと、公園の出口へと歩き出した。
「ほら、さっさと降りてこないと優だけ置いて行くぞ」
「ま、待ってよ。今、色違い出てるから、あと十秒だけ」
「いーち、にーい……」
十数えるまできっちりゲームを触り続け、半べそをかきながらジャングルジムから降りてきた時にはもう、昂太どころか芽衣の姿も見えなくなっていた。
「しゃあない」
スマホを取り出し、芽衣にかける。どうやら、もう居住区の端まで行っているらしい。二人共追いついた時には息が切れていた。
「あそこ」
盛り土でかさ増しされた居住区から一度下り、丘の上までだらだらと続く昔の道を上っていく昂太の姿が小さく見えた。
「本当に向かってるんだ」
「どうする? 居住区の外だけど」
小学生だけで居住区の外へ行ってはいけない。それは学校でいつも言われること。
五十年以上前にあったという「小さな太陽創造プロジェクト」。
各国の宇宙開発が激化する中、検討の不十分なまま作られた小さな太陽は世界中の氷を融かして都市を飲み込んだ。
海辺では巨大化した台風が、乾燥地では高温で増えた山火事が残った建物や田畑をダメにして、あっという間に世界を崩壊させた。
ゆっくりと世界は復興したけれど、今でも居住区の外には当時の街がそのまま廃墟として残っている。壊れた建物や電柱がいつ崩れるか分からないから、危険なんだそう。
けど、実際のところ六年にもなって真面目に守っているやつはいない。
居住区の外にも行きたい店はあるし、塾や河川敷の野球場だってある。危ない所はさけるけど、外に出ないと何もできない。
「じゃあ、まだ大丈夫だな」
「やっぱり行くんだ」
芽衣と優の親がまだしばらく帰らないことを確認すると優が不安そうに見上げてきた。
「ここまで来て止められないっしょ」
「ええ、本当に幽霊だったりしないよね?」
「じゃあ、ゆうはもう帰る?」
小さい子のようにぐずるのを必死でこらえ、芽衣の手を握って歩き出す。
こうして見ると姉弟みたいだ。思わず笑うと「何よ」と芽衣がにらんできた。
「なんでも」
これ以上笑って優が恥ずかしがり出しても可哀想なので話を変える。
「あのカバン、結局何が入ってるんだろうな。本やノートは入らなさそうだけど」
「釣り竿とか?」
これは芽衣の案。でも、違うと思う。
「この上ってそういう池はないんだよな。がま池は道違うし」
「ふうん」おもしろくなさそうに頷いた。
切れて地面に垂れ下がった電線を回り込む。放置されて異様に大きくなった生垣の奥にはお城みたいなベランダの家が切れかけの街灯に照らされている。
ガラスの無い張り出し窓から一斉にコウモリが飛び出してきたので、優がしゃがみ込んで悲鳴を上げた。
「びっくりしたー。ほら、ゆう、行くよ。じゃあ、圭は何だと思う?」
「あの棒、カメラの三脚っぽい気がする。廃病院からなら町全体が見渡せるから、いい写真が撮れるのかも」
うーん、と芽衣は少し唸ってから、
「それなら写真家だって話が出てきそうだけど。ゆうは何かないの?」
「ひしゃく、とか?」
「どういうこと?」
「あれだろ、船幽霊の。水をくんで船をしずめちゃうぞーってやつ」
「やだ、それ完全に立花君が幽霊じゃない」
そんなことを言っている内に廃病院が見えてくる。ちょうど、前を歩く昂太が病院の敷地へと入っていくところだった。
「やっぱり、入っていっちゃったね」
優の声が少し震えている。
「お化け、出ないよね?」
薄暗い中、間近で見る廃病院は思った以上に不気味だった。黒ずんだ壁はヒビだらけだし、ほとんどのガラスを失った窓がこの病院は死んでいるんだって強く訴えてくる。
「出るかも」
芽衣が人の悪い笑顔で更に怖がらせる。
「大きい太陽が出てる時間だったら、もう少しマシだったんだけどな」
「行こう。中で見失ったら余計怖い思いをするよ」
