109話 大親友エンド

 そして二人は今、ヴェルサイユ宮殿の隠し通路奥にて、息を潜めている。


 かつてマリー・アントワネットが使って命拾いしたことで有名なその場所は、人目を忍ぶにはうってつけ、であった。

 周囲はがたごとと騒がしく、あちらこちらから怒声が聞こえている。

 狂太郎はというと、オペラ座の怪人を思わせる風体で、少女をその腕にかき抱き、


「なんやかや、逃亡犯が捕まる理由がよくわかったよ」


 と、嘆息した。


「正常性バイアスってやつだろうな。人間、自分にとって都合の悪い情報はついついスルーしてしまう」


 例えば、世の中の情勢から目を逸らしてずーっとアニメ観たいたり、とか。


「確かに、たった数日無事だっただけで私たち、少々、はっちゃけすぎたかもしれませんねぇ」


 狂太郎の胸板にぎゅうぎゅうほっぺたをひっつけながら、”ああああ”は虚ろな眼をしている。

 ちなみに二人とも、すでにカツラを捨てている。さすがに、二人揃ってド派手なピンク色はやりすぎた。

 意外と、目立っていた方がうまくいくのではないかと思ったのだ。


――まさか、あの派手な仮装の二人組が逃亡中の犯人だったなんて! 意外!


