たとえば絢奈が娘で星奈さんが妻で

 あれから修や伊織と別れ、俺は一人でブラブラ……とは行けなかった。


「……ふふ♪」


 俺の腕をガシっと抱いている絢奈が隣に居た。その反対側には星奈さんが歩いている。流石に絢奈みたいに腕を組むことはないが寄り添って歩くのは同じだった。

 別に今日絢奈と過ごす予定ではなかったのだが、こうして出会ってしまうといざ別れる時に絢奈の悲しそうな顔を見てしまうわけだ。彼氏として彼女のそんな顔を見てしまっては、いくら申し訳なく感じたとしても離れることは出来なかった……ま、俺自身も絢奈の傍に居れて嬉しいのは当たり前のことだけど。


「修君、大丈夫そうね」

「そうですね。辛そうではありましたけど、おそらく心配ないと思います」


 昔の修なら分からないが、今の修ならきっと大丈夫なはずだ。兄として妹を守るっていう強い意志もそうだし、伊織っていう支えてくれる存在も居る。修が押し潰されそうになったら、きっと色んな人があいつを助けてくれるはずだ。もちろん俺だってそうだ。


「きっと本条先輩の存在もあると思います。……少し感慨深いですね」

「……そっか」

「はい」


 一応修と伊織が出会った切っ掛けが絢奈ということも知っているため、俺も少しだけ不思議な気持ちだった。元々絢奈の復讐の糧となるようにあの二人は巡り合った……けど今は違う。本来の道筋から外れた俺たちは間違いなく良い方向へと進んでいるはずだ。


「……良かった」


 小さく囁かれたその言葉には間違いなく修への優しさが込められていた。そうだな、これが本来の絢奈の姿とも言える。本当にこの子は優しいんだ……本当に。


「ふふ、今絢奈を見てる斗和君の顔……なんだか父親みたいだったわよ」

「そんな風に見えました?」


 まだこの年で父親って言われたくはないけど……ま、それくらい優しい表情に見えていたんだと認識しておくことにしよう。


「斗和君が父親ですか……ふむふむ」


 何かを考え込む絢奈の様子に俺は少し嫌な予感を覚える。大体こうやって少し面白そうに考え事をしているのは何かを企んでいることが多いからだ。どんな企みをしていたとしても、この子は俺が本気で嫌がることは絶対にしない……というより、相手が絢奈ということで俺が何でも許してしまうのもあるんだけど。そこはまあ惚れた弱みってやつだ。

 さてさて、一体何を絢奈は考えているのやら――。


「もし斗和君が私のお父さんだとしたら……はい。近親待ったなしですね」

「……………」


 慎みも何もない言葉が飛び出した。絢奈を見ると当然ですって顔で俺を見ていた。うん……これは嬉しいって感想を持てばいいのかな?


「斗和君だって私みたいな娘が迫ってきたら我慢できないんじゃないですか?」

「それは……」


 う~ん、イマイチ父親の気持ちが分からなくて絢奈の恋人としての俺の気持ちが前に出るわけだけど……ちょっと失礼。


『お父さん、大好きです。愛しています』


 ……まあ、やっちゃうんじゃないかな。

 何度も言うがこう思うのは絢奈の恋人としての俺が出過ぎているからで……どんなに考えようとも俺が絢奈の父親になる世界はないんだし変に罪悪感を抱くこともない。


「絢奈、もしそうならちゃんと守るものは守らないといけないわよ」

「……えぇ」


 至極当然、常識を説く星奈さんはやっぱり母親だった。最高に不満そうな顔をする絢奈に苦笑しつつ、この妙なやり取りに終止符を打ってくれた星奈さんには感謝を――。


「というか絢奈の父親が斗和君なら私と夫婦ということになるでしょう? だから斗和君がそういうことをするなら必然的に相手は私になるわね」

「……あ?」


 バキっとこの空間に罅が入ったような錯覚を覚えた。星奈さんはもちろん冗談で言ったつもりなんだろうけど、絢奈の顔がそれはもう凄いことになってる。俺でさえも怖くて視線を逸らしてしまったほどだ。それくらい母親に向けてはいけない目を絢奈はしていた。

