4話

 移動中、ふとハジメがフェオに声をかける。


「そういえば……霧の森にはエルフの里があるという噂があるそうだが、実在するのか? それともエルフの間でも秘密の場所なのか?」


 彼から話を振られたことを意外に思ったフェオだが、彼の疑問は割とよく聞かれることなのでよどみなく答える。


「その里が実在するかどうかは分かりませんけど、あるとしたら森の奥にある巨大な断層の上だと思います。そこのエルフは恐らく古くからの教えを守っている純血エルフです」

「君のように町で普通に見かけるエルフは違うのか?」

「はい。私は古い掟と決別したり、掟を破って里を脱走したエルフの子孫ですから」


 古の教えを守るエルフたちに言わせれば、フェオのような存在は世俗に染まった「はぐれエルフ」だ。しかし、実際には既に純粋に森の奥で暮らすエルフより世俗で過ごすエルフの方が多数派となっているであろう。


「……というわけで、私たちのような一般エルフは隠れ里の場所なんてほぼ知らないんです」

「そうか。勉強になった」

「……」

「……」


 聞きたいことが聞き終わったので話は終了。

 おしゃべりが下手な人間の典型である。

 フェオはため息をつきたくなった。


 恐ろしいのか頼もしいのか分からないハジメの案内を続けて一通り進んでいくうちに、フェオは森に異変が起きているのを感じた。森の案内人の面目を保つタイミングが思ったよりも早く来てしまったらしい。ハジメは流石にこれに関しては先に気付けなかったようで、声をかけてくる。


「どうした?」

「何か変です。空気が淀んでいます。魔物達の様子がおかしかったのも多分……」


 フェオは慎重に周囲を観察しながら進んでいく。

 すると、ある場所を境に、綺麗に草木が枯れ果てているという異常な光景が目の前に広がっていた。この周辺の森は死んでいる――フェオの本能がそう告げる。


「……どう見ても自然な枯れ方ではないですね」

「毒か?」

「恐らくは。でも一体どうして……」

「魔王軍か」


 何の過程もなくいきなり話が飛躍したことにフェオは驚いた。


「どうしてですか? ここは魔王軍も遭難すると言われる危険な地ですよ?」

「この森はずっと薄く霧がかかっていたが、枯れたエリアの奥にある霧には明らかに毒々しい色がついてる。しかもわかりやすく人の不快感を煽る悪臭もある。毒の発生源がいるんだろう。魔王軍はこういう害意ある『わざとらしい毒』を好む」


 確かに、とフェオは納得してしまった。

 魔王軍は人間の何が憎いのか、なるべく人間を肉体的にも精神的にもいたぶろうとする傾向にある。それが人類にとって突くべき隙でもあるのだが、その謎の拘り故に効率的に無駄なく人を殺すことを魔王軍はまずしない。毒を使うなら一目で毒と分かるおどろおどろしいもので水源を汚染したり、視覚や嗅覚に訴えてくる。


 そう考えると、実に魔王軍らしい毒だ。

 魔王軍のことになど興味はないのだと勝手に思っていたフェオは、目の前のいまいち生気が足りない男が常に最前線で戦ってきた戦士である事実に強い実感を覚えた。


 ハジメはしばし考え、首からかけるチェーンを外す。服の中に隠れていたそれには10個近い指輪が通されており、その中から一つの指輪を外した彼はそれを躊躇なくフェオに差し出す。


「毒対策だ。使え」

「これ……除毒の指輪ですか!?」

「念のためだ」


 さらりと言い切るハジメだが、除毒装備は毒の備えとしては最高級品である。一般的に出回っている抗毒装備やそれよりランクの高い対毒装備は毒の抵抗力を上げてはくれるが、より強力な毒や継続的な毒を完全には防ぎきれない。

 除毒装備は毒への備えとしては最上のもので、あらゆる毒から身を守るそれは、買えば冒険者は一生その世話になる。その分だけ下手な高級装備より遥かに高価なものだ。


「わ、私も対毒のタリスマンなら持ってますし、毒消しもあります! これはご自分で……!」

「駄目だ。対毒は安定性に欠ける。それに俺は多少毒を喰らっても問題ないし、それこそ困れば毒消しを使えばいい。俺より君のリスクを減らした方が俺自身動きやすくなる。さあ、早く」


 表情一つ動かさず淡々と説明したハジメは、つべこべ言うなとばかりに指輪をフェオに握らせる。本来なら自分のような冒険者が持つことのない高級品を渡されて暫く戸惑ったフェオだったが、結果としてハジメを待たせるだけになっていることに気付くと意を決して指輪を嵌める。


 装備したのを確認したハジメは、「行くぞ」と告げて枯れ果てた森に足を踏み込んでいく。魔王軍の毒がばら撒かれているとなればもう土地詐欺どころではない。調査の上でギルドに報告しなければならない。フェオは慌ててその後ろを追いかけ――ふと自分の指に嵌る指輪に視線を落とす。


 借り物の状態異常装備とはいえ、初めて異性から受け取った指輪。しかも慌てて嵌めたせいで、よりにもよって薬指に装備してしまった。

 思わず顔が赤くなり、首を横に振って中指に嵌め直した。


(うわぁ、この非常時になに余計なこと考えてるんだろう私……)


 一度意識してしまうと妙に思い出してしまう。

 彼は毒程度平気だと言い、フェオの身を案じて最高級の除毒装備を躊躇いもなく貸与してくれた。最後に頼れるのは自分だけである個人主義の冒険者において、ここまで躊躇いなく周囲の命を気遣える者はそういない。そうした人は早死にするからだ。


(でもこの人は高みに昇っても気遣いを失わなかった……不愛想だけど、悪い人じゃないんだ)


 その後、二人は枯れ果てた森を暫く進んだが、思った以上に枯れた範囲が広く、ギルドへの連絡も兼ねて二人はこれ以上森の深くに入ることを断念した。


 こういうとき、フェオは便利な場所を知っている。森の案内人としての知識を活かし、彼女はハジメをとある場所に案内した。


「これは、小さいが遺跡か……?」

「森の案内の仕事を始めてすぐ見つけて、野営に使えるように整備しました。どうですか?」


 そこには、ちょっとしたキャンプ地があった。

 石造りの遺跡は中と外から補強され、中は十人程度なら暮らせそうな広さと最低限の野営道具が揃っている。外には井戸に石を積んで作った簡素な竈、綺麗なため池、テーブルにトイレまである。その周囲は石で出来た簡素な塀で覆われており、町などに使われている魔物避けの薬草が結界と併用されている。


 相応の力と知識を持った魔物には破られることもあるだろうが、何もない場所でテントを張って野営をするよりもはるかに快適で安全だ。ハジメは一通り見まわし、呟く。


「立派なものだ。実用性があり、自然と調和している。飛石とびいしがあるのは……少し驚いた」

「そこは、頑張りましたので」


 足元で控えめに存在感を主張する飛石は、一部の特殊な庭園でしか見ることのない地面から頭だけ出した石を並べて作られた道だ。フェオはこの自然の中にさりげなく混ざる道が好きで、ここで作ってみたのだ。その拘りをすぐに理解して貰えたのが嬉しかった。


 ハジメは表情こそ変わっていないが、彼がお世辞を言えるほど口が上手いとは思えないので、きっと本心なのだろう。

 フェオは、彼は表情が出にくいだけで本当は人間味に満ちた人なのかもしれないと思い、彼のことをもう少し知りたいと思い始めていた。

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