104話 緊急着陸

 その後の逃走劇は、ちょっとした旅行気分になった。

 何せこの、玩具のような飛行機、……狂太郎の想定を遥かに上回る優秀な性能で、たった一度の充電(なんとこちら、電気エネルギーで動く)でふわふわゆらゆら、一万五千キロは飛ぶという。

 一万五千キロというと、地球一周の八分の三ほどの距離だ。

 これだけ飛べれば、この世界の日本観光をしたくなるところだが、さすがにそこまで暇ではない。

 やむを得ず狂太郎は、ヨーロッパ上空を領空侵犯しながら、ぼんやりと空を進んでいた。


 そんなこんなで、現在パリ上空。

 眼下に凱旋門が見える状態だ。

 見上げるパリジェンヌの顔はやはり、多種多様である。

 ありとあらゆる動物を擬人化した人々が、なんだか眩しいものを見上げるような顔でこちらを見ていた。


「この後……どうしますか?」


 ”ああああ”が、嘆息混じりに訊ねる。

 島を出て、すでに八時間が経過していた。いい加減、停滞したこの状況に飽き飽きしているらしい。何よりこの飛行機、かなり手狭だ。


「そうだな。エコノミークラス症候群になる前に――パリのどこかで降りようか」

「おや。本気です?」

「うん。このまま飛行を続けても、いずれはどこかで着陸する羽目になる。それなら、さっさと人混みに紛れた方が良い」

「うまくいくでしょうか?」

「大丈夫。逃げ足には自信があるんだ」

「そう、――ですか」


 狂太郎は、自分たちを取り囲むように飛ぶ、数機の飛行機を眺めた。

 どいつもこいつも、手出ししたくでうずうずしていることはわかる。だが、それはできない。こちらは連中の”大切な人”を預かっているから。


――なんだか、大犯罪者になった気分だ。


 気分、というか、この世界の住人にとっては事実、そうなのだろうが。


「それに、――そろそろ温かいものが食べたい。そうだろ?」

「ええ」


 ”ああああ”は、飛行機のダストボックスに溢れそうになっているポテトチップスの袋を見て、ため息を吐く。


「あのぉ」


 と、そこで口を挟んだのは、”ダチョウ族”の少年だった。彼は気弱そうな顔つきで、


「それなら、考えが、あるっす」

「ほう?」

「そこに、緊急用のパラシュートがある。……っす」

「それで脱出しろ、と?」

「いや。そんな真似したら、地上の連中に取り囲まれて終わりだ」

「それなら、――」

「最後まで聞いてくれ。このパラシュートは、身体の不自由な人のために、自動で開く機構になっている。これに、うまく布を巻き付けて外に出せば……」

「……まあ、周囲の何機かは、そっちに引きつけられるかもな」

「さらに、自分が手動操作で緊急着陸を行う。その後、お二方が逃げ出せば、追っ手も最小限度に抑えられるのでは、ないだろうか」

「……」


 狂太郎、しばしこの若者を見つめていると、


「あ、その、ちなみに緊急着陸は、機械操作では行えない。こ、この中でそれができるのは、自分だけ、かと」

「信頼していいのかい」

「も、もちろん」

「だが、どうして気が変わった? きみだって、彼女を連れ出すのには反対なんだろ」

「ああ、そうさ」


 少年は、彼らしい純粋さで答えた。


「”ああああ”さんは、世界の宝だ。彼女が現れて、島に居住を始めてから――世界から戦争が、すっかりなくなったんだ。まるで彼女を中心に、優しさの輪が広がっていくみたいに」