芽衣が促すけれど、すっかり怖がってしまった優は足がすくんでしまって動かない。空いている方の指先をおでこに当てると、ことさらに笑ってみせた。
「へーき、へーき。暗くなる前に戻って来たら大丈夫だって」
「めーちゃん、痛いよ」
優の手を引く動きが少し大袈裟でぎこちない。芽衣は芽衣でやっぱり怖いんだろう。ここは俺がしっかりしないと、と先頭に立って足を踏み入れた時だった。
「わっ!」
「うわああ」
思わず飛び跳ねてしまったのが恥ずかしくて後ろを見ると、全力で逃げ出そうともがく優の手をがっちりと握りしめたまま、芽衣がくの字になって吹き出したところだった。
「気づいてたんだ」
「あれだけ賑やかについてこられたらね」
おかしそうに涙を拭う芽衣に昂太が肩をすくめて見せた。
「屋上まで行くんだけど、来る?」
「もちろん」
鉛筆みたいに小さな懐中電灯を持った昂太を先頭に、夕日で赤黒く照らされた廃病院の中を四つの足音が進んで行く。
階段の滑り止めのゴムが抜け落ちたレールはネジが緩んでいるらしく、優が思わず身を縮こまらせてしまうほど派手な音を立てた。
「誰も来ないよね」
優が落ち着きなく見回す。
「実はここにはお化けが出るっていう噂があってね」
「それはさっきやった」
「本当に?」暗くて見えなくても声だけで前を行く昂太がにやりと笑うのが分かった。
「逢魔時の今の時間、昔は丑三つ時って言われてたんだってさ。どっちもお化けの出る時間なんだよね」
え……と優が言葉に詰まる。
「で、でも、丑三つ時にお化けが出るのは真っ暗な夜中だったからだって……」
「昔のお化けが今の事情なんて考えてくれると思う? それに今は『暗い昼』だよ」
何か言いかけて優が口ごもる。
「ここの廊下にはね、暗くて見えにくいけれど、よく突き当りに小豆とぎが出るんだ」
しゃっ、しゃっ、しゃっ。
昂太の説明に合わせるように、廊下の先からこすれるような音が聞こえてくる。
物が落ちるような音がして振り返ると、優が尻もちをついて震えていた。他に人のいない廊下に必死にこらえながらすすり泣く声がひびき渡った。
「大丈夫、大丈夫だから。手緩めて」
芽衣が必死でなだめているのを見ているとさすがに可哀そうな気になってくる。
「やり過ぎ」
昂太の方を向くと肩をすくめてぺろっと舌を出すのが見えた。
「優、まだ聞こえる?」
耳を澄ましゆっくりと首を振る。当然だ。昂太がすり足で歩く音が反射して聞こえてたんだから、昂太が止まれば音も止む。
どこで拾ったのか昂太のくつにはボロボロのスリッパが引っかけられている。
「そこまで成り切らなくていいから」
「はいはい。ごめんよ。立てる?」
震えて泣いていた優だけど、昂太の手を取って起き上がると、ゆっくり歩き出した。
「着いたよ」
階段を上った先、さびついて悲鳴のような音を立てる鉄の扉を押し開いて屋上に出ると、ちょうど夕焼けの赤みが薄まり夜の暗さに変わるところ。薄緑とさび色の空には細めの両三日月が浮かんでいた。
「ちょっと待ってて」
とカバンから棒の束を取り出す。それをカチャカチャと三角に広げていく。
「やっぱカメラじゃん」
「残念ハズレ。カメラも欲しいんだけどね」
取り出したのは白くて長い筒。テレビとかで見たカメラのレンズよりはもっと細長い。それを三脚にセットするとどこか遠くを見ながら調節し始めた。
「望遠鏡?」
ようやく落ち着いてきた優の言葉に昂太の声のトーンが上がる。
「正解。知ってるの?」
声は嬉しそうだけど、そろそろ表情が見えなくなってきた。
懐中電灯は昂太の一つだけ。ケータイのライトってどれくらい持つんだろう。
「海賊のお話の絵で見たのに似てるかなって」
「あー。合ってるんだけど、ちょっと違うかも。見るのはね、こっち」
望遠鏡のレンズをグイと上に向ける。何もない夜の空に。
