115話 換金と昼食
午の刻。昼食どき。
辺りでは、年端も行かない娘たちが走り回っている。
”昼見世”と呼ばれるこの時間、夜の熟睡を許されない遊女たちは、仮眠を取ったり部屋の掃除をしたり、化粧をしたりしているのが通例になっていた。
手伝いを終えた少女たちはそれぞれ皆、人間族らしく、その平均年齢は7~9歳くらいだろうか。体力に溢れた子供たちは、空いた時間を鬼ごっこに興じている。
狂太郎は、
――この子たちも客を取るのかな。
と、少し暗澹たる気持ちになった。
その感情を読み取ったらしく、飢夫が、
「彼女たちなら、“
「そうなのか」
「うん。あくまで我々の世界の吉原の話だけれど。ちなみに、彼女たちが最初に客を取ることを“水揚げ”という。“水揚げ”はね。……なんと、我々みたいな、中年のおっさんがすることが多かったんだってさ」
「マジか」
「うん。若い男はガツガツして処女を潰しかねないから、慣れた手管の大人が選ばれやすいんだって」
「ふーん……」
友人の謎トリビアに驚いていると、
「最近、漫画を読んだんだよ。
「そっか」
あの家にいると、無駄知識が山ほど手に入る。
これもその一環だということだろう。
狂太郎、飢夫、殺音の順番で廓の廊下を進み、軋む階段を降りる。
するとすぐに、来客用の居間と主人用の休憩室を兼ねた一室が見えた。
狂太郎たちが襖をノックすると、
「あいよー」
と、中から返答がある。
襖を開けて、中を覗き込むと例の、性別不明な見世の主人が煙管をぷかぷか吸っていて、何やら書き物の仕事をしていた。よくみると、使っているのは我々の世界でも有名な、Pelicanの万年筆だ。一度筆者も買おうとしたが「ペンごときに十万も払うとかアホか。牛角行こう」と思って止めた、高級なやつ。
「失礼します。……あの、ここで換金できると聞いたのですが」
「ん。わかった」
主人は、鷹揚な仕草で目の前の小箱からコンピューター印刷された一覧表を取り出し、その中にある『日本銀行券』を指し示す。
「今の相場はこんくらい。どーするね?」
「10日間、ここで生活に困らないくらいの額はどれくらいです」
一応狂太郎は、ここに来るとき、仕事報酬である100万円入りの封筒を持ってきている。とりあえずこれで足りなくなるということはないはずだ。
「そりゃ、どれくらい遊ぶかにもよるけど」
「大変申し訳ないんですが、自分は上客にはなれそうにありません。ただ、この世界をのんびり観光できれば、それでいい」
「観光だけ? わざわざヨシワラにきて?」
「ええ」
「ふーん。変わった客だ」
廓の主人は一瞬、「まあ、無理だろうけど」と言わんばかりの顔をして、
「そんなら、屋台そば一杯がこれくらいだ」
指し示されたのは、およそ一食当たり百円あれば事足りるであろう額である。
「なあ、狂太郎はん」
と、そこで殺音が口を挟む。
「せっかく来たんやし、美味しいもの食べるくらい、ええと思う」
「ま、そうだな」
何だかんだで彼女も、旅行に乗り気になってきているらしい。
「そんなら、うちの台屋に頼んでおこう。普通に店で食うより、価格もリーズナブルになるはずだ」
「おおきに」
「料理は、朝と夜の準備でええかい」
「はい。昼は自分たちで食べますよってに」
「時間は」
「朝は七時と、午後八時で。全員」
テキパキと決めていく旅行の予定。
朝は早すぎて夜は遅すぎる気がしたが、彼女の指示に任せておく。
男二人はなんとなく、若い娘のワガママに従う義務があると思っていた。
しかしこのやり口、――どうも彼女、出先での生活には慣れているらしい。
食事の間を長く取ることで、少しでも旅行先のご馳走を腹に詰め込もうという作戦だ。これで彼女、まるで太っていないのだから羨ましい。
「それと、この辺でうまいお肉を出すお店、あります?」
「肉? なんの肉がいい?」
「ちなみにこの世界、獣肉を食べる習慣は」
「あるよ。昔はダメだったけど、――今やこの街、世界中の人間どころか、異世界人まで受け入れてる始末だからね」
――どうもこの世界、色んな異世界人が来訪するのが当たり前、みたいだな。
さすが、あの天使たちが行きつけとするだけはある。
「ほな、牛肉、豚肉……そういうので。この世界ならではのものなら、なおよし」
「この世界ならでは、――そうだねえ。いいだろ。だったら良い焼き肉屋のアテがある」
「昼から、焼肉……」
「今のうちに食っときな。どーせあんたら、夜はまともに食えないんだから」
そして、手慣れた手つきでその店名と住所、道順を書き込む。
「助かります」
そして殺音は、必要な額だけを銀貨を手に入れて、それを財布にじゃらりと突っこんだ。
「最後に」
