107話 彼女のともだち
その後、ファストフード店の店主は身銭を切ってまで飢夫のために尽くしたと言うから、この男の交渉術は侮れない。
いずれにせよ飢夫は、一分につき一万円はかかるという”神の子”の棲まう島へ、直通電話をかけることができたという。
電話口に出たのが、顔見知りでもある”オオカミ族”の青年であったためだろう。その後の展開は早かった。
「ニャーコさんを出して下さい」
その一言で、今やあの広い”三日月館”にたった一人で暮らしているのその人を、電話口に呼び出すことができたのである。
『なんです、にゃ?』
声には、明らかに覇気がなかった。
だが完全に気力が失われたわけではないことを知っている。
彼女が狂太郎の乗る飛行機に飛びかかった映像は、ニュースでも何度となくリピート再生されているためだ。
もちろんその時に彼女が発した言葉、
――だからお願い。また、……一緒に、遊ぼうよ。
という声も、テレビ越しに聞いている。
『あなたってたしか……あれ、にゃね。自称”救世主”さんのオトモダチの……』
「うん」
この子は、狂太郎を”悪魔”とは呼ばないんだな。
『あの、その。それで聞きたいんだけど、彼と――”ああああ”はいま、どーしてるにゃ?』
「知らない。ただ二人ともきっと、仲良くやってると思うよ」
『ほんと、にゃ?』
「うん。これは、同業であるわたしから保障しておくけれど、我々みたいな身分の者が彼女を傷つけるような展開は、ちょっと想像できないな」
これはちょっとだけ話を盛っている。
もし、”ああああ”のそばにいる”日雇い救世主”が狂太郎以外の誰かなら、きっと彼女は無事ではすまされないだろう。そう思えたためだ。
『そう。……それなら、一安心だけど、にゃ』
「ところで、現状を解決する手っ取り早い手が一つあるんだけどきみ、乗るかい」
『手っ取り早い、手?』
「うん。たぶん、これが最も早いと思う」
『それをしたら、”ああああ”は戻ってくるの?』
「すぐに、戻るとは思えない。ただ、帰還は間違いなく早まると思う」
『早まるって、どれくらい?』
「三週間はカタいね」
『やる、にゃ』
さすが決断の人。
愛する人を”神の子”に差し出しても、強く心を保っていた娘だ。
『でも、一つ教えて』
「ん?」
『なんで、私なんにゃ? 島には、もっともっとたくさん人がいるのに』
「単純だよ。――いまこの世界で、彼女の助けになるのは、きみだけなんだよ」
『え』
「きみはほら、”ああああ”にとって、特別な存在なんだろ?」
『そう……にゃの?』
「自覚がないとは驚きだな。少なくとも、この世界で最も好感度の高い住人がきみだということはわかってる」
『どうして?』
「まず、一点。きみはあの島で唯一の既婚者であるということ」
これはゲーム・メタ的な話になるが、あの島の住人同士は恐らく、自由に結婚したり恋人同士になったりすることができないのだと思われる。あるいは、する気にならない、と言うべきか。
『かいもり』はコミュニケーション・ゲームだ。で、あるが故に、島民との関係性は常に、ゲーム的に操作できるものでなければならない。ゲームの電源を切っている間に島民同士がくっついたり離れたり、複雑な人間模様を送るわけにはいかないのだ。
故に本作で島民同士が特別な関係になるとき、まずプレイヤーの赦しが必要になる。
ゲーム的には、
――ねえねえ○○ちゃん! 私、×××くんとお付き合いしようと思うんだけど、どうかな?
