249話 血の臭い
「なんでこっち側の世界にまで、モンスターが……?」
大空を羽ばたく黒い影を見上げながら、険しい顔を向ける沙羅。
振り向くと、狂太郎は作業を続けたまま、
「ここがバレたか?」
「いやー? どーもそういう動きじゃないなあ」
突如として出現した”ブラック・デス・ドラゴン”は、街全体を周回している。こちらに向かっている様子はない。
沙羅は、自分の赤髪が目立つことを警戒して、そっと窓から離れた。
「私、そろそろ行く?」
「そうだな。頼む」
相棒の顔を覗き込むと、――その顔には、明らかに血の気がない。無理もない。ずっと《すばやさ》を起動しながらの作業だ。あるいはもう既に、彼の主観では数日以上経っている可能性があった。
――私には、とてもじゃないけどできないな。
もし自分なら、どうしていたか。
頭に、誰か知らない人の記憶が流れ込んできた時点で、さっさと自分の世界に帰ってしまっていただろう。
だから、という訳ではないが。
彼の情熱に、応えてやりたい。彼みたいな人が苦しみ続けるような世の中は、……なんだか、よくない。嬉しくない。
そんな気がしたのだ。
「ちなみに、狂太郎くん」
「なんだ」
「あとどれくらいでその――デバックっていうのは、……終わるの?」
「いま、ドジソンから受け取ったリストの半分ほどを修正したところだ」
”ドジソンのリスト”というのは、恐らく彼が神との交渉に使うつもりだった、”ベルトアース”の問題点の総まとめであろう。
「ということは、あと半分?」
「いや。こういうのは、完成前にチェック作業が必要なんだ。問題ないとわかって初めて、CDに上書きする」
「ん。了解」
つまり、まだまだ時間を稼ぐ必要がある、ということか。
沙羅は立ちあがって、静かに部屋を出る。
一応、目立つ赤髪を隠すため、暗めのローブを身に纏っていた。
狂太郎の集中力を削がない場所へ。
もし、ドンパチやる羽目になっても良いように。
▼
そのまま沙羅は、いったん廃ビルを出て、街の中心部へと向かう。
一応、この世界の住人の情報収集をしておきたい。
街の中心では人集りができていて、赤い火がその辺りを煌々と照らしていた。
遠目に確認したところ、磔にされた誰かが、火刑に処されている。
その様子はどこか、――あの、タムタムの街を思い起こさせた。
「………………?」
沙羅はその、美しい眉を険しく歪めて、そっと辺りの人に尋ねる。
「ねえ、ちょっと」
「…………え?」
振り向いた顔は、うっとりと恍惚に酔っているようだ。
「誰が殺されたんですか?」
「ああ。――そこのコンビニ店員だよ」
「え」
沙羅は少し驚いて、
「それは、なんででしょうか?」
「”ボーイ”を見かけたのに、通報しなかったんだ。愚かにも、彼だと気づかなかったんだってさ。お陰でいま、えらい騒ぎになってる」
「なるほど」
ただそれだけで、死刑か。
文明を成熟させることなく、ただ神に恵まれた環境を与えられた異世界人特有の野蛮さだ。
――このこと、しばらく狂太郎くんには黙ってよう。
そう思いながら、沙羅は早足にその場を離れる。
その辺の連中はみな、血に酔っているらしい。どいつもこいつも、正気と狂気の間で揺れているのがわかった。こちらが注目されている感じはない。
――正体がバレる前に、もうちょっとだけ情報が欲しいな。
たぶん、状況の中心にいるのは、”ボーイ”の父親役であろう。
彼から話を聞くことができれば、敵のやり口を知ることができるかもしれない。
そう、自分を納得させつつ、……内心では、もう一つの思惑があった。
――話し合いで説得できるかも知れない。
そう思っていたのだ。
我ながら、実に甘い発想だと思う。
どうやらこの一ヶ月間で、すっかり狂太郎に触発されてしまったらしい。
精霊種には、そういうところがある。感受性が敏感なのだ。
