187話 リリー

 ”食屍鬼”というとゲーム的には鈍重なイメージがあるが、アザミの村の彼らは、そうではない。少し顔色が悪いことを除けば、ほとんど生者と変わらなかった。

 肉体のダメージと、それに伴う臭いの問題は、それぞれ身体を清潔にしたり損傷部位を隠したりすることであまり目立たないようにしているらしい。


――前の仕事で見た”食屍鬼”とは、少し印象が違うな。あっちじゃ、人目を気遣う習慣がなくなっているのかもしれない。


 そうなってくるともう、労働者としては人間の上位互換と言って良い。何せ彼らには、痛覚も疲れもないのだ。

 険しい森の中を探索するのに、これほど向いている連中もなかった。


「しょせん、子供の足です。そこまで遠出はしていないでしょう」

「それはわからんぞ。相手は異世界人だ。何かの”マジック・アイテム”を持ち込んでいておかしくない。……でいてくれ」

「……むぐ」


 アザミは一瞬、頬をつねられたような顔になって、


「それってつまり、無理なのでは?」

「そこをがんばるんだ。がんばってがんばってがんばるんだよ」


 なんだかブラック企業の上司みたいなセリフだな、と思いつつ。


「そう言われても、――あっ」


 そこで、アザミが頭を抱え込むようにして、


「なんてこと。……仲間のオークが一人、やられたみたい」


 と、うわごとのように言う。


「場所はわかるか?」

「ええ。一応、現場を大きく囲い込みます」

「食屍鬼たちに、目標地点を指さすように命じてくれ。今回ばかりは、ぼくが戦う」

「は、はい」


 ”死霊術師”である彼女は、仲間の位置と状況を感覚的に理解しているらしい。


「連絡は、いつも通りで」


 狂太郎は、ポケットから予備の《異世界戦用スマホ》を取り出し、――アザミに手渡す。

 その使い方はすでに、これまで何度か起こった戦闘の際に伝えていた。

 勝手知ったる彼女はそれを受け取って、


「ではまず、隣村の方向へ」


 と、早口で告げる。


 目的地は、そっちか。

 あるいは、村人を”ゾンビ”にして時間稼ぎをするつもりかもしれない。

 ”異世界転移者”たちは”救世主”と違い、異世界間の移動が自由ではない。”抜け道”とでも言うべき場所を通って世界を移動する。”抜け道”はどうやら、各世界のランダムな地点に出現するものらしく、そこに着くまで、結構な時間が掛かるのが普通だ。