というような問いかけにイエスと応えた場合のみ、そのキャラクターたちは交際を始めるのである。
あの島で、既婚者はニャーコしかいなかった。
これはつまり、”ああああ”なりに、彼女の幸福を願った過去があるということになる。それも、ただ願っただけではない。プレイヤーが結婚イベントを起こしたいとき、多額のご祝儀を贈らなければならない。これははっきりいって、ゲームを遊ぶ上では完全に無駄な出費となる。
”ああああ”がそれだけのことをしたということは、彼女なりにニャーコのことを大切に思っていた証拠だ。
残念なことに、――話を聞いた感じ、ニャーコ側は無自覚でいるようだが。
理解できないこともない。
――陰キャの愛情表現は、……とても迂遠だからな。
その時、飢夫の頭に浮かんでいたのは、狂太郎の凶相であったという。
思えばあいつも、似たようなものだ。
本当に好きな人にはだけ、自分の気持ちを伝えられない。
『……もう一つは?』
「きみにだけヘンテコな語尾があること」
『ご、び……?』
「うん。――これは詳細を省くけど、結論だけ言うときみは、”ああああ”にとっての”仲良しイベント”をこなしている唯一のキャラクターなんだ」
『……………?』
説明になってない。
そんな心の声が聞こえてきそうな間であったが、――彼女なりに、言葉を呑み込んだらしい。
そして結局、彼女は自分にできる最適な行動をとる。
『わかったにゃ。もともと、あの娘のために何もかも投げ出した身、にゃ。なんでもするよ』
「よし。――それじゃ、……」
そして飢夫は彼女に”隠しエンディング”を発生させるに必要な条件を口にする。
すると、電話越しの彼女は、いかにも嫌そうに、
『ええと。……まじで言ってる? それ』
「うん。できれば急いで欲しい。万一の場合、手遅れということもある」
『……わかった、にゃ』
それきり、電話が切れた。
余談だが、二人が会話に使った時間は、およそ一時間ほど。
我々の世界換算で、60万円。
たぶんファストフード店の店長が支払う金額としては、少なくない額である、はずだが。
不思議と彼の表情に、これっぽっちも後悔は見られなかったという。
余談だが筆者の手元に、帰還前、店主が一方的に渡してきた手紙を翻訳したものがある。
ここに全文を掲載しておこう。
『君みたいな子が生まれてきたこと。その喜びのお裾分けをもらった。
それだけで、投資の価値は十分だったと思う。
単刀直入に言わせてもらっていいかな? ウエオきゅん愛してるぞおおおおおお(ps.厄介野ウサギだと思われてそうですが失礼!
ちなみに、君がこの手紙を読んでいるころには、あまりの恥ずかしさにユニバーサル大回転うさうさの舞しながらベットの上で暴れてると思う。
最後に一言! 本当にいつもありがとう!!!
自分のような野ウサギを大切に思ってくれる姿勢、冗談抜きで本当に好き!
応援してるぞ!』
飢夫の自己評価は正しかった。
彼に、《みりょく》スキルは必要ない。
最初から持ち合わせている。
▼
それから、少し時間が経過して。
とあるニュースが、世界中を賑わせることになる。
その内容とは要するに、仲道狂太郎と”ああああ”の足取りが掴めたことを公表するものであった。
二人が、逃走劇の間に何をしていたかというと、のんきにルーブル美術館を歩いたり、エッフェル塔を観光したり、テュイルリー公園の移動遊園地で遊んだりと、パリでの生活を思いっきり満喫していたらしい。
ちなみに旅行中の格好は、ウィッグに付けひげ、オシャレなサングラスにアロハシャツという、いかにもな変装。すべて《すばやさ》による盗品であるため、すぐさま足が着くこともなかったというが。
――案外、堂々としてたらバレないものだったよ。
とは、帰還後の弁。
ある日など、シャンゼリゼ通りに戻って飛行機の着陸痕を観察したり、その場でマカロンの食べ歩きなどもしたらしい。
――逃亡期間中だけで、あの世界のパリにある甘いものは片っ端から喰ったな。お陰で三キロも太ったよ。
美味しい思いをしたというべきか。
無駄に時間を過ごしたと言うべきか。
いずれにせよ狂太郎は、遊んでいるつもりはなかった。
同行者である”ああああ”が、これで気持ちを変えてくれれば、儲けものだと想っていたのである。
だが、彼女の心に根付いた不信感は、その程度で拭い去れるものではなかったという。
故に結局、だらだらと街での暮らしを続ける羽目になったわけだ。
なお、二人が周囲を完全に包囲されていることに気付いたのは、ヴェルサイユ宮殿を観光していた時のこと。
宮殿内に仕掛けられた、マリー・アントワネットが使ったとされる秘密の部屋を見学している最中であった。
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