114話 幸運のわんこ
襖の向こう、――そこにいたのは。
一匹の柴犬、であった。
アーモンド型の目玉が特徴的な、どこにでもいるわんこである。
なお、柴犬には大まかに、狐顔と狸顔がいるとされているが、この犬は前者だ。どこか理知的な表情をしていて、油断ならない雰囲気をまとっている。
「えーっと。あれ?」
狂太郎は一瞬だけ眉をしかめて、廊下から外を覗き込む。
人影は、ない。
わんこは黙ったまま(当たり前だが)、すたすたと室内へと入り込み、狂太郎が座っていた座布団に、ぽすんと座り込んだ。
「あら、かわいい」
殺音がその背中を撫でる。わんこはされるがまま。「よきにはからえ」という感じ。
「おい、汚いぞ。どこの野良犬かもわからない」
「でもないで。この子、石けんの匂いがする」
言いながら、殺音はちょっぴり、その毛皮の匂いを嗅ぐ。わんこはちょっぴり厭な顔をする。だがやがて、「敢えて許そう」とばかりに目をつぶった。
その仕草たるや、どこか気品すら感じられる。
「こいつ、ここの廓で飼われてるやつか?」
すると天使たち、揃ってにやにやと笑みを浮かべて、
「いーや。違うぜ。彼女は、おまえらの同僚、――《こううん》スキル持ちの”日雇い救世主”だ。ちなみに、名はマイヒメ。年は五歳だ」
「えっ。この犬が?」
「おうとも」
「……誰かが化けてる、とか?」
「いや。生まれつきこの姿だと思うぜ」
狂太郎、すこし眉間を揉んで、
「……マジで言ってる? 冗談じゃなくて?」
先ほど、「空前絶後の優秀さ」と呼ばれたのが馬鹿馬鹿しく感じられる。自分たちは犬と比べられていたのか。
「あ! おまえ、こいつを嘗めてるな? 言っとくがマイヒメはただの犬じゃないぜ。――こいつは、おまえらの世界よりもよっぽど進んだ科学力の世界の出身でな。そこで生まれた、スーパードッグってやつなんだ。普通の人間より、よっぽど立派な脳みそもってるんだぜ」
「えー。ほんとぉ?」
狂太郎は疑い深く、自分の席を奪い取った畜生を見下ろす。
犬は、貴族階級の人間が安売りの奴隷を眺めているような、実につまらなそうな表情をこちらに向けた後、――再び、目をつぶった。恐らく、殺音の全身マッサージが心地よかったためである。
「……ペットショップにいる犬と、大差ないように見えるがなあ。ちなみにこいつ、しゃべるのか?」
「わからん」
「わからんって……」
「そもそも、こいつが鳴いたところを見たことがないな、オレサマ。犬を基準にしても、無口なやつなのさ」
「それでよく、仕事が勤まるな」
「そりゃもう。言った通り、ちゃんと話は聞いてるからな」
そこでマイヒメは、くああああああ、と、大あくびをした。
そして、お腹を殺音の方に向けて、「こちら側も撫でよ」と暗に命じてくる。
殺音も殺音で、にこにこでその指示に従った。
「よーしよしよしよし! ええ子やなあ、マイヒメはー! うふふふふふ!」
わんこの口元には、間抜けた笑みが。
その時、狂太郎の脳裏に、とある「物語」が浮かんできた。。
――こいつは正真正銘、本当に、ただの犬で。
――実は、これまでの仕事は、《こううん》スキルがうまいこと作用していたからで。
――ぶっちゃけこいつ的には異世界で散歩してるだけなのだが、勝手に”終末因子”が自滅していた、とか。
――まさかな。
狂太郎は、いま頭の中に浮かんだ想像を慌てて打ち消す。
もしそれが事実なら、いつもあれこれ考えながら異世界を救済している自分たちがアホみたいじゃないか。
長い嘆息の後、狂太郎は彼女の隣に(座布団なしで)座って、
「ところで、これで面子が揃ったと思うんだが。この後、どうなる?」
「そうだな。一応……今回の旅行の決まり事を話しておこうと思って。おめーら異世界人は、じょーしきってもんをわきまえてないからな。”慰安旅行九条”というものを伝えなくてはならない」
「九条?」
「うん」
そうして彼が口にしたのは、以下の条項であった。
▼
『エッヂ&マジック 慰安旅行規定』
