196話 《■■■■》
「ええとすいません。――いま、なんて?」
「だから、《■■■■》だよ」
二度聞いたが、どうにも言語化できるワードではない。発音だけ聞くと、神話的宇宙生物の名を呼んでいるようだ。「うんにゅらばほにょろ」的な。
「うにゅらー……とっぴろきー?」
「ああ、――適当に言ってるだけ。こっちの世界で言うなら、……《ほにゃらら》とか?」
「つまり、その《ほにゃらら》は、名前がないアイテム、ということですか?」
「そうだ。なんなら《無》と呼び変えてもいい」
「《無》? 《無》を取得しに行くと言うことですか?」
「そうだ」
「ちょっと何言ってるか良くわからないですね」
率直に言う狂太郎。
ローシュは、歯を見せて笑って、
「まあ、最後まで聞きなって。こいつはなかなかどうして、バカに出来ないアイテムでね。……なあ、狂太郎。あんた”救世主”なら、あっちこっちの異世界で、現実じゃあ起こらないような事象、――違和感に出くわしたことはないかい」
「あります、――個人的には、”異世界バグ”と呼んでいますが」
「そう。《無》はその、”異世界バグ”を誘発するアイテムらしい」
「……ほう」
ローシュは、自分の商材に絶対の自信があるらしく、その口調は淀みない。
「要するに、よくわからない”何か”を引き起こすアイテム、ということだ」
「そんなアイテム、何の役に立つんです」
「無論、救世の手助けさ。――あんた、”異世界転移者”と戦ったんだろ?」
「ええ」
「《無》は、使用と同時に、その世界に異常な影響を発生させるが、――”異世界人”だけは、その影響の範囲外なんだ。この性質を利用することで……」
「”異世界転移者”のあぶり出しに使える?」
「そう」
「……本当に、金は後払いで構わない?」
「構わない。そもそも、それが本当に手に入るものなのかもわからないからね」
「なるほど。……よし」
二人の話を聞きながら、私は思わず、声を上げそうになっている。
――こいつ。数分足らずの商談で、あっさり二千万の買い物をしようとしてるぞ。
とはいえ、即決せざるをえないほど”異世界転移者”の脅威に追い詰められていた、と解釈できなくもない。
何せ、前回の対決では、ヤマトの助けがなければ狂太郎は負けていた訳だから。
「商談成立だ。前金は……」
「さすがにいまは持ち合わせがない。帰ってからでいいかい」
「もちろん」
とんとん拍子で話を決めた頃には、ローシュの分の料理が運ばれてきて、――”救世主”二人に挟まれた食事会が始まる。
さすがの私も、ノートPCを閉じて、話を聞かずにはいられなかった。
「ちなみに、――その、《無》とやらが手に入る世界は、なんて言うんだ」
「番号で説明するなら、”WORLD0091”。一見、何の変哲もないファンタジー系の世界だよ」
「ふーん」
0091。
これまで救ってきた世界の番号に比べると、かなり若い。
意味があるかどうかはわからないが一応、頭の隅に置いておく。
その後の会話は、――基本的に、雑談が主となった。
”金の盾”に預けられたリリー、そして巨大ロボットのその後。
親善時代で勝負した”救世主”たちの近況。
異世界に持っていくのにオススメの携行食に、便利な”異界取得物”、などなど。
本稿では敢えて触れないが、なかなか興味深い情報もちらほら。
やがて狂太郎は、ゆっくりと席を立ち、
「それでは、――ちょっと行ってくる」
と、いつも通り仕事に出向く感じで、言った。
勝手知ったるもので私はうなずき、仕事に戻る。
次に会うのは夕食時かな、などと思いつつ。
▼
ただ、その時ばかりは、私の当て推量は外れることとなった。
一週間経ち。
二週間経ち。
さらに三週間、四週間経って。
それでも狂太郎は、我が家に戻ってこなかった。
これは、狂太郎がこれまで救ってきたあらゆる世界よりも、長い。
ときどき《異世界用スマホ》を通じたメールで、
『かろうじて生きてる』
『この世界、かつてないほどつらい』
『今週だけでたぶん10キロくらい痩せた』
『帰ったら、クリスピー・クリームのドーナツを腹一杯くう』
