一章 WORLD1181『悪魔の盤上』
2話 はじめまして異世界
さて。
この物語が、仲道狂太郎の語ったお話を小説化したものであるということは、最初に触れさせていただいた。
それに関してまず、筆者である私から、三点ほどご留意いただきたいことがある。
まず一点。
この物語に登場する人物(主人公である仲道狂太郎くんも含めて)は全て仮名である、ということ。
これは主に、個人情報保護のためでもあるが、――狂太郎くん本人の要請でもある。
これから語られる”日雇い
彼は、自身がその手の職に就いていることを、できる限りご両親に知らせたくないのだそうだ。狂太郎くんの両親は少し過保護なところがあるため、彼らの心労を増やしたくないのである。
また、もう一点。
本編はあくまでノンフィクション小説であるため、実在する人物・地名などがいくつか登場する。
これらに関して、一部フェイクを交えさせていただくことをご容赦いただきたい。
狂太郎曰く、「あんまりこの仕事が一般に知れ渡ると、自分の取り分が減るから」とのこと。
とはいえこれは、昨今の厭世的な社会情勢から、異世界への転移・転生を望む若者が急増している点を鑑みての処置でもある。
最後に。
異世界での固有名詞などは基本的に、省略する・無視する・別の言葉に置き換えるなどさせていただきたい。
というのも、異世界で話される言葉のいくつかに、我々にとって耳慣れない、記憶に残らない、あるいは物語のノイズにもなりかねない響きのワードが登場したりするためである。
例としていくつか挙げさせてもらうならば、
・グラブダブドリップ……とある世界に登場する魔法都市の名前。
・ポーニーポーニーポテトパイ……我々の世界で言うところの、うつ病の特効薬。
・ハッフハフ=オイシイ=オムスビ……悪魔と戦った東洋の英雄の名。
この辺などはまだ可愛い方で、
・ウンコ……とある世界では主食とされる。サツマイモに似ている。
・パンティ・ストッキング……頭に被る儀礼用帽子の名前。
・カツラ……女性専用の特殊な下着。初夜にのみ用いられる。
・マンコ・カパック……クスコ王国の初代国王。「素晴らしき礎」の意。
などなど。
ちょうど、「磯野カツオ」がイタリア語で「私はペニスです」に聞こえるのと同様である。物語を語る上で「え? 何コレ?」となりかねないワードが登場する場合、こちら側で言い換えさせていただくか、固有名詞を簡略化させていただきたい。
もちろん、その固有名詞が物語の中でどうしても必要なキーアイテムだったりする場合はその都度、解説を設けるつもりだ。
以上、三点。
甚だ恐縮の至りではあるものの、ご笑覧いただければこれ、幸い。
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話は戻って、仲道狂太郎である。
住み慣れた現実から解き放たれて、ひょっこり異世界へ。
生まれて初めての異世界転移を経験した彼はまず、周囲がミルクのような濃い霧に包まれていることに気付いた。
「なんだ?」
左右を見、足元を確認し、どうやらここがどこかの原っぱのド真ん中らしいことを理解する。
そしてすぐそばには、さっき自分を指さした、天使……のような生命体。
正直一瞬だけ、そこを天国だと疑った。
直感的に違うと思えたのは、自分は決して極楽浄土に迎えられるような人間ではないと知っていたためだ。
天使はその後、ほとんど一方的に以下のようなセリフを口にして、実に素っ気なく消滅してしまったという。
「1、ここは異世界だ。
2、あんたはこの世界を救わなければならない。
3、あんたには特別な力を授けた。詳細は自分で調べてくれ。
4、無意味に異世界人を虐待したり、一ヶ月経ってもクリアできなかったらクビ。
5、その場合はもちろん報酬なしで。
まあ、せいぜいがんばれ」
世にこれほど理不尽な話もない。
常人であれば狼狽もしようが、少なくとも仲道狂太郎の場合はそうではなかった。
