290話 普通の人

 たっぷり眠って、昼過ぎ。

 目を覚ましたその瞬間にはすでに、今日一日、ずっとごろごろしていたいような気持ちになっている。

 目をつぶれば、昨日の光景が目に浮かぶようだ。


――屍肉を喰らう”ゾンビ”。

――”ゾンビ”に追われる人々。

――あちこちに打ち捨てられた、残酷に身体を欠損させた骸の山。


 ”ゾンビ”に関しては、一度目の当たりにした怪物である。

 だが連中は、――なんど見ても、見慣れない。という感覚があった。


「あ――――――――――――――――――――――――――――――、くそ」


 やるか。


 奮い立ったのは、あのオレンジ髪のチーフ“サモナー”へ送った言葉を思い出したためだ。


 この世界は今、死に瀕している。立ち止まっている時間はない。

 こういう時こそむしろ、歩みを止めてはいけないのだ。


「よし。今日も一日、がんばるぞい」


 言って、まず《ブック》内にいるヴィーラを確認。すると、――妖精娘はページの隅っこのところで丸くなり、何だか染みのような形で動かなくなっていた。


――ふむ。


 狂太郎はそこで、かまってちゃんな相棒を指先でトントン、


「苦しいか? 心が折れたか?」


 あえて挑発的な質問をする。こういう時は、無視できる質問より、反論の余地がある言葉の方が良い。


『……苦しいか? ですって? ええと。――ひょっとするとあんた、ママの膣の中に、人の心を置き忘れて来ちゃった?(愚問ですね。気分が悪いに決まっているじゃないですか)』

「そうかもな」


 短く、応える。

 するとヴィーラは、蒼い顔で続けた。


 ”悪魔島”での光景が、いかに彼女の心を傷つけたか。

 ”悪魔島”での経験が、いかに彼女の人生にとって例外的な出来事であったか。

 ”悪魔島”での事件がこの世界に、いかに残酷な前例を生んだか。


 狂太郎は、彼女が話し終わるのをたっぷり待ってから、


「――そうだな。昨日と一昨日は、苦しい仕事だった」


 と、言う。

 彼女は何か、論理的な回答を求めている訳ではない。

 ただ、話を聞いてもらいたがっているだけ。それがわかっていたのだ。


「ぼくがいま言えるのは、ただ一つだけだ。ぼくは、きみの力を必要としている」


 これは、ある種の殺し文句であると言って良い。

 狂太郎は時々、救世を共にする味方捜しを指して、「仲間ガチャ」と呼ぶことがある。

 あまり良い言葉ではないが、結局のところこれは、より良い人間関係に恵まれるかどうかは運次第……という事実を端的に現していると言って良い。

 ”最高の友人”は向こうからやってこない。良き出会いを得るには、血を吐くように理不尽な想いをしても、数をこなす必要があるのである。


「今回は、きみとワトスンに巡り会えて良かった。――だがこの想いが一方通行の可能性もある。だからぼくは、きみが去ると言っても、恨まないよ」


 返答は、ない。

 狂太郎は少し間を置いた後、そっと《ブック》を閉じた。

 すると、ページのインクがこぼれ落ちるように、ヴィーラが現れる。

 そして彼女は、狂太郎の眼前で、じっとその顔を見つめた。


「……ええと。なんだい」


 少女は応えず、狂太郎の顔をまじまじと眺める。まるで、珍しい動物を観察しているかのような目つきで。


『ねえ、狂太郎。あんたってさ。こんな、キンタマ潰れるような仕事、ずーっと続けてるの?(あなたは、ずっとこんな仕事を続けているんですか?)』

「こんな仕事?」

『わかんないかな。あんたいつも、昨日みたいなこと平気でやるような、とんでもねぇおフェラ豚と戦ってるってわけ?(あなたはいつも、大量殺人鬼を相手に戦っているんですか?)』

