87話 素人捜査
加速状態を維持したまま、室内を見回す。
もう一つだけ、気になるところが合った。
机の上に一枚、遺書のようなものが置かれているのである。
その内容は、英語の苦手な狂太郎でも読めるほどシンプルなもので、
『I do not want die.』
という一筆。なんだか一文字一文字、刻むようにして書かれた文字だ。
「死にたくない、か。その割に、彼は自分を撃ったようだが」
呟きながら、他に気になるところを探す。
部屋が整然としているお陰で、すぐに「大したものはない」と気付くことができた。
だが、こう考えることも出来る。
こんなにも丁寧にものを片付けるやつが、あんな事件を起こすだろうか、と。
内心、刑事ドラマの登場人物になったような気分で、狂太郎は奧間を目指した。
その扉を開く、と……、
「む。これは……」
まず強烈な腐臭が、鼻を突く。
これは奇妙なことである。例のネズミっぽい男は、死んでから間もないはず。
だというのに、部屋には強烈な死の匂いが立ちこめていた。
「こりゃ、たまらんな……」
鼻を摘まみ、口で息をするようにしながら、辺りを捜索する。だが部屋には大きめのダブルベッドが一つあるだけで、他に見るべき箇所はない。
となると、気になるところはただ一つ。
犯人の死骸だけだ。
狂太郎は、カーテンを巻き込むような格好で仰向けに倒れている男を覗き込む。
かっと目を見開いた虚ろな眼、だらしなく口からこぼれた舌。人形のようにぴくりとも動かないその表情は、いかにも世を儚んでいるように見える。
今にもしゃべりだしそうだ。死にたくない! と。
頭がくらくらする。
まず、間違いないことがあった。
腐臭の発生源はいま、目の前にあるそれだということ。
「うえ……」
狂太郎はそもそも、死体を見るのが人一倍苦手だ。これまでじっと観察する機会がなかった、ということもあるが。
一応、ちょっとだけ彼の身体に触れてみる。
少なくともまだ、体温は感じられた。
だが、鼓動を感じ取ることはできない。分厚い毛皮のせいだろう。
そこで、以前ドラマで見た方法を使うことにする。
まずその人の手を取り、顔の上に持ってきて、それをぱっと放す。
それが顔にぱちんと当たって何の反応もなければ、間違いなく意識がない。
――どんな知識でも、意外と役に立つものだな。
記憶通りに試して見たところ、掴んだ腕は、ぶらんと力なく顔面に当たった。
「瞬きなどの反応はない。偽昏睡、ではない」
加速した状態で注意深く見ていたから、間違いあるまい。
その後、びっしょりと血が滴るカーテンを見て、よりいっそう気持ち悪くなってから、……現場を荒らさぬよう、慎重にベランダへ出る。
ベランダといっても半畳程度の広さしかないそこは、眼下に広がる並木通りを見渡すには十分なところだった。
建物の高さがそれほどではないため、さほど景色の良いところではない。手すり周辺は、滅茶苦茶に銃を乱射したためだろう。弾痕だらけだ。
眼下に視線を走らせると、不安そうな表情の飢夫と”ああああ”が手を振っているのが見える。通行人を観察するには事欠かない空間だ。もちろん、狙撃にももってこい。
――だが、少し奇妙だな。
狂太郎はそこから階下を眺める。
もし、狙いが狂太郎たちなら、もっと早く狙撃し始めれば、弾が当たる確率も高かったのに。
――やはり犯人は、我々に弾を当てるつもりはなかったのかもしれない。
素人捜査でわかる情報は、そこまでだろう。
あとは、この世界の警察機関に仕事を任せるほかにない。
▼
二人の元に戻ると、開口一番、
「お、お疲れ様! です! それで、ど、ど、どうでした?」
と、”ああああ”。
その頃にはもう気力を取り戻しているらしく、少ししゃんとした格好だ。
かくかく、しかじか。
素人なりの捜査内容を、二人に伝える。
「つまり、――”終末因子”の手がかりはなし、ということ?」
「正直に言うと、な」
だが、奇妙な点はいくつかある。