「ん?」
「女性の権利を蹂躙するタイプの娯楽以外で、この街で楽しめるところは?」
と、作り笑顔のまま、突き刺すような一言。
――おいおい。
多分やらかすだろうと思っていた狂太郎が、どうこの場を取り繕うべきか考える。
だが、見世の主人も手慣れたもので、
「そんなふうに言えるってことは、――お嬢ちゃんの住む世界はきっと、いいとこなんだろうね。自分が奴隷じゃないと信じられるってぇのは、いいことだ」
「どういう意味です?」
「この仕事をしてきて、いろんな異世界人を見てきたが。結局のとこ、人間はどこも一緒さ。使う人間、使われる人間。その二種類しかない。その二種類が、色んな名前で呼ばれてる。みんながみんな、それでも自分は、他よりマシだと信じ込まされて、ね」
「……む。――つまりあんさん、こういいたいわけ? 結局、使われる側の人間ちゅうのは、奴隷と変わらん、と」
「うふふ」
あ、いかん。殺音ちゃん、怒涛の反論が始まる。
狂太郎と飢夫は一瞬にしてそれを察して、
「あーっと殺音ッ! ぼく、腹がすいたな! もうどうしようもないくらい!」
「そうそう! わたしもはらぺこだよ。さっさと行こうぜ」
険しい表情の殺音の意識を逸らす。
「……ま。こっちでよさげな観光スポットは、見繕っておく」
と、見世の主人。
彼女は渋い顔で、
「……あんさん、お名前は?」
「みんなからは、ローシュって呼ばれてる」
「では、ローシュさん。うちらどうやら、そのうちまたお話せなあかんようですねえ」
うちの《こうげき》スキル持ちはどうも、喧嘩っ早くていけない。
彼女を半ば強引にローシュから引き剥がし、一行は早足でその場を立ち去る。
「しょうがないやつだな」
言いながら狂太郎の脳裏には、先ほどローシュさんがさりげなく口にした、
――夜はまともに食えない。
というセリフが頭に残っている。
「やれやれ。我々は一体、何をやらされるんだろうな」
▼
それから、ローシュの案内で向かった“焼肉屋”にて。
「あの性悪……ッ」
殺音は改めて、眉間の皺を寄せている。
彼女が怒るのも無理はなかった。
その店の正体は、――“
それだけならまあ、実を言うと想像の範疇であった。
異世界において、魔物の特性を利用した料理というのは珍しくない。
だがこの場所において特殊だったのは、その、“サラマンダー”という種族のデザインにある。
なんだか知らんがこの世界の動物、どれをとっても妙に肉感的、というか。エロすぎるというか。
あらゆる動物のデザインが、男の欲望に従事するために作られている、というべきか。
「さすが、エロゲーの世界だねえ」
色物好きの飢夫も、これには流石に苦笑い。
まず、彼らの目の前には、四人がけの席がある。
そしてその中央に、ちょっと変わったコスプレをした感じのお姉さんが横になっていた。
彼女の肌はどうやら、謎の魔法的パワーによって高熱になっているらしく、『お触り厳禁(火傷します)』という札が各席に貼られている。
どうやらこれから、彼女の熱い肌の上に肉を載せて、ほどよく焼けたタイミングを見計らって食べるらしい。
もうその絵面を想像するだけでわかるだろうが、――要するにそれは、女体盛りそのものであった。
「これは流石に……ひくなあ」
狂太郎は常々、思っている。
食と性欲を同時に楽しむ輩の気がしれない、と。
彼はわりとその辺、お上品なタチだった。
「あ、あにょお……なんか私、お気に召しませんかぁ?」
席に着いた時点で揃って苦い顔をし始めたお客に、テーブル中央で寝転がるサラマンダー娘が尋ねる。
ウェーブがかかったクセのある黒髪に、にょっきりと生えた角。そして乳と陰部だけを鱗で隠した、危うい格好。――いかにもエッチな店のコスプレお姉さん、という感じ。
「ああいや、きみは別に、悪くないんだが」
「じゃ、じゃ、じゃあ! ご注文ください! 私、一生懸命頑張って焼きますから!」
「う、うん……」
席に着くまでにこの事態に気付いて、早々に引き返すべきだったのだ。
だが時すでに遅し。店が個室制で、なおかつ妙に暗い照明であったことも手伝って、狂太郎たちはなんとなく店の奥にまで案内されてしまっている。しかも「ローシュさんの案内」ということで、どうやらVIP待遇らしい。
こうなってくると、人の期待を断れない“救世主”たちの性質が、途中退出を許さない。
「うち、サラダだけでいい」と、殺音。
「じゃ、ぼくはこの……なんか、ランチセット」と、狂太郎。
「わたし、お肉盛り合わせとご飯大盛りー」と、飢夫。
昼食が始まった。
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