 星奈さんはそんな絢奈の視線に気づいておらず、いやんいやんと体を揺らして……ねえ星奈さん。冗談のつもりだよね? こう言っては何だけどちょっと怖いんだが。


「……もしそんな世界があるなら私が斗和君を寝取ってやる」


 おかしいなぁ……夏なのにちょっと寒い気がするよ。

 それから俺たち三人は買い物を楽しんでいた。そんな中、母さんからメッセージが届いていたので確認すると、どうやら神崎さんを含めた舎弟の皆さんと飲み会をするらしい。なので夜は居ないので作るか外で食べてきてとのこと。


「……了解っと」


 くれぐれも飲み過ぎないように、また家で吐き散らしたら嫌いになると送っておいた。するとすぐに返事が帰って来て気を付けると書かれていた。別に本気のつもりではないけど、母さんからすればかなり焦ったのか文字の打ち間違えもあってクスッと笑ってしまった。


「どうしたんですか?」

「あぁ実は――」


 母さんからのメッセージを伝えると、すぐさま今日の夜の予定が決まった。夕飯は絢奈の家で食べることになり、そのまま泊めてもらう運びになったのだ。母さんが居ないことを伝えた時って大体こんな感じになるけど、迷惑でないならありがたい話だ。


「……………」


 それにしてもと、俺はさっきの光景を思い返した。

 絢奈がもし俺の娘なら……それに似た夢を以前見たことがあって絢奈にも話したことがある。所詮は夢であって現実ではない。だというのにあの子が絢奈の娘だと思うと、あんな風に実の父親であろうが迫ってくる絢奈が居る世界もあるのでは思えてしまう。


「いや、そんなもんより今が一番だな」

「斗和君?」


 恋人としてこの子が傍に居る今が何よりも大切だ。


「何でもない。愛してるよ絢奈」


 ポカンとした表情だったが、すぐに私もですと言って笑ってくれた。

 買い物もそこそこに三人並んで夕暮れの道を歩く。もう母さんたちは飲み始めたくらいか、そんなことを考えていると絢奈の家に着いた。

 先に入った二人に続くように俺も玄関を潜り、自分の家ではないというのにただいまと口にした。


「ふふ、おかえりなさい」

「おかえりなさい」


 そう当たり前のように返ってくる言葉が心地よかった。

 夏場ということもあり、運動をしたわけではないが外に出ていたので汗を搔くのは当然だ。なので絢奈は一足先にお風呂に向かうことに。


「一緒に入りますか?」


 魅力的なお誘いだったが首を横に振った。俺たちの場合二人で風呂に入ると絶対に時間が掛かるし疲れることになるからだ。絢奈自身もそれは分かっているのか残念そうにしながらも笑顔で風呂へと向かった。


「さてと、それじゃあ用意をしましょうか」

「手伝いますよ」

「大丈夫よ。斗和君は座ってていいわ。絢奈がお風呂から出たら行っておいで」


 残念、今日も断られてしまった。

 大体絢奈の家に泊まる時は家事の手伝いなどを申し出ることはほぼいつものこと。でもその度に休んでいてと微笑みと一緒に断られてしまう。別に信頼されてないわけでもないし、足手纏いに思われているわけでもなく、単純に星奈さんが自分の手で作った料理を俺にご馳走したい思いかららしい。

 上がりかけた腰を再びソファに深く沈ませ、スマホを弄りながら時間を潰すことにした。


(……そういや凄い今更だけど、絢奈のお父さんってどうなったんだ?)


 今まで気になることはあったけど聞くようなことはなかった。絢奈もそうだし星奈さんも父親についてはあまり話そうとしないからだ。絢奈に関しては単純に知らないからだろうけど、星奈さんは……いや、子供の俺がそんな大人の事情に踏み込むのはやめるとするか。


「……………」


 いずれ時が来れば知ることはあるかもしれない、もしかしたら永遠に知ることもないのかもしれない。それでも別にいいかなと思っている。それは別に興味がないとか、どうでもいいと思っているわけではない。


「ふんふんふ~ん♪」


 たとえ知らないことがあったとしても、ああやって星奈さんが笑顔で居てくれるならいいかなと思うからだ。絢奈にしても気にしている様子はないし、それならそれでいいじゃないか。

 一旦気になったことを忘れるように頭を振って、俺は星奈さんの鼻歌をBGMに聞きながら絢奈の帰りを待つのだった。

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