『きみに話したいことがいっぱいある』
という愚痴っぽい一文が定期的に送られてきたため、命の心配はしていなかったが、――《無》に関する調査はどうやら、ひどく難航しているようだった。
遂に、丸々一ヶ月経って、
『今日中に《無》が見つからなかった場合は、戻る』
というメールが送られてきて。
彼が我が家に帰還したのは、その夜のことであった。
私、殺音、飢夫の三人で、きっと帰ってくるだろう狂太郎を待ちながら新作のボードゲームなどで遊んでいる、と。
「……ただいまぁ」
仲道狂太郎が、自室の扉を開け、ふらりと現れた。
その奥には、《ゲート・キー》によって作り出された異世界の扉がちらりと見えている。
「お」「きたか」「おつかれー」
気軽に声をかける三人の顔が、――すぐに固まった。
というのも、現れた狂太郎、上半身裸であったためである。
「どうしたその格好。服は?」
訊ねるが、それに関する返答は得られず。
ただ狂太郎は、《ゲート・キー》をテーブルの上に叩き付け、
「二度と行くか。あんな世界」
と、叫んだ。
普段大人しい彼がそのような発言をするのだ。――どうやら今回、ハッピーな仕事ではなかったらしい。
「とりあえず、――風呂でも入るか?」
「風呂、……風呂か」
すると彼は、なぜか自嘲気味に笑う。
「それなら、嫌というほど入ってきたから、いい。それよりみんなに、頼みたいことがある。――ぼくの手を、ぎゅっと握ってくれないか」
この申し出に、我々はそれぞれ不思議というよりは不気味な顔になる。
重ねて言うがこの男、いまは上半身、何も身につけていない。
「すまん。我ながら、異様なことを頼んでいることはわかってる。セクハラの一種だと思われても仕方がない。……だがぼくは向こうの世界で、正真正銘の狂気に触れたんだ。本当に……恐ろしい目に遭っていたんだよ」
だったら時々、こっちに帰って一休みすれば良かったのに。
その場にいた誰もがそう思ったが、――どうやら、狂太郎の妙な生真面目さが、そうした”サボり”行為を許さなかったらしい。
やむを得ず、三人を代表して彼の手を握ってやると、狂太郎はなんだか泣きそうな顔をして、「おおきに……おおきに……」と、蚊の鳴くような声で言った。
「よほどのことが、あったんだな?」
私が、内心わくわくしながら訊ねると、
「わかるか。わかってくれるか。ぼくの気持ちを汲み取って、優しい気持ちを向けてくれているんだな……ありがとう……」
と、あまりにも当然のことに感激されてしまう。
「ああ。いまぼくは、きみが心配してくれているのがわかる! 一人の感情ある人間としてのきみの思いが、伝わるよ!」
「は、はあ……」
「……そんな顔をしないでくれ。もしきみが望むなら、一時間あたり百万円払ってもいい。だから、頼む。ぼくのそばにいて、ぼくの話を聞いて、ぼくの言葉に、想ったままの言葉を言ってくれ。そうでもしないと、ぼくは……ぼくは……」
と、その時であった。
彼の両目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちたのは。
「お、おい……。らしくないぞ」
もうこうなってくると、流石に笑えない。
少なくとも、いつもの悪ノリではなさそうだ。
場合によっては、専門家の助けが必要になるかもしれない。
私たちはそれぞれ、この気の毒な中年男に手を尽くしてやることを心に決めながら、いったん席に着く。
「とりあえず、最初から話を聞かせてくれないか?」(私)
「結局、どういうとこやったんです? ”WORLD0091”って」(殺音)
「SAN値削られる系とか? ホラーゲームの世界とか」(飢夫)
矢継ぎ早の質問に、狂太郎はしばし、一時停止ボタンが押された動画のように固まった後、
「……わからん」
と、小さく言う。
「ただ、一つだけ、はっきり言えることがある。――壊れていたんだ。あの世界は、根本から壊れていた……」
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