「そうだな」

『なんでよ?』

「なぜ、と言われてもな。それが仕事だから」

『いやいや。おかしーじゃん。他にも仕事なんて、腐るほどあるでしょ。もっと楽に生きなよ』

「楽な生き方には飽きたんだ。ぼくはこう見えて、仕事を愛していてね。楽しいからこうしてるんだよ」

『……それが、化け物と対峙するに足りる理由になるとは思えないわ』


 こっちに言わせれば、きみたちモンスターの方がよっぽど化け物じみているが。

 狂太郎は、深くため息をついた後、


「ひとつ……はっきりと言っておくべきことがある。――歴史に残るほど残酷な仕事をした人間ってのはね、案外、普通の人と変わらなかったりするんだよ」

『…………』

「ぼくの世界に、アドルフ・アイヒマンという男がいてね……」


 ゲシュタポのユダヤ人移送局長官であった彼を指した言説に、このようなものがある。

 彼は、人間的でも、非人間的でもない。であった、と。


「彼は、――ボタンを押せと命じられればただ、そのボタンを正確に押すことだけに腐心してしまうような男だった。ボタンを押すことで、誰かが死ぬかも知れないとか、そういったことは、考えもしなかったんだ」


 目の前にいる、たった一人の死は重大事だ。

 しかし、どこともしれぬ一万人の死は統計的な事実にすぎない。


「“転移者”と戦う時、とんでもない化け物を想像すると、肩透かしを食らうぞ。その多くは、単に想像力にかけるだけの常人だったりする」


 ヴィーラは、渋い顔で狂太郎を見上げたままだ。


「それで、どうする?」

『え?』

「きみは、降りるか? 知っての通りぼくはせっかちだから、早めに結論を出してくれ。決戦前に突然いなくなられるような展開は避けたいし」


 するとヴィーラは、


『ばかっ』


 と、彼女にしてはかなり単純な罵倒語を使う。


『もう……一生戻れないわよっ! そんな話を聞かされたらッ!』

「そうか。。助かるよ」


 そこで会話は終了。

 立ちあがる。


 少し遅くなったが、昼食の時間だ。



 昼食の献立は、食べやすくブロック状に加工された魚介類がたっぷり入ったシーフードラーメン。

 隣のヴィーラは、杏に似た樹の実をシロップに浸けたもの。

 その隣のワトスンは、単一電池に似た何かだ。

 狂太郎は、ワトスンが電池を”食べている(※11)”ところを興味深く観察しながら、


「今日は、イー・シティへ向かう」


 と、宣言した。


「ディ・シティのチーフサモナーに紹介状を書いてもらったよ。つぎは、イー・シティのチーフと会う」

『ほうほう。それで?』

「状況がいかに逼迫しているかは、昨日の”悪魔島”の一件でわかるはずだ。チーフ三人の推薦があれば、少なくともスカーレットに会う身分にはなれる」


 兵子がスカーレットに興味を抱いていたのは間違いない。

 ”救世主”であるなら、この世界の”主人公役”にコンタクトを取るのは、至極当然の発想だ。


――問題は、兵子が道中、”転移者”と遭遇しているかもしれないってことだな。


 今度の相手である”異世界転移者”は、平気で人を殺す。

 もし二人が何らかの形で出会っていれば、間違いなく殺し合いになるだろう。


 ことここに至って、狂太郎の脳裏に一つ、残酷な可能性が浮かんでいた。


――兵子は、”転移者”と戦って死んだ。

――故に、連絡が取れない。


 兵子が拷問を受けている可能性、である。


――考えるだけでもおぞましいが……。


 もしそうなら、”エッヂ&マジック”と”金の盾”に所属している”救世主”の手の内が知られているかもしれない。

 今後は、それを考慮に入れて行動する必要があった。


「やれやれ。悩みは尽きないな」


 ずずずずずっとラーメンをスープまで飲み干すと、午後を戦う活力が漲ってくる。

 食事の最中も、食堂のテレビモニターでは、”悪魔島”の一件について、五月蠅くがなり立てられていた。

 狂太郎はそれに背を向けて、さっさと施設と、――ディ・シティを後にする。


 この世界の住人は、強い。

 きっと自力で乗り越えられるだろう。


 ”ゾンビ・アポカリプス”は問題ではない。

 この世界にはまだ、決定的な病魔が隠れ潜んでいる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(※11)

 カメラアイ下部にある、口に似た器官に電池を突っ込むと、そのエネルギーを吸収したことになるらしい。

 ちなみにワトスンくん、生き物らしくちゃんと排泄もする、とのこと。

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