彼はしばらく、柔らかい草の上に座ったり、ぼんやり寝転んだりして、
――そういえば、今日中に『ドラえもん』の新作映画のDVD、返さないといかん。
と、思い至る。
そうしてむくりと起き上がり、行動を開始したのである(※1)。
▼
とりあえず彼には、情報が必要だった。
いま、一体何が起こっているかについて。
のちに狂太郎が語ったところによると、天使によってもたらされた情報は明らかに不十分なものだった。「ダメでもともと」とでも言わんばかりの。
――舞台装置のアルバイトをしてたとき、バイトリーダーが死ぬほどヤル気がなくてな。なんでも、彼女にフラれたばかりだとかで……ぜんぜん仕事を教えてもらえなかったことがある。あの時に似ていたよ。
とは、帰還後の弁。
狂太郎がぼんやりと原っぱを歩いていると、ふと、自分の胸ポケットに違和感があることに気付いた。
どうやらいつの間にか、ポケットの中に一枚の名刺が突っ込まれていたらしい。
そこには、印刷された文字で、
『人事部
社員 No,9
(有)エッジ&マジック異界管理サービス』
とある。
どうやら、先ほど素っ気なく消えてしまった天使のもののようだ。
「ナンバー、ナイン……」
狂太郎はしばらくそれを眺めた後、裏側にも何か書かれていることに気付く。
そこには、ずいぶんと雑な文字で、
『・スキル:《すばやさⅩ》を付与しました。
・スキル:《バベル語(上級)》を付与しました。
・スキル:《異界適応術Ⅰ》を付与しました。
・スキル:《異界呼吸術Ⅰ》を付与しました。
・スキル:《精神汚染耐性Ⅰ》を付与しました。』
と、書かれている。
これだけ読めば、筆者のような世界に生きる者としてはピンとくるものがある。
これは、一昔前にWEB上で流行した、いわゆる異世界ものの”
とはいえ、空想の世界の「あるある」が現実にも適応されるかどうかは判断に困るところ。
実際私も話を聞いていて、最初に引っかかったのはこの一点だった。
仲道狂太郎は無意味に嘘を吐くような男ではないが、さすがにこの事実を丸ごと呑み込むには、”常識”という色眼鏡が邪魔をする。
ただ、再び狂太郎の言葉を引用させてもらうなら、
――この宇宙は広いよ。
――人間の頭脳で思いつく程度のことなど、この世のどこかで行われていて当前じゃないか。
とのこと。
そう言われてしまうと案外、そういうものなのかもしれない。
筆者も時々、そう思うことがある。
ドラえもんもルフィも孫悟空も、この宇宙のどこかに実在していて、我々はただ、異世界の情報を受信しているだけに過ぎないのではないか、と。
……主に三日くらい寝てなくて、締めきりに追われている時、とかに。
いずれにせよ仲道狂太郎が全ての事情を受け入れるのは、筆者である私がそうするより、よっぽど早かった。
何せ彼の場合、自分が今、異世界にいることだけは確かだったから。
「ふむ。つまり、この力を使って世界を救え、ということか」
この世界を壊れたラジカセに例えるならば、この特別な力は、専用の工具箱、といったところだろう。
あの、アンニュイな雰囲気の天使の台詞を思い返すと、恐らくは世界を救うことにより何らかの報酬(※2)を得られる、と。
なんでも、その時にはほぼ完璧に、この世界における仲道狂太郎の方針は固まっていたという。
――それでは、さっさと世界を救って、家に帰ろう。
できることなら、夕食の時間までには。
▼
それから、ぼんやりと原っぱを歩くこと、数分。
《すばやさⅩ》、《バベル語(上級)》、《異界適応術Ⅰ》、《異界呼吸術Ⅰ》《精神汚染耐性Ⅰ》。
良くわからんが、恐らくこの中で、最も使えそうなのは……。
「すばやさⅩ、かな。たぶん」
正直、狂太郎にはそれが計り知れない。
無敵のパンチ力! とか。
無敵の防御力! みたいなパワーを授かるのであればわかりやすい。
だが、すばやさ、となると……。
――そもそも、Ⅹというのはどういうことだろう?
