29話 狩人の村
ハチミツ集めは、基本的に仮面少女が行うことになった。
というのも、彼女らの村のものと思しき目印が描かれた大樹のうろ、――その暗闇の中に、大きさにして十センチほどの蜂の群れが、
ぶぶぶぶぶぶ……ぶぶ………ぶぶぶぶぶぶ………。
と、羽音を立てているのを目の当たりにしたためだ。
「あ、ごめんなさい。これ本当に無理です。絶対に入りたくないので。よろしくお願いします」
「なんや、びびっとるん?」
「はい。完璧にびびってます。よろしくお願いします」
まず、体長十センチの蜂という時点でもう、生理的に受け付けないものがある。
「きゃははは! 案外、大したことないなあ、おっちゃんも」
「だからぼくは、ちょっと不思議な術を使うだけの、平凡な男だと言っただろう」
「テラバチなんて、松明振りゃあ寄ってこぉへんって。ハチミツも集められんよぉやったら、村でモテへんで」
「……ここには別に、婚活に来たのではない」
どうもこの娘、こっちが情けないところを見せると自尊心が満たされるようだ。背伸びしたがる子供である。
狂太郎はわざと卑屈っぽく笑って、蜂の巣から大きく距離をとった。
「しゃーないな。じゃ、あたしが瓶詰めしていくから、おっちゃんは休んどき」
そう言って彼女が地面に下ろしたのは、魔物の皮を利用して作られた、ずいぶん頑丈そうな鞄である。
仮面少女は、その中から空瓶を三つほど取り出して、
「ほな、いってくる」
「おや。それだけでいいのかい」
「採りすぎ禁止や。生態系を怖さんように」
「へえ」
「都会もんは、そないなことも知らんのねえ」
とにかく一言多い娘だ。
とはいえ、さすがに腹は立たない。彼女がお姉さんのように振る舞いたいのであれば、むしろそれは都合の良い展開である。
仮面少女は大樹のうろ付近に用意されていた箱から一本の松明を引っ張り出して、手慣れた手つきで火を灯す。
着火に使ったのはどうやら、マッチ棒……らしきもの。
後から話を聞いたところそれは、この島に自生している”マッチの木”なるものの枝、とのこと。
――ずいぶん、都合の良い植物があったもんだな。
彼女が原始的な格好なのはそもそも、文明を進化させる必要がなかったためかもしれない。
「お邪魔しまーす」
燃えさかる松明を片手にかかげ、少女は大樹のうろの中へと消えていく。
するとほどなく、
ぶぶぶぶぶぶ……ぶぶ………ぶぶぶぶぶぶ………ぶぶぶぶぶ!
内部から聞こえてくる羽音が激しくなった気がした。
テラバチと名付けられた化け物が、暗闇の中から数匹、飛び出してくるのが見える。ちょっとした小鳥くらいある蜂の群れは、狂ったように四方八方を飛び回り、青空の中へと溶けていった。
そのまま、待つこと四、五分。
「もしあの娘が帰ってこなかったらどうしよう」と思う、――が。恐らくその心配はない。
あのように年端もいかぬ子供に単独行動を許しているところを観ても、この程度の仕事は”子供の使い”ということだ。
狂太郎が思ったとおり、仮面少女が戻ってきたのは、それから間もなくのこと。
「よーし。ノルマは終わりッ! さっさと戻るで、おっちゃん」
そういう彼女の周囲には、数匹の蜂がまとわりついていた。
「……あ」
狂太郎が声を上げると、――少女は目にも止まらぬ早業で、それらを打ち払う。しかも素手で。
「ん? どしたん?」
「……いや」
感心している。
――たくましいんだな。この世界の住人は。
▼
その後の道中は、のんびりと。
仮面少女の方も、狂太郎の軟弱さにはうっすら感づいているらしく、それほど早足で進むことはなかった。
それでも、――と、狂太郎は思う。
ジム通いで身体を作っていなければ、あっという間にへばる羽目になっていただろう。
なお、道中の雑談相手として、仮面少女はなかなか楽しい相手だった。
何せこの娘、どんなことでも興味津々で……それに、良く笑う。
これほど理想的な話し相手はない。車の助手席に乗せたいタイプの子供だ。
村まではおおよそ一時間半ほどの距離だったが、――狂太郎にはそれが、ほとんど苦痛に感じられなかったという。
「あっ! 見えた見えた!」
少女が指さしたのは、とある海辺に建てられた共同体。
木組みの家が建ち並ぶ、小さな村だ。
コーシエン村は、魔方陣を思わせる円形になっており、村長が棲まうという大きめの屋敷を中心に、放射状に道路が延びている。
規模からして、村民の人口は数百人ほどだろうか。素朴な雰囲気のところだった。
仮面少女は、潮の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、
「みんなぁー! 戻ったでー!」
と、ぱたぱた手を振る。