 もし、リリーがこの世界からの脱出を考えているのなら恐らく、長旅に備える必要がある。こちらを完全に撒く必要があるのだ。


 狂太郎は《すばやさ》を起動し、森を翔る。途中、雨よけ用に持ち歩いていた水中ゴーグルとスカーフで顔を覆い隠し、半ばで折れた《天上天下唯我独尊剣》を携えて。


 《すばやさ》の段階は、7。通常の百倍の速度だ。

 付近を捜索する”食屍鬼”たちを追い越し、彼らが指し示す方角へ到着する。


「…………」


 リリーの姿は、ない。

 ただその代わり、尖らせた枝先に、血で濡れた跡が観られた。


「これは……”ゾンビ”の血か」


 さっと顔色を蒼くして、《すばやさ》を下げる。

 万一、これで身体を傷つけでもしたら、それだけでもう助からないだろう。


 さすが、ずっと仲間のふりをしていただけはある。こういう時の対応策はしっかり考えていた、ということか。


 と、そこで《スマホ》の着信。電話に出ると、アザミの声だ。


『キョータローさんッ! さっき反応がなくなったオークですが、――たぶんもう、”ゾンビ”に……ッ』


 なるほど、そうか。

 そう答えようとした、次の瞬間だ。


『VAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHH』


 とでも表現すべき怒声と共に、白目を剥いたオークが、手持ちの槍を突き立てる。


「おっとッ」


 《すばやさ》を再起動しつつ、その懐に潜り込む格好で槍を回避。

 そして、大きく隙を見せた彼の後頭部を、じっと観て……、


「すまん」


 そこに《天上天下唯我独尊剣》を振り下ろした。

 剣は、豆腐を切るよりも容易く、その頭を吹き飛ばす。幸い、血はでない。血液が凝固したその断面は、まるでそういう、悪趣味な人形のようだ。


「――ッ」


 一瞬、狂太郎は、彼に黙祷を捧げるべきか、迷う。


 食屍鬼たちの顔は皆、覚えている。少しだが話したこともあった。

 アザミと心で繋がっているという彼らは、ご主人様に似たのか、気の優しい連中がほとんどだ。


――報いを受けさせる。


 そう心に決めて、この一帯の血で濡れた木の枝ブービー・トラップを折り取る。


「アザミ。この辺りの木々に、”ゾンビ”毒を塗った罠がある。大半は壊しておいたが、そちらもよく注意するように」

『なんてこと。――こ、こっちも一つ、わかったことがあります。どうやら、”食屍鬼”はゾンビ化の速度が速いみたい。恐らく、魂が完全に定着していない分、肉体を乗っ取られるのが早いのでしょう』

「わかった。食屍鬼の戦闘班を念のため、隣村に先回りさせておいてくれ」

『はい』


 そして狂太郎は、慎重にリリーの足跡を追う。


――罠は、この辺り一帯を取り囲むように張られているようだな。これはどういうつもりだ?


 ただ、なんとなくわかることがある。

 どうもこの展開、……彼女にとってかなり想定外だった、ということ。

 道中の痕跡を見るに、必要なものをバッグに詰めて、慌てて村を飛び出した、という感じだ。少しでも荷物を軽くするため、不要なものがあちこちに投げ捨ててある。

 その中に、かつてアザミが誕生日に送った押し花の栞を見つけて、少し胸が痛む。


――そこまでしなくちゃならないほど、崇高なのか。


 お前たち”転移者”の求めるものは。


 罠のある地帯を抜けると、大地が向きだしになった、拓けた場所が現れる。

 ここだけ綺麗に木々が伐採されていて、落ち葉も少ない。まるで、アクションゲームに登場する、ボスバトル専用のエリア、といった感じだ。


「リリー! 聞こえるか」


 鳥が囀る深き森に、狂太郎の低い声が響き渡った。


「もしきみが話し合いに応じるなら、決して傷つけたりはしない」


 続く言葉は、率直な願いだ。もちろん、きっと相手はそうさせてくれないだろう。

 ここで狂太郎を始末できれば結局、彼女の使命も果たせるのだから。


「……………………」


 しばしその場で待っていると、――がさ、と音がして、草むらの影から一人の少女が現れた。

 リリー。

 狂太郎、アザミを除けば、村で唯一の人間だ。


 その姿は、10歳かそこら。淡い栗色の髪以外は特徴らしい特徴のない、いかにも「普通の童女」といった感じの顔つき、――もっというと、「モブキャラ」、「いまいち萌えない娘」、「物語の背景に描かれているようなキャラ」という印象だ。


「リリー。きみが、」


 問いかける前に、


「お、おにいちゃんッ。まいごになっちゃたの! こわかったよー!」


 言って、半べそで駆け寄ってくる。

 狂太郎はすかさず《すばやさ》を起動して、さっと彼女の背後に回り込んだ。


「う、わっ! あれ? あれ?」


 一瞬前まで狂太郎がいたはずの場所でたたらを踏んで、少女はナイフを取り落とす。

 狂太郎は、苦い気持ちで彼女を見下ろし、


「きみが、”異世界転移者”だな」


 先ほど途切れた言葉の続きを口にする。

 と、少女はこちらに振り返って、


「ぶーっ。ひどいよ、おにいちゃん! だっこしてほしかったのに!」


 と、唇を尖らせた。


「いや、『ぶーっ』て……、もうきみ、そういうカワイイ感じのやつで誤魔化せるような邪悪さじゃないぞ」

「ふええっ。ひどい!」


 ひどいのはどっちだ。

 アザミの日記によるとこの娘、結構な人数を殺傷している。子供がしでかしたことだとしても、許される範囲を遙かに逸脱していた。


「……ええと。一応聞いておく。これからきみ、――殴ったり蹴ったり、なんかいろいろ手を尽くしたりして、やりあうつもりかい」

「んー。そうね」


 少女は、洋服を選ぶように迷って見せた後、


「ぼうりょくは、にがてなんだけど。ちょっとだけ、ためしてみようかな」


 と、不敵な笑みを浮かべる。


 その時だった。


 ごうん、と。


 狂太郎の足元が大きく揺れたのは。

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