 そして彼は、イエス・キリストに跪く敬虔な信徒のように頭を垂れてから、狂太郎に向き直る。


「なあ、あんた。あんた本当に、こことは違う……異世界から来たんだよな?」

「ああ」

「そんで、このままだと世界が滅びちまうから、”ああああ”ちゃんを攫いに来た、と」

「そうだ。全部、説明したとおりだ」


 イギリスからフランスまで、ふらふら飛んで八時間。

 純真な彼がその事実を信じるには、十分な時間が合った。


「たぶん、彼女には、――この世界の住人全員に強い精神的な影響を与える力があるんだと思う。それこそ、自分の命すら投げ捨ててしまいたくなるような」

精神感応能力テレパス?」


 少年は、目を輝かせて問う。きっと物語の中の登場人物になったような気持ちでいるのだろう。


「とは、少し違うな。……この言い方できみが納得するかどうかはわからないが、


 似たような現実改変の例は、『アサシンズ・ブラッド』の世界で一度、経験がある。


「……自分は……みんなにこのことを、伝えてみようと思います」

「無茶はしなくていい。キャリアを失うぞ」

「それでも、ここで聞いたことは、誰かに伝えなくては」

「心配しなくても、この事態は解決する」

「でもそれ、いつのこと、なんすか」

「近々、だ。長くてもまあ、……四週間以内」

「教えてくれ。あんたの考えてる”作戦”を」

「悪いが、そこまできみを信頼できない」

「……そう、っすか」


 がくりとうなだれて、深く嘆息する少年。


「あの、二人とも」


 と、そこで”ああああ”が声をかける。

 見ると、飛行機内にある座席を取り外し布で包んでロープで巻いて、実におあつらえ向きの”人形”を作り上げていた。

 一見、布に巻かれた二人くらいの人間に見えなくもない。


「ごちゃごちゃ言ってる暇があったら、さっさと作業を済ませますよ」


 頬をピンク色に染めた彼女は、いつになく健康的だ。

 どうやら、狂太郎たちの話は半ば以上、耳に入っていなかったらしい。


 冒険。

 彼女の人生に足りなかったもの。

 物語の主人公に与えられるべきもの。

 それがいま、充足しているためだろう。


 直感的にそれがわかったのか、”ダチョウ族”の彼はがくりと下を向く。


「……わかった。すべて、従う。ただ、これだけは約束してくれ。――彼女を傷つけない、と」

「悪いが、それはできない」

「そんな」

「きみだってホントはわかってるんだろ。でなければ、意味がないと。危険を伴う旅でなければ」


 言いながら、狂太郎は彼と席を替わる。

 追跡している飛行機はすでに、蠅を思わせる数にまで膨れ上がっていた。彼らが気を遣って距離を置いていなければ、接触事故を起こしそうなくらいである。


「……凱旋門前にパラシュートを落とし次第、シャンゼリゼ通りに着陸します。いいですね?」

「ああ。いいな、”ああああ”」


 すると少女は、「はい!」と元気な返事をする。

 そんな彼女に、《蒼天竜の兜》をかぽっと被せて。


「では、そこの赤いスイッチを押して……強い風が吹きますので、誤って落ちないように」


 言われたとおりにすると、機内に猛烈な突風が吹き荒れた。遙かな上空からパリの街を見下ろして、狂太郎は静かな感慨に耽る。

 美しい、街並みだと思った。

 護らなければならない。この世界を。

 その決意が、いよいよ強まる程度には。


「よーし! いくぞ!」

「はい!」


 二人、パラシュートを背負ってそれを放る。

 落下して、十数メートル。予定通り、ぱっとパラシュートが開く。

 それは一瞬落下して、――パリ郊外の方角へ、風に流されていった。

 それに追従するように、いくつかの飛行機が流れていく。


「よし。――着陸だ」

「了解。……あの、扉は念のため閉めた方が……」

「時間がもったいない。空けたままでやる」

「……ッ。わ、わかりました……! ただ、座席に座って! シートベルトを着用してください! これは譲れませんので!」

「うむ」


 さすがにそこは、彼に従う。


 カチリとシートベルトの金具を締めると同時に、『ぴーッ!』という警告音が数度、鳴り響いた。がくんと機首が下がり、シャンゼリゼ通りに向かって下降していくのがわかる。

 そこで狂太郎、一瞬だけ不安になった。


――まさかこいつ、無理心中とか……ないよな?


 考えてみれば、いくらなんでも知り合って八時間くらいしかたってない奴に自分の命を預けるというのは、少々軽率だったかもしれない。

 と、そこで、狂太郎の手に、少女の手が乗った。笑っている。こんなに楽しいことは生まれて初めてだ、とばかりに。


――とんだじゃじゃ馬だ。


 その表情一つで、狂太郎は何もかも馬鹿馬鹿しくなってきた。

 き! と、耳を突く音が鳴って、アスファルトの上に飛行機が着地する。


「お、お、お、お、お、お! うおおおおッ! 退け、退け!」


 叫ぶ”ガチョウ族”。見ると、目の前には、たまたま通りがかったと思しき、軽自動車をさらにミニカー寄りにしたような車が走り抜けていた。


「や、ば……ッ!」


 ひゅーん、ころんっ。


 漫画なら、このような擬音がついてもおかしくない。

 軽いものと軽いものがぶつかって、結果として両者はお互いに、ごろりと横転する羽目になる。

 衝撃は、意外なほど少ない。遊園地の上級者向けジェットコースター程度だ。

 ときどき死者が出るタイプの。


「――くっ!」


 咄嗟に狂太郎は、《すばやさ》を起動して、――

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