「ごめんなさい。私、”ボーイ”の捜索に加わりたいんですけど」
辺りを歩く適当な人に、押し殺した口調で訊ねる。
答えは、拍子抜けするほど簡単に得られた。
「それなら、北西の市街地に行きなさい。”ボーイ”の父親役がどうも、その辺が臭いって」
「ありがと」
内心、冷や冷やしながら沙羅はその場を立ち去る。
街の北西部。そこは、彼女が目覚めた場所であった。
そしてそこは、女主人公、――”ガール”の生家(という設定の家)がある場所だ。
今回、最初から正気だった沙羅は、すぐに家を出ることができたという。そのため、この世界の家族とはほとんど関わりがなかったものの、……もし自分の所為で彼らに害が及ぶというのであれば、あまり気分の良い話ではない。
――とにかく、”ボーイ”のお父さんと会わなくちゃ。
いつの間にか、駆け足になっている。
あるいは、自分の中に”ガール”の意志の欠片が残っていたのかも知れなかった。
▼
沙羅が北西に向かうにつれて、徐々に辺りを徘徊する”ブラック・デス・ドラゴン”の数が増えている。
ドラゴンの群れは、街の人々の味方なのかと思われたが、――どうもそういう訳ではないらしい。
数匹の竜などは、足腰の弱った老婆に火を吹いていた。
「なんてこと……」
黒焦げになった死体の山をあちこちに見かけて、思わず息を呑む。
――落ち着いて。狂太郎くんならこういう時、どうする?
深呼吸。
そんな、死者の山の一つを、憎々しげに檜の棒でぶっている男がいた。
「みんな、唾を吐け! 死者を辱めろ!」
号令を発していたのは、”ボーイ”の父親らしい。
彼は、よく子供がするように、「ぶぶぶぶぶ」と唇を揺らして、唾を吐いている。
「くずめ!」
その様子はまるで、ワガママを通すガキ大将そのものだ。
――なんだか、すっごく怖かった。この世界の人たち、まるで子供なんだもの。
これは帰還後、彼女が語った言葉である。
――思うんだけどこの街の人、根っこのところは原始人なんだと思う。
『かくあれ』と造物主に望まれた通りの生き方を選んだ結果、ただただ、規定の台詞を言うだけの信仰が生まれてしまった。
その言葉がもたらす、本当の意味を考えることもなく。
感極まった数人の男たちが、獣のように雄叫びを上げる。
それに追従するように、周囲の”ブラック・デス・ドラゴン”がうなり声を上げた。
歴戦の”救世主”である沙羅ですらゾッとしない光景だったが、彼女は勇気を振り絞って、彼らの中に入っていく。
「あのぉ。すいません」
彼らの中心にいる”ボーイ”の父親が、こっちを振り向いた。
そこで初めて気づいたのだが、彼はどうやら、死者の灰を顔に塗り、独特の紋様を作りだしているらしい。
「あのォ……」
「なんだ。どうした」
その、眼を見て。
沙羅の心が折れたのは、その時であった。
彼はどうやら、怯えているらしい。
理由はよくわからない。
ただ、何かに恐怖を感じている。
彼の心の中にある何らかの負い目が、その暴力性を倍加させているのだ。
――でも、何故?
その時の沙羅には見当もつかないことだったが、これはのちに、狂太郎が補足してくれている。
――たぶん、初日の一件だ。彼は、ぼくの予期せぬ反論に、言い返すことができなかった。それが、今回の騒動の根本にあると、そう思い込んでいたのだろう。
いずれにせよ、今となってはもう、その真相はわからない。
辺りには、黒焦げた肉と、死の匂いが充満している。
これから、殺し合いが始まらない訳がなかった。
――狂太郎くん。
沙羅は、天を仰いで目をつぶる。
やはり、正しく生きるというのは、難しい。
早くも自分は、彼らを虐殺したい気持ちになっている。
あてられていた。闘争のムードに。
――約束守れなかったら、ごめん。
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