枝分兄妹の事情

本懐明石

第一章

第1話 試飲会場:自宅

 家に戻ってきた時、「珍しく妹が起きているな」、と思った。

 凍てつくような三月上旬の十二時過ぎ、コンビニから帰ってきてリビングに入ると同時に、さっきまで自室に居たはずの妹が四人掛けの机に一人で座っているのを発見したのだった。

「おかえり」

 と、妹はこちらに視線を向けつつ普段より低めの声で言う。

 そして、僕が「ただいま」と言い終わった直後に彼女の視線は右手のコップへと向けられた。顔をしかめつつ、中身の透明な液体をまじまじと見つめては鼻で軽く溜め息をした。

 何か困りごとでもあるのだろうか、というのが最初に浮かんだ発想だった。

 表情といい振る舞いといい、どうも影を感じずにはいられない。……兄としてここは相談に乗るべきだろうと確信し、コンビニのレジ袋を机に置いて妹の正面に座ろうとしたのだったが、

「兄貴、お酒貰ってもいい? 焼酎が思ったよりも辛かったから」

 という具合に視線を合わせてねだられた時、杞憂だったのかとホッとしつつ肩を落とした。

 何のことはない。酒が飲みたくて父親の焼酎を台所から引っ張り出して来たところ、あまりに辛すぎてゲンナリしていただけなのだ……この時間帯にリビングに居るのは、親が寝静まるのを待ってから堂々と酒を飲もうとしていたからなのだ。

「高校三年生が酒をたかるなよ。まだ二年早い」

 と言いつつ洗面所に向かうと、後方から「兄貴も大学受験終わってから飲んでなかったっけ、パパの焼酎」というブーイングが飛んできた。図星だったので、手を洗いつつ無視を決め込むことにした。

 そして洗面所からリビングに戻ると、返事をする代わりに「なんで酒なんて飲もうと思ったんだ? 受検は随分前に終わってたと思うけど」と尋ねる。妹は特に不服そうな表情もせず、「これという理由はないかな。強いて言うなら、そろそろ飲んでもいいカラダかと思って」と答えながらコップを片手に台所に入った。

「捨てるのか? 焼酎」

「いや、減ったから足そうと思って。いくら辛くても酔いはするし」

「…………」

 若干の思案の後、冷蔵庫から2Lのコーラを取り出して妹に尋ねる。

「コーラって飲めたっけ」

「好きだけど、焼酎と混ぜて不味くならない? なんかもったいない気がして」

「辛い焼酎を無理やり飲むのも勿体ないと思うけど。コップ貸して」

 妹からコップを受け取るとコーラを注ぎ、続いてポッカレモン数滴、氷二個を加えてカランカランと揺すると妹に返す。

「なんで飲みやすくしてくれるの? 飲んだら駄目なんじゃなかったっけ」

「どうせ止めても飲むんだから、せめて不味くないようにしてやろうっていう兄の優しさだよ」

「自分で言うんだ」

 と苦笑しつつ、ありがとうと言って飲もうとした手がピタリと止まった。

 というのも、突如として頭上からドアが開く音がしたのだ……二階では両親の二人以外には誰も居らず、大方尿意で目覚めてトイレに行こうとしているのだな……と思っていたのだが、妹の側としては落ち着いた気分がしなかったのだろう。トイレのドアを施錠する時のガチャリという音が聞こえてからも、手元のアルコールを飲もうとはしなかった。

「兄貴の部屋で飲んでもいい? ゆっくり飲めないからさ」

 声をひそめて言ってくる妹に対して「なぜ自分の部屋で飲まないのか」とは思ったが、特に断る理由も持ち合わせていなかったので承諾しつつ、コンビニのレジ袋を携えて階段を上ると自分の部屋に入った。低い丸テーブルの上にレジ袋をゴソリと置くと一息ついた。

