59話 新たな同居人
それから、一週間後のこと。
筆者がいつもの通り、自宅で「ああでもないこうでもない」と原稿をこねくり回していると、来客のチャイムが鳴った。
――どうせまた、同居人の誰か(※46)がAmazonで宅配を頼んだのだろう。
ちぃっ、と、舌打ちが出る。だから置き配にしとけと言ってるのに。
仕事中の私はいつもそうなのだが、機嫌があまりよろしくない。
たった今、百万人の火星居住者が酸素不足により全滅するシーンを書き終えたばかりの私は、実際に
現れたのは、見慣れぬ若い娘だ。
髪をサイドにまとめたその少女は、口元になんだか不思議な笑みをたたえて、
「どーも。うち火道殺音、いいます」
火道殺音。すでに狂太郎からその名前(正確には本名だが)を聞いていた私は、ぽんと手を打つ。
そういえば、狂太郎は彼女にここの住所を教えたんだっけ。
「それで、あなた、――」
「ああ、私は、」
「――狂太郎はんの、姉はんですか?」
もし、この物語の中で火道殺音に対して公平性を欠くような描写があるとするならば、この時のセリフが原因と言って良いだろう。
一応、後々聞かされた本人からの弁明によると、私が歳を取って見えたというよりは、狂太郎の方が若く見えていたらしい。
……というか恐らく、そうであってくれと思い込んでいたのだろう。
自分と彼の年の差は、一つか二つくらいであってくれ、と。
私はしばし、眉間を揉んで、
「……ただの、同居人だよ」
「えっ。あの人、恋人が……?」
「違う。同居人だ。ルームシェアというやつだ。ここには狂太郎以外にも男がいるし、私以外にも女がいる」
「へ、へえ……。さすが東京……進んでるなあ……!」
目を丸くする殺音。
別に、進んでいるのではない。むしろその逆だ。この部屋の住人は皆、芸術系の大学を卒業後、自分の凡庸さに心折れ、かといってまともな生き方にも方針転換できなかった奴らの溜まり場である。そういう意味では、同世代の連中から果てしない周回遅れを喰らってると言って良い。
「それで、その。狂太郎はんは、ご在宅どすか」
私は少し、「聞いていた話よりも強めの京言葉だな」と思いつつ、
「ああ、いまさっき、日課のプールから帰ってきたところだよ。たぶん今は自室でマスターベーションにでも耽ってるんじゃないかな」
「へえ、マスターベーション」
殺音は、純粋な表情をこちらに向けて、
「ご立派ですねえ」
どうも何か、仕事に関連した鍛錬の一種だと思い込んでいるらしい。
私はちょっぴり皮肉な表情を作って、彼女を部屋に案内した。
小説のネタが、向こうからやってきたぞ、と、思いながら。
▼
我が家の間取りを簡単に説明しておくと、まず玄関があって、少し進むと大きめのダイニングルームに行き当たる。
ダイニングルームは、我々社会の底辺が持ち寄った「共有用」の漫画、アニメや映画のDVD、ボドゲの類がぎちぎちに詰まっており、みんなで金を出し合って買った大型のテレビが、壁に掛けられる形で一台。そこからタコのように伸びたケーブルが、Nintendo Switchとプレステ4に接続されている。
ダイニング横にある台所には大きく、『室内での交尾厳禁(死刑)』という殺気だったコピー用紙が貼られていた。同居人の一人がやたら恋人を連れ込むのにたまりかねたみんなで結託して決めた、我が家のルールである。
火道殺音は、一通り私たちの家を見回して、
「うわぁ」
悲鳴とも歓声ともつかぬ声を上げる。
私は、多くの来訪者が最初に口にするセリフを先回りした。
「どうだ? 大学とかでよくある、オタク系サークルの部室みたいだろ?」
「それは……ちょい、わかりませんけども。ウチ、高卒なもので」
あ、そうなんだ。
「高校卒業後はすぐに、”日雇い救世主”に?」
「え。……知ってはるんですか。うちのこと」
「ああ。聞いてるよ」
聞いてるどころか、小説にしてます……という話をするのは、もう少し後のことである。
「じゃ、あなたも?」
「いや。私は話を聞いているだけだ。面白そうだからちょっぴり職業体験を申し込みたいところだが、どうも才能がないらしくてね。きみらと違って」
「才能……」
