215話 負けイベント

「…………、……はっ?」


 次に目を覚ましたのは、ベッドの上だった。


「う……む…………?」


 目を細めて、――起き上がる。

 同時に、ちくりと頬が痛んだ。口内を舌でまさぐると、でかい饅頭を口に含んだような感触がする。歯医者に行った翌日のようだ。


「あー……、いてへぇ……」


 頬を抑えつつ、部屋を見回す。鏡はない。

 《スマホ》の自撮りモードで顔を確認しようとしたが、――いつものコートを失っていた。


「おはよ、狂太郎くん」


 隣に座っていた沙羅が、口を開いた。目の端に、ちょっとだけ涙が浮かんでいる。心配してくれていたらしい。可愛いところ、あるじゃないか。


「……だいじょーぶ?」

「どうだろう。きみからは、どう見える」

「死にかけた男に見えているけど。ホントに大丈夫?」

「問題はない。今のところ。ただ、頭はちょっと心配だな。帰ったら健康診断を受けなければ」

「それだけしゃべれるなら、――……大丈夫そうね」


 頬が痛むにもかかわらず、何となく笑ってしまう。

 何が起こったはともかく、無事状況を切り抜けたという実感が湧いてきたためだ。どのような現実を突きつけられたとしても、――死ぬよりはよっぽどいい。


「……あれから、どうなった」

「シルバーラットちゃんもワンパンでぶっ飛ばされちゃって。だから私、死んだふりしようって。お腹を見せてころんって地面に転がってみたの。犬がよくするみたいにね。そしたら赤い鎧の人、あっさり武器を収めてくれたよ」

「そうか」


 どおりで、全滅のアナウンスが早かった訳だ。

 敵を戦闘不能にすることで勝敗が決まる、この世界のルールに救われたということか。


「それで……ここは?」

「トーヴっていう街。倒れてる私たちを見て、親切な行商人さんがここまで運んでくれたんだ。たぶん社会人だった思う」

「そうだったのか」


 狂太郎は深く嘆息して、


「ぼくのコートは?」

「それなんだけど、――レッドにやられたとき、”ドリームキャッチャー”と一緒に盗まれちゃったみたい」

「マジか」


 力なく、言った。


「参ったなあ。あれには《ゲート・キー》が入ってる」


 この世界に来たときに持ち込んだ”異界取得物”もそうだ。

 ご丁寧にも、いつも身につけている《無敵バッヂ》まで奪われている。


「きみのアイテムは?」

「それは大丈夫。だから最悪、私の世界を経由してローシュに頼めば、帰還そのものはすることができるよ」

「それは最終手段だな。とりあえずいまは、レッドナイトからアイテムを取り戻すことを優先しよう」

「そだね」

「シルバーラットは?」

「生きてるよ。彼女は大した怪我じゃなかったから、旅に必要なものと回復アイテムを手に入れてもらってる」

「そうか」


 立ちあがると、――意外にも、沙羅の方から自主的に手を貸してくれた。


「……ごめんね。あんまり役に立たなくって」


 狂太郎は、目から鱗が落ちたような気になって、


「きみ、謝ること、あるんだ」

「そりゃー、あるよ。さっきのバトルじゃ、完全に足手まといだったし」

「そう思うなら、ぼくの代わりに戦ってくれても良かったのに」

「それは無理。あいつ、何しでかすかわかんなかったし。――それに」


 沙羅は、少し視線を逸らして、


「この戦い、あれでしょ。”負けイベント”ってやつ」

「……気づいていたか」

「うん。私だって”救世主”だからね。――ゲームのことは詳しくないけど、……以前、兵子くんから聞いたんだ。もし、”負けイベント”の雰囲気がある戦いを挑まれたときは、さっさと降参した方がいいって。そうしないと私の場合、千日手になる可能性もあるから」