「おじゃまします」

 と言って後から妹も入って来る。座布団の無い部屋なので、枕を床に置いて尻に敷かれた。

「兄貴はなに飲むの?」

「俺はビールかな。一杯目だし」

 卓上のレジ袋から銀色の缶を取り出しつつ答えると、「じゃあ、乾杯」と言ってコップを差し出してきたので、缶をぶつけて応える。

 コーラ割りをちびりと舐めるように飲んだ妹の感想は、「ジンジャーエールみたいな味だね」だった。二口目以降はグイグイと飲んでいたので口には合ったらしい。

「ビールと発泡酒ってどう違うの?」

 コーラ割りの杯を空け、レジ袋から銀色の缶を取り出しつつ尋ねてくる。

「原料が違うのと成分の割合が異なる、みたいな分類だったかな」

「へえ。味は?」

「ビールの味も発泡酒の味も商品によって違うから何とも言えない。お前が持ってるのに関して言えば、けっこう苦くて辛い部類には入るけど」

「苦いけど焼酎よりは飲みやすいかな。こっちは?」

「レモンサワーだな。焼酎にレモン果汁とか砂糖とかを加えて炭酸で割った酒……というか、ビール飲み終わってないのにそっち飲むのか」

「交互に飲んだ方が飽きなくて良いと思って」

「そういうものかな」

「あ、これは飲みやすいかも。苦めのレモンジュースみたい」

「レモンサワーは割と飲みやすい方の酒だからな。そのわりに度数は一丁前だから、うっかり飲みすぎて潰れないように気をつけながら飲んだ方がいい」

「あの人の娘だから、そんなにお酒は弱くないと思うけど」

「自分では気付かないだろうけど、もうそれなりに酔ってるからな。頬触ってみろ」

「部屋が暑いだけだと思う。クーラー点けて」

 と言われて暖房の温度を下げつつ、それからも妹の試飲会は続行した。

 レモンサワーを半分ほど飲むと今度は部屋の隅に置いてあったワインボトルを発見し、飲み干したコーラ割りのコップに注いで飲んだかと思えば飲みかけのビールを空にしつつ……といった具合に次から次に堪能しては顔を紅潮させ、フラフラと頭を揺らしつついよいよベッドに横たわってしまったのだった。

「今日で最後なんだから、せめて自分の部屋のベッドで寝たらいいのに」

 と呼び掛けるも満足げな表情でスウスウと寝息を立てているので、妹を抱えて部屋に運んでいく。腕の中で鼻息をするごとにアルコールのにおいが漂ってきたので、心なし上を見ながら妹の部屋に入った。

「…………」

 妹をベッドの上に寝かせて、グルリと部屋の中を見渡す。

 白色の丸い照明が照らす室内は、有り体に言って殺風景だった。

 勉強机とベッドは置かれていて、タンスもあればクローゼットもある。本棚があればポールハンガーもあり、一見するとごく普遍的な部屋のように見える。

 その部屋を殺風景に仕立て上げているのは、しかしその「普遍的」さだった。

 というのは、机の上には何も乗っておらず、タンスの中やクローゼットの中には年頃の女子とは思えないほどの衣服類しかないだろうし、本棚に本はまばらでポールハンガーには何もかかっていない。

 この部屋の主である彼女が、今日の昼前に部屋を出るからだ。

 というのは、彼女は剣道の推薦で県外の大学に合格し、来年度からは一人暮らしを始めるのである……この部屋に置かれていた各種衣類や書類などは既にクルマの中に運び込まれていて、この部屋にはそれ以外の物品しか残っていないのだった。

「お前は俺よりずっと優秀だし、剣豪の次には酒豪にもなるんだろうな」

 最初、剣道をしていたのは僕だった。

 中学校から初めて高校卒業までの六年間、「運動部に入れ」という親の指導に従って剣道部に所属していた……これといった信念はなく、与えられたメニューだけを日々こなしていた。

 それから二年が経って、妹が同じ中学の剣道部に入部した。

 得てして二人目以降の子供は兄か姉の姿を見て育つものだが、とにかく妹は剣道部に所属し、中学一年生から全くの素人状態でスタートした。

 しかし、その成長速度が僕の比ではなかった。

 元から運動神経に長けていたのもあるが、中学から剣道を始めたような部員は瞬く間に妹に抜かされ、次第に小学生から道場に通っていたような経験者にすら実力で勝った。彼女が入部してから僕を含む三年生が引退するまでの数ヵ月間で彼女は男女を問わず無敵の選手となり、高校入試も剣道の能力で通過した。

 何もこれは、剣道だけに限った話ではない。

 例えば人付き合いのうまさや要領の良さ、絵が上手ければ歌も得意、僕が一曲弾けるようになって満足したギターのレパートリーは数十曲……といった具合に、僕のすることを真似てはそれ以上の成績を残すということを無邪気にしてきた。

 ただ、そのことを僕は誇りに思っていた。

 すなわち、僕自身は大した才能を得ず、それなりの学力でまずまずの大学の二年生に落ち着いてはいるものの、僕の本懐は僕自身にはない……優れた妹の指針となることが僕の本懐であって、それを達成出来たことが何より誇らしいのだから。

「おやすみ」

 と言って電気を消し、部屋を後にする。

 冬の凍てつくような廊下を足裏に感じつつ、僕は暖房のあまり効いていない自室に戻って、散乱する酒類たちの後片付けをし始めた。

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