第一条 この規定は、従業員相互の親睦をはかり、鋭気を養うための慰安旅行についての定めである。
第二条 慰安旅行は、本社の関係者であれば誰でも参加できる。
第三条 慰安旅行は、原則10日間行われる。
第四条 慰安旅行は、実行委員を選出し、その者の指示に従う。
第五条 慰安旅行中は原則、転移したその世界のルールに従うこと。
実行委員は、旅行会場となる世界のルールについて熟知しておくこと。
第六条 慰安旅行に”日雇い”身分の異世界人を連れていく場合、忘れずその者のスキルを起動状態にしておくこと。
第七条 ”日雇い”身分の異世界の管理は、担当者が責任を持って行うこと。
第八条 慰安旅行は、以下の工程を必ず全参加者で協力した上、行うこと。
① 二日間に渡って行われる、他業者との合同飲み会 及び 催し物の協力。
② 九日目 夜に行われる打ち上げ。
これ以外は原則、自由時間とする。
第九条 慰安旅行の費用として、毎月10,000円を給与より控除する。
なお、旅行の不参加者にもこの費用は返還しない。
以上。
▼
「……きみら、社員旅行のために毎月一万も取られてるのか」
「はっはっは。オレサマががめつい理由、わかってくれた?」
「ナインくん。ぼくははじめて、きみに同情してるよ」
「へへへ……」
ナインの目に、ちょっとだけ涙がにじんでいる。
「でもなあ! その分オレサマたちは、この旅行をたっぷり楽しむ。悪いがおまえら、協力してもらうぞ」
「ねえ、ひとつ聞いて良い? ――合同飲み会、ってのはいいんだけど、その後の”催し物”って?」
訊ねたのは、飢夫であった。
「あんまり大がかりなことやらされるなら、いちおう、事務所通してもらいたいんだけど」
ナインくん、少し妙な顔になって、
「……ああ? ……ああ。そーいやお前、プロなんだっけ?」
「うん。っていうかそもそもわたし、顔出しNGなんだけど」
「え。ええええっと。でも……まあ! いいじゃん! 身内のノリってことでさ! 細かいこと気にしない方向で!」
「ええええええええ……」
「頼むよぉ! ここはオレサマの顔を立てると思って! な?」
「困ったなぁ」
「どーせ異世界だ! そっちの仕事の邪魔にゃあならんって」
確かに、それはそうかもしれない。
だが、通すべき筋というものがあると思うのだが。
その辺を軽視する感じも、――こいつらの会社がブラックっぽい証拠である。
狂太郎は彼の肩に手を当てて、
「言っとくが飢夫は、向こうの方が本業なんだぞ」
「わーかってる、わかってる!」
ナインくんは羽根をぱたぱたと揺さぶって、
「そのへん、いろいろ考えておくからさ。だいじょーぶだいじょーぶ」
「たのむよぉ? ――ところでその催し物って、どういうものなの?」
「大したもんじゃない。一発芸を見せるようなもんさ」
ほらみろ。
絶対こうなるんだ。慰安旅行なんてろくなもんじゃない。
狂太郎がそういう顔をしていると、
「まあ、気負わなくていいぜ。別に、変なネタだしなんてしなくていい。言われるがまま、雰囲気に合わせりゃいいのさ」
「……そうなのか?」
それなら、少しは気が楽だが。
そこで三人、揃って時計を見る。
どうやらその”催し物”まで、たっぷり六時間はあるらしい。
「それじゃ、我々はとりあえず……昼飯、でもいくか」
仲間に尋ねると、畜生を除く二人は、揃ってこくりと首肯する。
「あ! 飯いくならそのまえに、換金しとけよ。言っとくが、日本銀行券なんて役に立たないぞ」
「どこでできる?」
「さっきすれ違った、廓の主人に言えば良い。管理はあの人に任せてる。あと、個人部屋の鍵もその人から受け取っとけ」
「……わかった」
そうして三人、ぞろぞろと部屋を出て行く。
昼前の廓は、いまちょうど休憩時間に入った頃合いだ。
あたりはずいぶんと、騒がしくなっていた。
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