 ”負けイベント”というのはゲーム用語の一種で、ストーリーの都合上、強制的に”全滅”してしまう戦いのことを指す。

 単純に、『絶対に勝つことが出来ない戦い』と言って良いかも知れない。


「たぶん『ファイナル・ベルトアース』ストーリー上、”ドリームキャッチャー”はこのタイミングで奪われることになっているんだろう」

「ってことは……」

「ああ」


 狂太郎は、大きく伸びをして、


。ぼくたちは順調に、《無》へと近づいているぞ」


 ダメージを受けた部位は、今のところ頬だけらしい。身体の方は一応、万事問題なく動くようだった。


「……前向きね、狂太郎くん」

「意外な長所だろ」


 軽口を言うと、沙羅は少しだけ笑った。



 その後、腫れたほっぺたに薬草をペタリと貼り付けながら、


「……ほんとに効くんだろうな、これ」


 と、ぼやく。

 そこで、山ほどアイテムを買い込んできたシルバーラットが、得意げに応えた。


「アイテムショップのおじさんは太鼓判を押してくれたぞ。十数分もすれば腫れが引いてくるはずだ」

「なら、いいんだが」


 異世界の回復アイテムは、効く時と効かない時がある。――その割合は、後者の方が圧倒的に多い。

 だから狂太郎はいつも、怪我だけはしないように注意しているのだが。


――よりによって休暇中の仕事で重傷を負うというのは、皮肉だな。


 なお、いま狂太郎たちがいるのは、”マッドハッター亭”と名付けられた小さなレストランだ。

 『誕生日を除く364日、なんでもない日にはマッドハッター亭を!』というのが売り文句のその店は、街の人々で賑わう、――この世界においては初めてと言って良い、”普通の飲み屋”の雰囲気を楽しめる空間である。


 狂太郎は、店の名物だというので注文してしまった、”ラース”と呼ばれる緑色の豚の丸焼きをボンヤリと眺めながら、その脇腹の辺りをちょこっとだけ摘まむ。血の味がした。……まだ、頬が傷むのだ。


「……さて、と」


 豚の丸焼きの皿を、そっと仲間たちの方に寄せつつ。


「これからぼくたちは、ドリームキャッチャーを取り戻さなくてはならない訳だが……なあ、シルバーラット。彼が去った先の情報はないのか」

「ある。――レッドナイトを頭領とする”追放騎士”たちは代々、北のヴォーパル砦に潜伏しているらしい。だからそこに行けば、ドリームキャッチャーを取り返すことができるはずだ」

「北、か……」

「ちなみに砦の近くには、タムタムの街という、奴隷貿易で財をなした街もある」


 まあ要するに、とりあえず北へ向かえ、と。


「でも、ひとつ問題がある。そもそも、北に向かえば向かうほど危険だし、――無事に砦にたどり着けたとしても、いまの我々ではとうてい、あのレッドナイトには刃が立たない、ということだ」


 狂太郎は嘆息して、


「つまり、何らかの方法でやつを倒す手段を見つける必要がある訳だが、――心当たりは?」

「ある。……山の中にあるとされる秘密の湯治場に、パワーアップの効能がある伝説のジャブジャブ温泉があるらしい。湯治場はいま、ちょっとした迷宮ダンジョンになっているらしいが……」

「なるほど」


 湯治場行った後、奴隷市場を経由し、砦の赤い騎士とやらと対決しろ、と。


「単純な一本道じゃないとは思ってたが……やれやれ」

「でも、兵子くんが言ってたよ。『”負けイベント”が二度続くことは、あんまりない』って」

「……物語は同じ展開の繰り返しを嫌うからなぁ」


 その点、現実はその通りにいかないのが厄介なところだが。


「良くわかんないけど、次は負けないってことだよね」

「そうだな……」


 豚の丸焼きが二人の少女たちに解体され、その口に運ばれていくのを、ぼんやり眺めつつ。


――しかしこの薬草、まるで効く気配がないな。


 こういう時、異世界人なら、あっという間に傷が癒えるのだが。


――この仕事を続けるには、……不便な身体に産まれたものだ。


 いや、……不便な世界に、と言うべきか。


「パワーアップの効能の是非はともかくとして、『その温泉に浸かる』ということが大事なのだろう。そうすれば、レッドを倒すフラグが立つ。フラグが立っている相手なら、今度こそ倒すことができる」


 狂太郎は、これまでの流れを整理して、独り言のように言う。

 そして、


「やろう。もうこうなったら、とことんこの世界の流儀に付き合うしかない」


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