261話 アップデート

 沙羅の脳裏には、この一ヶ月間のできごとがフラッシュ・バックしていた。


 人知れず受け止めてきた、数多の人々の怨嗟の感情が、彼女の脳裏に蘇っている。

 平気だ、平気だとは自分に言い聞かせてきたのに。


 奪われた片足の痛みが。

 溜まりに溜まったストレスが。

 ”ベルトアース”の人々の憎悪が。

 神を名乗る者への、――八つ当たりじみた感情が。


 沙羅の理性を喪失させていた。

 彼女は、残った片足をバネ仕掛けのように使って、跳ねる。


>> かいしんの いちげき!

>> せいさくしゃに 4456の ダメージ!


「ちょ、ま、ぶ」


 頬骨を折った。もう二度と、左右均等な顔には戻れまい。そういう感触だった。


 だが、まだだ。

 まだ終わらない。

 ”善”だとか。

 ”悪”だとか。

 そんなのはもう、関係がなかった。

 この世界の住人が受けた苦しみを思えば、100万回殴っても、まだ足りない。


――優しくない神様は、……みんな、死ぬべきなんだ!


 脳裏に、かつて見たミノタウロス娘の哀しげな顔が浮かんでいた。


 その記憶を打ち払うように、”ひのきのぼう”を振るう。

 すでにぐったりしつつあった夢人の身体が、ふわりと自動的に持ち上がった。


 あとは、同じことの繰り返しだ。


「うわああああああああああああああああ」


 会心の一撃。4555のダメージ。


「ひええええええええええええ」


 会心の一撃。121のダメージ。


「わかった! 悪かった! こ、降参する!」


 会心の一撃。1のダメージ。


「待て、こんどはホントに……」


 会心の一撃。1のダメージ。制作者クリエーターを倒した。


 だが、まだ息がある。死んではいない。


「ほ、ホントに……し、……死……」


 会心の一撃。ミス。ダメージを与えられない。


「……ぬ………」


 会心の一撃。ミス。ダメージを与えられない。


「……………」


 会心の一撃。ミス。ダメージを与えられない。


「……………」


 気づけば、まるで威力が発生していなかった。

 そこで沙羅は、思い出す。


 ”ひとしこのみの術”は、敵を殺すことができない”ウル技”であったことを。


――それなら、トドメは……。


 ”ひのきのぼう”を捨て、大きく息を吸う。

 直接、その顔面に《火球》を叩き込んでやる。


「くらいなさい…………ッ!」


 そう叫んだ、その時だ。

 彼女の放った《火球》は、何者かが盾となり防がれてしまう。


「――なッ」


 その原因は、すぐにわかった。


「ちょっとぉ! なんで邪魔するのっ」


 視界の先に、パンツ一丁のおっさんが佇んでいる。

 仲道狂太郎だ。


「……危なかったな。パンツを履いてこなかったら、即死だったぞ」


 パンツには、『アイテム番号:255』の文字。

 ”ベルトアース”で手に入れた、”無敵のパンツ”である。


「ばかっ」


 半分、嫉妬のような感情が持ち上がっていた。自分の命の危機には駆けつけなかったくせに、こんなやつのために現れるなんて。


「今回は、”善いこと”だけをして、気持ちよく元の世界に帰る。そうだろ」


 その一言で、すぐに気が萎えた。

 自分の言葉を引用されては、たまらない。


 狂太郎が、半ばほどで折れた剣、――《天上天下唯我独尊剣》を鞘に収める。

 同時に、雨あられと”けつばん”たちの死骸が降り注いだ。

 文字通りの、瞬殺。

 こっちが制作者クリエーター一人の相手に手こずっている間に、彼は全ての仕事を完遂していたのだ。


――また、


 この世界にしばらくいて、少しずつ気づき始めていた。

 どうも自分は、まだまだ未熟らしい。

 ”救世主”として、というよりは、――一匹の生命として。


 『正義』というのは、簡単じゃあない。

 そういったものをまとめてと割り切るには、この仕事は責務が重すぎる。


 彼女は、少し不満げにうつむいて、ごろんと横になった。


「……一応聞いておくけど。もちろん仕事はぜんぶ、終わったんでしょうね」

「当たり前だ」


 狂太郎は太鼓判を押す。その目の下には、くっきりと隈ができていた。