まず襲撃犯の彼はどうも、死ぬつもりはなかった、ということ。
それなのに、自ら銃口を咥える羽目になったこと。
「ひょっとするとこの島全体に何か、超常的な現象が発生しているのかも知れない」
「超常現象?」
「ああ。詳細はわからんが、人の心を狂わせる何かだ。呪いとか、魔法とか。まあ、名前はなんでもいいが」
「……魔法、ねえ」
我ながら「そんな馬鹿な」と言いたくなる推理だが、狂太郎は既に、そのような事態に幾度となく出くわしている。きっと今回も例外ではないだろう。
「『ひぐらし』のアレみたいな?」
「そうそれ。×××(※7)だ」
こういう時、長年同じ時間を過ごしてきた男がいると心強い。ツーカーで話を進めることができる。
「そうそう、×××。懐かしいなあ。――狂太郎は肯定派だっけ?」
「いやまあ、あんなもんだろ」
「わたしは当時、キレまくったけど。『なんじゃそりゃ。これまで考察してきた時間を返せよ』っていう」
「でも、読後感は良かったろ。批判されてる最終章の出来も、ミステリーの世界観に突然、バトルもののキャラを登場させたみたいな、そういう痛快さがある」
「申し訳ないが戦略、戦術、戦闘、全て三拍子揃ってるコピペの話はNG」
「でもああいうノリ、それまでの話にもあったじゃないか」
そのタイミングで”ああああ”が口を挟む。
「ええと……お二人、なんの話をされているんです?」
「ああ、いや、なんでもない。すまん。話が逸れた。オタクの悪いところが出た」
「それでつまり、あなたは何がいいたいのです?」
「ホラー系の作品だと思ったら急にバトル展開になって驚いた、という話だ」
「ええと、そっちの話じゃなくて、ですね……」
少女は眉間に手を当てて、
「つまり、例の”オポッサ族”の青年が死んだ原因は、――何か、魔法的な力が関係してる、ということですか?」
「わからん。だが、その可能性が高い」
「そんな馬鹿な話ってないですよ。存在しません。魔法なんて」
「いや、存在する」
狂太郎は断じた。
「ぼくも、この仕事を始める前はそうだと思い込んでいた。だが、実際にはそうじゃなかった」
「で、でも……」
「きみだって、さっきぼくが高速で移動したところを見ただろ。あれもそういう、魔法な力の一種なんだ」
「それは――」
言いよどむ”ああああ”。
実を言うとこの時、狂太郎はちょっとした勘違いをしている。
《すばやさ》の力は、”魔法の力”というよりは、”スキルの力”と表現すべきものである。狂太郎がこの微妙な差異に気付かされるのは、もう少しだけ後の話だ。
「でも、……魔法だなんて。こんな、平和な世界に……」
落ち込む少女は、――果たして、あの言葉を聞いていたのだろうか。
――おまえだ。おまえがすべてわるい。
彼の、あのセリフを。
その頃だろうか。
”オオカミ族”が十数匹、押っ取り刀で駆けつけたのは。
彼らはみな、テキパキと周辺住民に事情聴取を行っていく。
むろん、狂太郎たちも例外ではない。どうやら交番で詳しく、事情を話す必要があるらしい。
道すがら、狂太郎は顔見知りの警官に、一つ質問をした。
「そういえば、例のあの、”ウータン族”殺しの件、どうなりました?」
「オラン氏の件ですか? もちろん、犯人は捕まりましたよ」
「犯人は、リッキー……ええと、温和な兄貴の方で間違いないんですか?」
「もちろんです。それだけは間違いありませんよ」
そして彼は、例の、ビシッと決まった敬礼をして、
「彼女がそう言ってるんですから。それだけは間違いありません」
それはどこか、自分に言い聞かせているかのようだった。
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(※7)
この辺の会話、現在、絶賛アニメ放送中の『ひぐらしのなく頃に』のネタバレに当たるため、敢えて伏せさせていただく。
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