 みたいな漫画的展開を狙いすぎたのかもしれない。

 だが、違った。世界中の逃亡犯に伝えたい。目立つ格好は職質される確率が高いから、実際すぐ捕まる、と。


「んもー。これからどうするんですか? 強行突破します?」

「と、思ったんだが、難しそうだなぁ。やつらも馬鹿じゃない。ちゃんと対策を練ってきてるらしい」


 狂太郎はここに来るまでに、電磁ネットのようなものを見かけている。作物を荒らす野生動物に使う網を改良したものであろう。

 連中、こっちが宮殿内をのんびり見学しているうちに電磁ネットをあちこちに張り巡らせ、逃げ道を完全に塞いでいたようだ。

 絶体絶命、というやつである。


「はあ。こりゃ覚悟を決めて、いっかい捕まるしかないか」

「捕まった後は、どうなるんです?」

「わからん。だが、一ヶ月は待ちになるな」

「それじゃあまずいですよ……! いまってこの世界の人……なんか、ものすごく命を軽んじてる感じになってますし」

「それもこれも、きみが考えを改めないからなんだが」

「だからその話は、ここ数日で何度もしたでしょうに」


 少女が、「うんざり」という顔を向ける。


「私だって、ちょっと自分がつまらない思いをするだけで世の中が平穏無事なら、別にそれでいいと思ってますよ。

 でも……、そうじゃない。でしょ?」


 厄介な問題である。

 この”終末因子”が世界に悪影響を与えている原因は、「退屈」にあるのだ。


「でも、この一週間は結構、楽しかったんじゃないのか」


 すると少女は、唇を尖らせて、


「そりゃそうですけど。でもこの数日はずっと、私であって、私でなかった、といいますか……」

「まあ、な」


 この、十日あまりの出来事は、”特別”だ。

 同じ想いを繰り返すことなど、できないだろう。

 彼女はもう、この世界ではあまりにも有名になりすぎている。


「もし、狂太郎さんが私と……その。ずっと一緒にいてくれるとかなら、話は別ですが……?」

「すまん。それは無理だ。だいたい、ぼくには好きな人がいる」

「でしょー?」


 彼女が思い描いている人と、彼の思い描いている人は違うらしいが、あえて訂正はしない。


「困ったなあ。――ねえ救世主メシアさん。例えば、私が犠牲になることで、事態が解決したり、とかは……」


 今度は、狂太郎の方が「うんざり」という顔になる。


「その話、何度もしただろ。そうなっても何も解決はしない」


 実を言うと、これは嘘だ。

 ”終末因子”を取り除けば、この社会はきっと、再び正常な働きを取り戻すだろう。

 とはいえ狂太郎も、まったく何の罪もない彼女を犠牲にできるほどのエゴイストではない。


 その時ふいに、室内へ数人の警官たちが雪崩れ込んだ。

 二人、そっと身を寄せ合う。彼らはこちらに気付いていない。クローゼット裏の死角に身を隠しているためだ。

 連中、汚い土足でどたどたと歴史的建造物の上を走り回っている。狂太郎はもう、それだけで少し嫌な気持ちになっていた。

 彼らは揃って武装しており、――正直、《すばやさ》が制限されている状態でその前に飛び出したくはない。

 もちろん、この世界の住民の特質上、下手な鉄砲は撃たないだろうが……。


 腕の中の少女が、「どーします?」と、目だけで訴えかけている。

 狂太郎はしばし考えた後、……《すばやさ》の起動を覚悟する。

 やろうと思えば《天上天下唯我独尊剣》でこの状況を切り抜けることもできるだろうが、


――まあ結果、死んだら死んだで、その時だ。飢夫ならなんとかするだろ。


 と、単純に思って、それはしない。

 

「……………すー。はーっ」

 

 深呼吸をして、捕まる覚悟を固める。

 そして、スキルを起動する――その時であった。


「?」


 警官隊が皆、そろって動きを止めて、……いったん、来た道を引き返したのは。

 彼らは再び、どたどたと足音を立てて部屋を出て行ってしまう。


「なんで……?」


 不思議そうな表情の”ああああ”に、狂太郎は応える。


「あるいは、――飢夫が何かしたのかもしれない」



 狂太郎の推測は正しかった。

 全ては、――飢夫の努力が実を結んだ結果である。

 帰還後、彼は「あまり活躍できなかった」と謙遜したが、実際のところそれは、なかなか大したことであったように思う。


 警官隊が引き上げたその場に、そっと残されていたのは、――手書きと思しき、一枚の便せんであった。


「……?」


 狂太郎は、慎重にそれに近づき、足先でちょんちょんと触れた後、


「なんだこれ」

「手紙に、見えますが」

「なんでこんなものが。――なんかの罠かな?」

「そんな回りくどいことする必要、ないでしょ。彼らは”オオカミ族”です。我々がここにいることは気付いていたはず」


 言って、


「っていうかこの便せんの柄、どこかで観たことが……」


 そして、「あ」と、短く声を上げる。

 そして”ああああ”は、その手紙をゆっくりと開いた。


『どーも ”ああああ”ちゃん。

 わたし ああああちゃんに どーしても つたえたいこと あるにゃ。

 それできょう おてがみを かきました。


 というのも わたし ああああちゃんと おわかれ しなくちゃ ならないにゃ。

 あ! べつに ああああちゃんのこと キラいに なったわけじゃないにゃ! わたしたちの ゆうじょうは えいえんだよ!


 でも ネコガミさんが しんじゃって。

 やっぱり このしまに いるのは ちょっぴりつらいから。


 ここで ひとつ。

 ああああちゃんに いいわけ してもいい?


 しまの みんなは たしかに ちょっぴり おかしくなってる。

 わたしも ネコガミさんが ギセイになるって きまったとき

 たくさんたくさん いやがったよ。

 でも みんなは こういうの。


 せかいが へいわなのは あなたが せかいを すきだから。

 あなたが せかいを きらいになったら またせかいは おかしくなっちゃうって。


 でもわたし おもうの。

 そんなへいわなんて さいしょから いらなかったんじゃ ないかって。


 わたし ちょっぴり ついて いけないや。


 だから わたし あたらしいばしょで あたらしいいっぽを ふみだしたい!


 おもえば このしまでは いろんなことが ありました。

 いいことも わるいことも。

 でも いまでは そのすべてが すてきな おもいで です。


 ああああちゃんには はじめて あったときから たくさんたくさん やさしくしてくれて うれしかったよ。

 だから わたしも つぎのばしょでは だれかに やさしく するからね。


                 わたしを わすれないで ニャーコ』


 その、瞬間である。

 ”ああああ”をぐるりと取り囲むように、”エンディングロール”が出現したのは。

 白く輝く文字列が、まるで降り注ぐ雪のようにゆっくりと流れていく。


「……おやおや?」


 少女の反応が淡泊なのは、それが人生で何度目かの経験だからであろう。

 だが、狂太郎の方は、ひそかに舌を巻いていた。


 これを起こした、とある新米救世主メシアの仕事に。


――大したやつだな。ぼくの友だちは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る