291話 金ドラの巣
「ところで、――ワトスン」
『は。なんでしょう』
「昨日話したネット情報の件だが、何か進展はないかい」
『あれば、真っ先にお知らせしています』
それもそうか。
狂太郎は渋い顔をして、《すばやさ》を起動……しようとする。
それを遮るように、ワトスンが言った。
『釣り針は、気長に眺めることです。慌てて針を動かすと、せっかくの魚が逃げてしまう』
「……まあな」
五分の一以下の体積の生き物に窘められてしまった。
とはいえ、この新たな友人は、こちらの計り知れない知性を宿していることがわかっている。馬鹿にはできない。
――これなら、シャーロックと名付けたほうが良かったかな。
などと、そんな風に思ったり。
ディ・シティ~イー・シティ間は、石壁のような山脈が横たわっていて、その辺りは”ゲンソウ”系のモンスターが多く生息しているようだ。
道は、いかにもな”RPGマップ”といった感じに入り組んでいる。灰色の大地を大きく迂回して、まともに歩けば数日の行程、――しかも、道中のキャンプ地を事前に調査した上に、入念な旅行計画を練らなければ命も危ないほど、危険な山道だ。
――《異界呼吸術》があって助かったな。
このスキルがなければ、きっと高山病に苦しむ羽目になっていただろう。
狂太郎は、山道をぴょんぴょんとウサギのように跳ねて進みつつ、地図が示す方向へ進む。
通常、慣れない山道は迷うものだが、狂太郎はこの手の道を進むのが得意だ。これは、彼に先天的に備わっている職人芸と言って良い。
すでに彼は、三十キロほど歩いている。
健康な成人男性であれば、ちょうど一日かけてようやく歩ける距離だ。
疲れは、ほとんどない。
《すばやさ》の起動中は肉体的なダメージが軽減されているため、――疲労も最小限度に抑えられているのである。
とはいえ、ときおり異世界の景色を楽しむくらいの余裕は、あるべきだと思っていた。
今回のような長丁場となる冒険は、休憩も仕事のうちだ。
全力疾走後の戦闘力は、万全な状態に比べて一割も満たない。
こうした世界の救世は、険しい冬山を進むのに似ている。
日々、積み重なる疲労やトラブルのリスクを最小にすることも、最速で進むコツなのだ。
それに、休憩時間でしか見つけられない発見もある。
その時もちょうど、狂太郎は、倒木に腰を下ろしてサンドイッチを頬張りながら、休憩しているところだった。
「……ふう」
遠く、この世界では”トビウオ”と呼ばれている空飛ぶ魚が見えている。
その向こうには、地響きを上げながら地を歩く”ゴーレム”の姿。
”ゴーレム”が歩くたび、その足元で”
「なあ、ワトスン」
『なんでしょう、
「――いま見えているモンスターで、特別に力を持っているモンスターはいるかい」
すると、傍らに浮かんでいるドローンのカメラアイが、青色の輝きを放つ。
『…………ふむふむ。なるほど。ふーむ』
ワトスンはしばらく、奇妙に甲高い声を上げて、
『いまの無意味なうなり声は、人間の真似をしてみたものです』
「……あ、そう」
『さて。楽しい冗談はともかく、――ざっと調べたところ、可視領域に存在するモンスターの平均レベルは15前後、といったところでしょうか。ヴィーラ嬢のレベルに達しているようなモンスターは存在しませんね』
「そうか」
呟くと、《ブック》の中から『あれ? いま誰か、あたしの噂した?』という白々しい声が聞こえる。
狂太郎が本の背表紙をぽんぽんと撫でると、少女の無邪気な笑い声が聞こえた。
「だがそうなると、ワトスンのレベルが少し心許ないな。ここいらでちょいと、レベル上げがしたいところだが」
”悪魔島”での戦闘ではワトスンは大活躍だったが、――残念ながら、ほとんどレベルアップはできなかった。
これは恐らく、あの”ゾンビ”たちが、この世界のものではないためだろう。
『かしこまりました。人里離れた地域には”ゲンソウ”系が多いことですし、有利に戦うことができるでしょう』
ワトスンは、球形の身体を器用に揺らして頷く。