「もしかして、これ、天体望遠鏡なの?」
芽衣が驚いた声を出した。正直、俺はまだよく分かっていない。だって、星を見る望遠鏡なんて、遠くの山の上の大きな天文台についている物しか知らないもの。
俺が頭の中で必死に言葉の意味を考えている間も、昂太はレンズをのぞきながら更に調節していく。
「そうだよ」
「子ども用の天体望遠鏡なんてあったんだ」
「ちゃんと売ってるし、愛好家だっているよ。バレたら後で怒られるんだけど」
「お父さんのなの?」
「いいや。僕のだけど、一人で暗い時間に出歩くなって。しかも居住区外だし。こんなものかな。のぞいてみて」
優を招いてレンズをのぞかせる。ライトを消すと、足元も見えない真っ暗闇になった。
しばらくは「何も見えないよ?」と昂太に教えてもらっていたが、無事に見えたようで、さっきまで泣いていたのも忘れたようにみるみる声が興奮してきた。
「すごい! すごいって!」
興奮して何があったか言ってくれない優と代わって、今度は芽衣が望遠鏡をのぞき込む。
「わあ、すごい。これ土星だよね? 写真じゃないのって初めて見た」
「土星? 土星ってあの輪っかのあるやつ?」
「そう、それが見えてるの。代わる?」
芽衣から代わってもらい、三人と同じようにレンズをのぞき込む。最初は向こう側のレンズが見えなかったけど、すぐに慣れるとその先に写真で見るあの土星の姿が現れた。
「本当だ。輪っかまでちゃんと見える」
「でしょ。僕もそんなに見えるなんて思わなかった」
優はまだ興奮が冷めないらしい。昔から図鑑とか本とかが大好きなやつだから、こういうのはたまらないのだろう。
昂太も喜んでいいよと言ってくれたから、もう一度優と代わる。
「でも、よくやろうと思ったね」
「何が?」
「だってさ、今日みたいな日って年に数日しかないんだろ?」
「なんだ。結構詳しいじゃん」
「前に山の天文台で聞いただけだよ。あれと同じ物に子ども用があるなんて知らなかった。
でもさ、昼間は無理。月の明るい日も無理って言ったらさ、小さい方の太陽が大きい方の太陽と同じ向きにあるこれからの時期で、新月に近い日だけってことだろ?」
「そう。半月より暗い間だけ、ってところかな。今だと今日が一番暗くて、明日はまだ見られるだろうけど、その次はたぶん来月」
「そんなに少ないの?」
横で聞いていた芽衣が驚いた声を上げた。
「うん。もちろん、曇ってもダメだしね。愛好家は小太陽なんて要らなかったんだって言ってるよ」
「あれ? でも、星の写真自体は教科書とかで見るけど」
いつの間にか、優も振り返ってこっちの話に混ざっていた。
「あれは、宇宙に飛ばした望遠鏡で撮った写真だからね。僕の望遠鏡じゃ、逆立ちしても無理」
それでも、今まで写真でしか見たことのなかった世界を見て、急に世界の本当の姿を見たかのような気持ちになる。
そういえば昂太には昂太の目的があって来てるんだと思ったんだけど。
「そんなにサービスしてていいのかよ。明るくなるまでもう二時間ないだろ?」
少し不安になるが、昂太は大丈夫と笑った。
「僕が見たいのはまだ地面の下だからね。夜明けギリギリまでは大丈夫」
「何を見るつもり?」
言いかけたところで、芽衣がぼんやりと空を見上げているのに気がついた。
「どうかした?」
「うーん」芽衣にしてはめずらしく、歯切れの悪い返事が返ってくる。
「今何かがあった気がしたんだけど」
「何かって? 怖いもの?」
これまでのはしゃぎぶりが嘘のように優がしおれていく。
気づいた芽衣が慌てて否定した。
「あ、違う違う。そうじゃなくって、なんというか、空に線が走ったような気がしたんだけど」
「それって、流れ星?」
「そういえば、こと座流星群の時期だったかも」と昂太。
「何、それ?」
「え? けーちゃん知らないの」
三人が同時にこっちを見る。