ちょっと見たところ、村の衆はみな、健康的に肌が焼けていてスタイルが良く、男は上裸、女は水着みたいな格好だった。
――ふーん。エッチじゃん。
むろん、薄着でない村人も、いる。
思わず「暑くないのか?」と心配してしまいたくなる全身鎧と、「それ、本当に振り回せる?」と不安になるような巨大な剣や大槌を携えた、十数人の戦士たち。
――彼らがその、”狩人”ということかな。
そう思っていると、そのうちの一人が歩み寄ってきて、
「おう、お嬢か。おかえりぃ」
何かの動物を加工して作られた、フルフェイスの兜を脱いだ。
ごま塩頭の、渋い初老の男である。濃いめだが、まずまず男前と言って良い。
男なら、このように歳を取りたい、――そう思わずにはいられない、逞しい老人だ。
それに合わせて、少女の方も仮面をずらし、にっこり微笑む。
「ただいまぁ」
「おう。……ところで、そこの見慣れん男は?」
一瞬で好意的でないとわかる、人を値踏みするような視線だ。
狂太郎は苦く笑って、
「いやあ、実は、迷っているところをここのお嬢さんに助けていただいて……」
「ふーん。さよか」
その時の狂太郎は知るよしもなかったが、――実家が淡路島にある筆者にはわかる。関西人が「さよか」と言うときは基本的に、相手に何か、決定的に気に入らない点がある時だけだ。
「自分は、その……遠方から、島の生態調査に訪れたものでして」
「ほう」
「ええと。構いませんよね。調査」
「……島のものは、誰のもんでもない。好きにしたらええ」
「助かります」
筋は、通してくれる人なんだな。
狂太郎、苦手な愛想笑いを続けたまま、
「それでその、ご迷惑でなければ、ちょっとばかりこの村に駐留させていただきたいんですが」
「あー、……いつまでになる?」
「それはちょっと、わかりかねます」
狂太郎が苦手とする多くのものの一つに、不機嫌なお年寄りとの対話がある。
その時も多分に漏れず、すでに胃が痛み始めていた。
一般に、異世界に登場するこの手の集落はよそ者に温かい傾向にあるが、常にそうとも限らない。
――これは最悪、野宿かな。
一応、その用意はある。Amazonで二千円も出せば買える、防寒用のサバイバルシートだ。
とはいえ、できればそれは避けて通りたいところ。
起きたころには足腰カッチコチになって、日中の行動に影響が出るためだ。
すると仮面少女は、どん、と平たい胸を叩いて、
「安心し。おっちゃんの面倒は、あたしがみる」
「へ? いいのかい」
「うん。いちど勝負した仲やし」
「そうかね」
すると、ごま塩頭が眉をひそめた。
「そら、あんま関心せぇへんな。昔から、男女七歳にして同衾せず、ちゅうてな」
「アホ。あたしがこんなひょろっとした都会もんになびくもんか」
「ふーむ……」
男の表情には、もはや憎悪に近いものが混じりつつある。
孫のように思っている娘が、どこの馬の骨ともしらない男と仲良くしているのが気に食わないのだろう。
「とはいえ、決まりは決まりやしな。村長には報告させてもらうぞ」
「おっけー。……ほな、あたし、このおっちゃんと用があるさかい」
そう言って、さっさと少女は狂太郎を先導する。
「いったん、集めた蜂蜜、納品せなあかん」
「ああ……」
すでに数人、村人たちが集まってきていた。
別れ際、初老の男は抜け目なく、
「おい、あんた」
「……はい?」
「その娘と勝負した、ちゅーてたな。なんの勝負や? そんで、どっちが勝った?」
「かけっこでね。もちろん、負けましたよ。大した娘さんだ」
即答する。さすがに、このタイミングで約束を破るような自尊心モンスターではない。
▼
それからしばし後、
「あのお爺さん、悪い人やないんよ。ただちょっとだけ、よそもんが嫌いなん」
「何かあったのかい?」
「最近、ちょっとその……おっちゃんとは別の……よそもんと揉めてな」
「よそもの? ぼく以外の?」
「そ。それでいま、その人が村長やってて……その関係。まあ、八つ当たりみたいなもんやし。あんまり気にせんといてぇ」
少女の口調は、どこか慰めるようだ。
「あと、まー、その。……ごめんな。嘘、吐かせてしもた」
最後のセリフは、潮騒に紛れるような小声である。
「おーきに、ね」
狂太郎は、あえてそれを聞き流した。
わざわざ反応するのも無粋な気がしたし、――そもそも、別のことに気を取られていたのである。
――村長、か。
道中でも二、三度、そのワードは耳にしていた。
『ハンターズヴィレッジ・サガ』において、その役職はプレイヤーの代名詞だという。
どうやら狂太郎、とりあえずその”よそものの村長”とやらと接触する必要があるらしい。
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