なお、仲道狂太郎は生まれつき軟弱なタチで、小中高と、体育会系の活動で活躍した試しは一度としてない。
「小学校二年生の時に、ジャンプ漫画の主人公になるのは諦めたよ」
これは、酔ったときに時折語る、彼の口癖でもある。
実際、筆者である私も、彼が走っているところを一度として見たことがない。狂太郎ときたら、鍋が沸騰して煮こぼれしている時ですら
それほどに彼は、運動という行為そのものを苦手としていた。
とはいえその時ばかりは、さすがの彼も走らざるを得なかったという。
恐らく彼なりに、このままでは命に関わるという危機感があったのだろう。
深呼吸を、一つ。
「よーし。やるぞっ」
そして、堰を切ったように走り出す。
お年寄りみたいに、華奢な走り方で、
たったったったったったったったったった。
……と。
とりあえず十歩ほど。
結果。
――どうにもよくわからんな。
それが、その時に狂太郎が出した結論だ。
確かに、早くなっているような。そうでもないような。
ただ、身体が軽くなっていることは間違いなかった。
しかしその分、やたら走りにくい。まるで月面を走っているような感覚だ。
「ふむ……」
いずれにせよ、――この力だけで世界を救え、というのは難しい気がする。
しかも、期間は一ヶ月。
どうにも、何らかの手違いが発生している予感がした。
そういえばあの天使のやつ、ずいぶん適当な人選だった気もするし……。
「これでは、工具箱なしにラジカセを修理するようなものじゃないだろうか」
渋い顔を作りつつ、足は天使が指し示した方向へと向く。
仮に、何らかの手違いが発生していたとして、文句を言う相手は消えている。
――まあ、……たぶん、何とかなるか。
そう気楽に構えつつ、狂太郎は先ほど天使が指し示した方角へと進んでいくのだった。
▼
そこから少し歩くと、霧の向こうから、うっすらと太陽の光が見えてきた。
「あっちか」
光に吸い寄せられるように進んでいくと、ある地点でぱっと霧が晴れる瞬間がある。そこは、少々肌寒いことを除けば随分と季候の良い空間で、遠方には神々が棲まう巨城、とでも表現すべき建物が見えた。
「おおおおおッ? なんと、――……」
その巨大さと言ったら、我々の世界に存在するあらゆる文化遺産ですら比較にならないほどだ。
何より狂太郎にとって意外だったのは、その驚嘆すべき大きさの城に、見覚えがあるという点。
「これは、――」
続く言葉を失って。
彼の脳裏に浮かんでいたのは、スマホの中にインストールされているアプリの一つ。『デモンズボード』と呼ばれる、ソロプレイ専用の3DアクションRPGだ。
驚いて、スマホの中にインストールされているそれのアイコンを凝視し、そこに表示されているお城と、目の前のそれがほとんど瓜二つであることに気付く。
「なんと。……ただの偶然か? いや、しかし……」
などと、ぶつぶつ呟きながら、眼下にみえるあぜ道を進んでいく。
▼
さて。
十~二十代の若者には想像もできないことかもしれないが、その時点で狂太郎は、すっかりくたびれてしまっていた。
三十も半ばのおっさんが未舗装の道を歩くということはつまり、そういうことである。
「どこか、腰を下ろせる場所はないものかな」
ひいひいを息を切りながら辺りを見回すと、ちょうど、何かの拍子で放置された丸太が倒れているところを発見した。
ただ、そこには、土埃にまみれたマントを身に纏った先客がいる。
顔は、フードに隠れてよく見えない。だが、光を織り込んだような金髪が美しく、太陽の光を受けて輝いていた。
彼女は今、木靴を半分脱いで、退屈そうにかぽかぽと弄んでいる。
――白人、か。
基本的に狂太郎は、あまり社交的な性格ではない。
だがその時ばかりは、数年来の友人と再会したような、そういう気持ちで隣に座ることができた。
というのも、彼女もまた、『デモンズボード』に登場するキャラクターの一人だったためだ。
この時にはさすがの狂太郎も、こう推察することが出来ている。
――ここは、ゲームの中の世界、……あるいは、ゲームを元に創られた世界、ということなのだろう。
と。
「やあ。調子はどうだい」
声をかけると少女は、深く被ったフードを脱ぎ、穏やかに微笑んだ。
その瞳は、――その髪と同じくらいに目映い、金色。
「ごきげんよう。巡礼者さま♪」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※1)
この辺、筆者である私に言わせれば怪しいところではある。ひょっとすると存外、そこそこ長時間、あれやこれやと思い悩んだのかもしれない。
とはいえ、もはや賽は投げられていた。
狂太郎がどのような対応だったかはさておき、このままぼんやりしていても始まらないことだけは確かだった。
(※2)
この時の狂太郎はまだ、「報酬:百万円」という情報を得ていない。
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