『一応、効率的な経験点を与えてくれるモンスターに、心当たりがございます。この辺りには、レベル15の”ゴールデンドラゴン”、――通称”金ドラ”の巣があるようです。正直、私一人で仕留めるのは難しい相手ですが……』
「わかった。ヴィーラとのコンビネーションで仕留めよう」
『助かります』
テンポの良いキャッチボールのように、今後の方針が決まった。
この相棒、万事手回しが良くて実に助かる。
「ヴィーラ。――いいかい?」
『はいはい。あたしはあんたの、都合の良いオナホールですよっと(まあ、いいでしょう。ありがたく思ってください)』
そういうことになった。
▼
その後、ワトスンの案内で”ゴールデンドラゴン”の巣に向かうこと、数分。
風光明媚な滝が見事な水場周辺に、金色の鱗に覆われた、マスコット的なデザインのドラゴンがたむろしている場所へと辿り着く。
そこは、実にいかにもな、
『レベル上げ追いついてない方、ここが稼ぎ場ですよ!』
という、ゲーム制作者のメッセージが伝わってきそうな空間だ。
「へー。気持ちの良いところだな」
狂太郎は、滝壺の白い泡を眺めながら、爽やかな水気を含んだ空気を吸い込んだ。
”金ドラ”たちは、まったく人間に警戒している様子はない。
まるで連中、飼い慣らされた畜産動物のようだ。
「だが……正直、こいつらをやっつけて回るのは、少し気が引けるな」
『世界平和のためです。そうでしょう?』
「まあな」
狂太郎は嘆息して、
「一匹ずつ、殺さない程度に攻撃する。目標は、ここでワトスンのレベルを15にすること。それでいいか」
『了解』『おいっす』
野生モンスターとの戦闘は、『降参』による勝利はない。意識不明になるまでやっつけるか、契約して味方につけることで経験点が発生する仕様らしい。
狂太郎が合図すると同時に、ヴィーラが上空へ三メートルほど浮かび上がった。
「ヴィーラ。《魅惑のダンス》を」
さっそく少女が、その場で踊り始める。
同時に、その場のドラゴンたちが、ぽーっとした表情でヴィーラを見上げた。どうやら彼女の魅力は、種族を問わないらしい。
「それでは、ワトスン。《ビームⅠ》で仕留めていくぞ」
『了解』
作業が始まる。
ヴィーラが踊り、ワトスンがモンスターを焼いていく。
狂太郎たちが通り過ぎた後には、白目を剥いたモンスターの群れが山と転がることになった。
通常、このような状況に出くわした生き物がする行動は、たった一つ、――逃亡の一手。その他にないように思われるが、ヴィーラの使う《魅惑のダンス》は、ただの可愛らしい踊りではない。その精神的影響は、生存本能を遙かに上回る。
故に狂太郎たちは、――それから三時間ほど、ゴールデンドラゴンの群れを相手に、一方的な虐待を行うことができた。
結果として、その辺りから”金ドラ”を一掃して。
「よし」
ワトスンのレベルを、ちょうど15にまで上昇させることに成功する。
「新しく覚えた技は、――
《雷系魔法Ⅰ》は、アーム部に数秒、びりびりっと電撃を発生させる技らしい。
威力的には《ビームⅠ》より遙かに劣るが、――相手を生きたまま捉えるのには役立ちそうだ。
「基本的には、防御力が上がってスキルの使用回数が増えた、と。それだけか感じか」
『ですね』
一応、それで十分、ではある。
もとより、基本的にはヴィーラをメインに戦わせて、彼女の手に余る敵が現れたらワトスンに任せる、――そういう手筈であったためだ。
「よし、これで一気に、イー・シティまで駆け抜けよう」
などと提案した、その時であった。
「ちょっとおおおおおおおおおおお! おまええええええええええええええええええ! そこを! うごくなああああああああああ!」
素っ頓狂な声を上げながら、ひげ面の男が走ってくる。
「ん?」
狂太郎は眉を上げて、駆けつけた男を眺めていた。
彼は、数百メートルほど向こうから、何度も何度も「おまえー!」「おまえー!」と叫んでいるのがわかる。
正直……なんだかひどく――滑稽な絵面だった。
たぶんこれから、厄介ごとが発生するのはわかっていたのだが。
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