「芽衣だって知らなかったんだろ?」
「本物を見たのは初めてだけど、言葉くらいは知ってるよ」
まあまあ、と昂太が間に入って流れ星の説明をしてくれた。
「ふうん。夜にもいろんなイベントがあるんだ」
「夜の方が見える星の数は多いからね。ただ夜が短いってだけで」
「日食とかはさ、テレビでやってたりするから知ってるんだけど、夜のことは話題にならないんだよね」
確かにと昂太も頷く。
「流れ星はテレビよりもお話の中の方がよく出てくるかもね」
暗闇の中で優の歯がにっと開くのが見えた。
「けーちゃんは本読まないから」
「悪かったな。本に出てくるって、そんなに有名なのか」
「あった」
スマホをいじっていた芽衣が声を上げる。
「『古来、流れ星は凶兆として人々から恐れられてきました』だって」
「なんか、僕の知ってる話とは違う」と優。
「よくあるのは流れ星が見えている間に三回願い事を唱えると叶うって話なんだけど」
昂太もそれに頷く。
「昔の日本って虹でも日食でも凶兆だって言ってたくらいだし、ありそうな話だけどさ。
ともかく、今の時期なら見上げている内にまた流れるんじゃないかな」
それからしばらく、四人でただ空を見上げていた。
「見えたー?」
「なーい。けーちゃんはー?」
「ないなあ」
頭の上の広い夜空を見上げていると、見える範囲の狭さが嫌になってくる。靴裏で足元に小石がないのを確かめて寝転がった。
「背中汚れない?」
昂太が聞くけれど、汚れるのは気にならなかった。
「怪我さえしなきゃいいよ」
「わたしもそうしよっかな」
芽衣も寝転ぶと、優も、少し迷って結局昂太も四人で頭を突き合わせるようにして寝転んだ。
「あ、流れた」
寝転んだ直後、優が俺の足元の方角を指差した。けど、頭の上の方ばかり見ていたからか、全然気がつかなかった。
「え? どこどこ?」
「めーちゃんの右足の方。こーたは見てないの?」
「見えたよー。流れ星って結構見にくいからね。根気よく見上げ続けるしかないよ」
隣から昂太の笑い声が聞こえた。
「そういや、願い事はできた?」
優に聞いてみると、あっという声が漏れた。
「忘れてた。どっちみち、一瞬だったから無理だよ」
「そんなの。神社のお参りと一緒なんだから、後でゆっくり頭の中で唱えとけばいいんだって」
「圭ってば雑。立花君は何を?」
昂太はうーんとうなって、しばらく考えているようだった。その間に芽衣がようやく自分でも流れ星を見つけた。
芽衣の願い事は運動会で一等賞をとること。
「そんなのでいいの?」
「今のところはね。優は?」
優の願い事は怖がりを治すこと。
「優、そんなに怖がりじゃないでしょ」
「なんで? ここに来るのだってずっと怖かったんだよ」
「でも、ちゃんとついて来たじゃない。優は自分が思っているほど怖がりじゃないよ」
芽衣がなぐさめるが、優はもっとだよと笑う。
「めーちゃんやけーちゃんみたいになりたいんだよ」
「俺達みたくなっても、仕方ないだろ」
「そんなことないもん」
ぷうと頬をふくらませる優の頭を芽衣がそうかそうかとなでる。もーと言いながらも、おとなしくなるんだから芽衣は本当扱いが上手い。
「で、圭はどうなの?」
「俺? 俺はねー、内緒」
「えー、何それー」
芽衣が今度はごろんと転がって、俺の足をタシタシとけってくる。でもヤだよ。これだけははずかしくて言えない。
今見えているだけじゃない、みんなのいろんな姿や思っていることを知りたい。そう思ったんだ。
ふたつの太陽が出ていれば、ふたつの影ができるように、いつもと違う姿を見たらまったく違う人間に見えるって、昂太を見ていて気づいちゃったから。
芽衣とは反対の方を向くと、その昂太がじっと空を見上げている。
「僕は」誰に言うでもなくつぶやくように話し始めた。