 どうやら彼、精も根も尽き果てた状態で、ここまで駆けつけたようだ。


「とりあえずこれで、全ての異常性は取り除かれたはずだ。いまさっき、”不壊のオブジェクト”は存在しないことになった。やがてあらゆる建物は、劣化を始めるだろう」

「ハンプティ・ダンプティは?」

「イベント・キャラクターは皆、無限ループを解除しておいたよ。最後の出現は、――タムタムの街の連中の餌食にならんよう、もっと南の地点で出現するように設定してね」

「……そう」


 ほっとため息を吐く。

 ずいぶんと大胆な改革だ。狂太郎なりに、覚悟を決めたのだろう。


 その他の『アップデート内容』は、以下のようになっている。


(1)『たいけんばん』の石版を破壊。

(2)『Ver,1.00』と彫られた石版を設置。

(3)モンスターの出現率を調整。

(4)”さんぞく”と呼ばれる”モンスター”は出現しなくなる。

(5)”さんぞく”の代わり、スライム系モンスター、野獣などが出現するようになる。

(6)今後、いかなる手段を用いても、死者は復活しない。

(7)一部、新マップの追加。

(8)現時点で作成済みのバグアイテムは残りつつける。

(9)ただし、”不壊のオブジェクト”ルールの消滅に伴い、あらゆるものはいずれ、劣化、消滅していくことに注意。

(10)その他、あらゆるバグの除去を始めとするアップデート内容を記した看板を世界中に配置する。


「これで、何もかも解決するとは思えないが……」

「十分だと思うよ。あなたはよくやったわ」


 これでもう、思い残すことはない。


「それじゃ、悪いんだけどさ、……少しの間だけ、私の面倒を見てくれる?」

「? 面倒?」

「うん。今の戦いで、消耗し過ぎちゃったからさ。回復するまで、別の形になるの」

「別の形、というと?」


 沙羅は少し、眉をひそめる。

 狂太郎が時折、こちらに対して「そんなことも知らないのか」という態度を取ることがあるが、――彼女に言わせれば、彼の方がよっぽど常識がない。


「私たちは、力を失うと省エネモードになるのよ。その間は知能も下がるし、複雑なこともできない。もちろん戦うことだってできない」

「ふーん」


――言っておくけどその姿、「ちょっとした友だち」程度の人に見せるものじゃないんだよ。

――それこそ、「大親友」くらいの間柄じゃなきゃ……。


 そう続けようとして、沙羅は首を横に振る。

 こういう時、いちいちそのような言葉を言うのは、粋ではない気がする。ヨシワラの女にとって、粋かどうかは大事なことだ。


「だから。そこで寝転がってる”異世界転移者”を『金の盾』に送り届けるのは、あんたに任せた。私の《ゲート・キー》でローシュに会えば、あとはなんとかしてくれると思うから」

「……何。あそこの男、”異世界転移者”なのかい?」


 なんだ、こいつ。

 何にもわからないまま、人助けをしたのか。やれやれ。


――そういうの、”偽善”っていうんだよ。


 そう、心の中で思って、「いや。やっぱり違うな」と思う。

 こういうのはきっと、”偽善”とはいわない。

 もっと別の、やさしい言葉で言い表されるべきこと。


 今になって、ようやく気づいた。

 私はあの時、――ミノタウロス娘に対して、振る舞うべきだった、と。


「まあ、とにかく、……なんでもいいから……ちゃんとしてよね……私のこと。……それとあと、ローシュには私の姿、見せないでよ。……あいつに弱味、見せたくないから……」


 話している間も、沙羅の身体が徐々に収縮を始めている。

 身体が”省エネ”に切り替わりつつあるのだ。


「おい、大丈夫か。……なんか見たとこ、今にも死にそうなかんじだぞ」


 狂太郎が、少々狼狽して沙羅の隣に座り込んだ。

 沙羅は手振りで「心配ない」と示して、――目をつぶる。

 意識が遠くなっていく。


「あと、最後に一つだけ」

「?」

「あなた、好きな人、いるんでしょ」


 狂太郎の表情は、わからない。

 構わず、沙羅は続けた。


「きっとそのうち、会わせてよね」


 それきり、彼女の記憶は途絶えている。


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