殺音、ちょっとだけその言葉にうっとりして、
「……それはともかく。ええと、狂太郎はんは……」
「ああ、そうだった」
私は、ダイニングに接続された部屋の一つをノック。
「おい。来客だぞ」
すると部屋の中から、がたん、ごとんと音が聞こえて、
「え、来客? ぼくに?」
しかめ面が顔を出す。
上はTシャツ。下はスウェット。部屋の中からはなんだか、すえたような匂いがしていた。
――こいつ、本当に自慰してたんじゃないだろうな。
部屋を覗き込もうとする私と、ダイニングを覗き込む狂太郎の頭がぶつかる。
「ぐぬ」「あ、痛……っ」
二人、ほぼ同じリアクションで頭を抱えた。
この辺、兄妹のように思われることがよくある。
「仲、ええんどすねぇ」
「そう見えるだけだよ」
早口で応える。
こんなのに特別な感情を抱いているなどと、間違っても思われたくない。
「ただ、一緒にいる時間が長いから、妙に行動が似通う。それだけの話だ」
「はあ」
狂太郎、自室に引っ込んで、せめてズボンだけでもマシなのに履き替えた後、再びダイニングに現れた。
「やあ。どうも。一週間ぶり」
「はい。どーも」
「それで、今日は何用かな?」
「それなんですけど……」
ちら、と、殺音の気遣わしげな目。
私は察して、
「では、自室に戻ることにする」
と、ダイニングを後にした。
▼
それから、なんとなく集中できないまま原稿に向かうこと、三十分。
今度は狂太郎が部屋をノックして、
「話がある」
とのこと。
私が再びダイニングに向かうと、同居人である三人が珍しく全員顔を合わせていて、何やら忙しそうに台所を漁っている。
今夜はごちそうにしよう、とか。
お迎えパーティだ、とか。
大家には誰が連絡する、とか。
これでちょうど、男女比率3:3になるな、とか。
すぐ空き部屋を片付けなくちゃ、とか。
私はそれで、おおよそ事情を察した。
「どうも彼女、我々と一緒に住みたいらしい」
「本気か」
狂太郎が頷く。殺音が、話を続けた。
「ちょいその……親と、行き違いが、ね。無理もあらへんよね。何ヶ月も外泊なんて」
「事情は話さなかったの?」
「話したんですけど。でも、何言うても……ごっこ遊びか何かやと思われてしもて」
「ああ……」
だったら、持ち帰った”異界取得品”を見せろよと思われるかも知れない。だが、何故だかそれらは、我々の住む世界ではその効力の大半を失ってしまうのである。
天使の説明によると、我々の世界が、”日雇い救世主”として派遣される世界よりも「より上位の次元」に存在しているためだという。
要するに我々の世界の物理法則はそれだけ、強固なルールだということだろう。
「それで、ヘンテコな事象に理解のある我々と暮らしたい、と」
「うん。……シックスくんとも相談しまして。ここなら、長期の不在でもうまいこと対応していただけるって聞きました。構わへん、でしょか」
「もちろん、いいとも」
二つ返事とは、このことだ。
私としてはもう完璧に、もしネタに困ったら利用してやろうと思っている。
彼女の肩をポンと叩いて、
「ただし、家賃光熱費食費その他はちゃんと払うんだぞ」
「もちろんです。……ぶっちゃけ、お金には困ってませんので」
心強い言葉に感謝。
「あと、ネット回線が重くなるし、倫理にもとるから、違法ダウンロードの類は一切使用禁止」
「ごめんなさい、うち、パソコン詳しくないので……なんですのん? その、いほーだうんろーど、って」
「知らないならそれでいい。物書きの敵だ」
「はあ。……物書き?」
こうして我々の同居人に、火道殺音が加わることとなった。
彼女に関しては実を言うと、興味深いエピソードがいくつか、あるにはある。
機会があれば、いずれ小説にする日が来るかも知れない。
とはいえ今はまだ、その時ではない。
そういう後日談があったという、――ただそれだけの話。
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(※46)
ちなみに筆者の同居人は、狂太郎だけではない。
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