「僕はこうやって星空を見ていたい。そうやって、いつか実際に宇宙に出てみたい」
「あー、二つも言ったー。こーた欲張りだあ」
優の突っ込みに思わずみんなで笑ってしまう。
「そこじゃないだろ。いいじゃん、昂太の夢。叶うといいな」
「できる訳ない、とか言わないんだ」
暗くて分からないはずなのに、寂しそうな昂太の顔が見えるような気がした。
「言わないよ。何ができるのかも分からないのに」
「そっか。そう、なのかな」
「何かあるのか?」
「親が許してくれなくてね。知らない人とネットでやり取りしたり、一人で暗い中出て行ったりするの、全部嫌がるから」
「それでいつも休み時間にスマホ突いてたんだ」
「知ってたの?」
おどろく昂太に芽衣も続ける。
「嫌われてる訳じゃなさそうだし、体育の時には楽しそうにサッカーとかしてるのに、お昼休みや放課後には一緒に遊びたがらないのなんでなんだろう、ってクラスの七不思議になってるんだから」
「知らなかった」
「そういや放課後いないのは?」
そっちは単純に家庭教師、と昂太が笑った。
「こーた勉強できるんだ?」
「できるぞー。めっちゃ頭いい」
芽衣が茶化して言うと、優もへえーと声を上げる。
「なら、本当に宇宙飛行士になっちゃうかも」
また一つ、今度は俺の前で星が流れた。
「じゃあ、未来の宇宙飛行士にこれからもいろんな星、見せてもらおうぜ」
「これからも?」
コンクリートの地面の上で昂太の頭がぐりりと動くのが分かった。
「毎回とはいかないだろうけどさ、こんなおもしろい物逃す手はないだろ?」
「けーちゃんが行くならぼくも」
「夜の短い間ならね」
優と芽衣も賛成してくれる。
「いいの? 親とか怒るんじゃ」
「それはそれ。意地でも説得するさ。それより、昂太の目的の星はまだ見えないの?」
ケータイの時計では三時半を過ぎていた。夜明けまではもう一時間くらいしかない。
よく見ると東の空はもううっすらと黒から藍色に変わってきている。
「そろそろのはず」
起き上がってゴソゴソと双眼鏡を取り出すと、山との境目辺りを探し始めた。
「あった」
今度は望遠鏡の方を調整していく。
「何があったの?」
「彗星って知ってる?」
よほど難しいのだろう。優の質問にも決して望遠鏡から目を離そうとしない。
「惑星の?」
「そっちは水星。尻尾のある星の方」
「これね」
優と昂太の話を横目で聞きながら猛烈な速さでスマホを突いていた芽衣が画面を見せて嬉しそうに読み上げる。
「古代、彗星は不吉の象徴として恐れてきた」
「それはもういいよ」
画面には丸く光る星からすぅーっと細長く青白い光が伸びていた。
「本当に尻尾だな。こんなのあるんだ」
「太陽からの圧力でガスとかちりとかが飛ばされて尻尾みたいに見えているんだって。だからさ、二つの太陽の間近くを通る今ならどうなってると思う? はい、どうぞ」
昂太にうながされて優と芽衣が順番にのぞき込み、感動の声を上げる。
「ありがとね。そんなこと言ってくれるとは思ってもなかった」
隣に来た昂太が小声で言った。
「思ったことを言っただけだし、まだこれから母さんとケンカしないといけないけどな。
帰ったらまず三人そろって怒られる」
「それ、僕もだ」
二人見合って二ッと笑う。
学校とはちがう昂太の姿はくやしいくらいかっこいい。こんな友達となら、一緒に怒られてもいいかなって思ったんだ。
「けーちゃんすごいよ。びっくりすると思う」
優に呼ばれてレンズをのぞき込む。緑色の星に青白い尻尾。その横にもうひとつ、少し小さな尾が生えている。この姿はたぶん今しか見られない。廃病院の幽霊とこの彗星の姿が少しだけ重なって見えた。
廃病院の幽霊と三時間の短い夜 石谷 弘 @Sekiya
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