斗和と絢奈と修

「最悪ですぅ!!」

「はは、よしよし」


 人目を一切気にすることなく絢奈は俺に抱き着いた。ナンパしてきた男を追い払うために強い言葉を使った場面を見られたことがかなり恥ずかしかったらしい。

 俺は絢奈に抱き着かれた状態で近くのベンチに座る。絶対に顔を見られたくないという風に、胸元に額を押し当てて決して動こうとはしなかった。そんな絢奈の様子には他の三人も困ったように笑うだけだ。


「驚いたわ。絢奈のあんなところ初めて見たから」


 ビクッと絢奈の体が震えた。


「……その、僕もビックリしましたよ」

「音無さんの皮を被った偽物……じゃないのよね?」


 ビクビクっと、絢奈の体が更に強く震えた。

 今まであの状態の絢奈は俺と……あぁそうか、琴音ちゃんも見たことがあったか。後は絢奈にちょっかいを出そうとしたいつぞやのプールの人くらいだ。修や伊織の存在は置いておくとして、傍に星奈さんが居たのにあのキレ方はおそらく何かを言われたんだろう。


「まあ絢奈の気持ちも分かるのだけどね」

「何か言われたんですか?」


 ストレートにそう聞いてみると星奈さんは頷いた。


「最初は普通のナンパだったんだけどね。私にもそこそこ声を掛けて、次に絢奈に標的を移したんだけど今の彼氏より満足させてやるとか、夢中にさせてやるとか言い出したのよ」

「……なるほど」


 心に燻った怒りは一旦忘れよう。基本的に絢奈がキレるのは稀で、表情や言葉に若干の棘が入ることはあってもあそこまで怒鳴ることはそんなにない。絢奈があんな風になる場合は大概少なからず俺という存在が関わった時だ。今回の場合は俺を引き合いに出したからだな。


「……私にとっては斗和君が一番なんです。名前も知らない、それこそあんな風に人の彼氏を引き合いに出してまで自分を誇示するようなクズなんて話したくもないし見たくもありません」


 そう、いつだってこの子はそうだ。何よりも俺を優先する絢奈に若干の危うさは感じつつも、それに居心地の良さを感じてしまうのは果たして俺が間違っているのか。とはいえそこで立ち止まるのではなく、しっかり絢奈の在り方を見つめることで向き合ってはいるつもりだ。昔からずっと俺はそうしてきたと自信を持って言える。


「色々と抑圧されていた気持ちを爆発させて発散させることもあるんだ。ま、あまり聞かないであげてくれると嬉しいかな」


 俺の言葉に星奈さんと修が顔を伏せた。二人とも俺の言葉が何を指しているのか、そもそもとして心当たりがあるからこその反応だろう。伊織に関しては少し首を傾げていたものの、気になりはしただろうけど聞いてくるようなことはなかった。

 俺は絢奈の頭を撫でる手を止め、顔を上げさせてその瞳を見つめた。まだ頬は赤くて恥ずかしさは消えていない、それでもそんな表情すらも俺にとっては愛おしかった。


「俺個人としてはあんな絢奈も好きだけどな。普段御淑やかな絢奈が時に感情を爆発させる瞬間、絢奈の全部が好きな俺にとってあの状態の絢奈も例外じゃないからさ」

「……知ってますよ。斗和君が私のことをどうしようもないくらいに好きってことくらい」

「だろ? そしてそれは絢奈も同じだって分かってる」

「当然です!」


 何を当たり前のことを、そんな表情の絢奈に今この場に居る俺たち全員が笑った。


「……なるほど、あんなギャップもありなのね」

「伊織さん?」

「ねえ修君。私がギャルっぽくなるとかギャップを感じる?」

「……………」


 何を言ってるんだこの人、そんな表情の修だ。ただ想像はしたのかうえっと嫌そうにしている。実を言うと俺も少しギャルっぽくなった伊織を想像してみた。伊織は絢奈のような真っ黒で綺麗な長い髪で、胸元が見える大胆な服装はともかくとして普段の制服姿なら清楚なイメージを抱く人も少なくはないはずだ。クールビューティ、そんな言葉が伊織を表す言葉としてよく使われるがそんな彼女がギャルに……ふむ。

 何だろう、今の伊織が派手な姿に突然ジョブチェンジしたらあれしか思いつかない。ほら、長い休みを経て久しぶりに会った清楚な女の子が派手なヤリマンになっていたとか。


「本条先輩がいきなりそんな風になったら誰もが思いますよ。あ、男を知ったなって。しかもヤリまくってるんだなって」

「そ、それは困るわ!!」


 真顔の絢奈に伊織は叫ぶように否定した。しかも修の肩に手を置いてガクガクと揺らし、絶対にそんなことはしない。自分は決して修以外とそんな関係にはならないと念を押すように必死な様子である。


「わ、分かりましたから!! 分かったから肩を揺らすのをやめてくださいって!!」


 本当に仲が良いなこの二人は。

 傍で見つめていた星奈さんも修の変化には気づいたみたいで、嬉しそうにその変化を喜んでいる様子が見られる。そして同時に心配だと感じているような気持ちも伝わってきた。


「斗和君、ありがとうございました。落ち着きましたよ」

「そっか」

「はい♪」


 いつもの様子に戻った絢奈は俺から離れて立ち上がり修を見つめた。絢奈の視線を受けた修は表情を引き締めて絢奈と向かい合う。しばらくの沈黙が流れた後、最初に口を開いたのは絢奈だった。


「修君……変わりましたね。前よりも大きく見えるといいますか、心が強くなったようなそんな感じがします」

「そう……かな。自分では分からないけど」


 お互いに少し固いかな。でもそれも無理はないと思う。こうして絢奈と修が言葉を交わしたのはあの時以来のはず……それでも嫌な空気はなく、どちらも纏う雰囲気は柔らかい。


「……前に進むと景色が違って見えるでしょう? 今のあなたなら分かると思います」

「……うん。良く分かるよ。自分って存在がどれだけ小さかったのかって思い知らされた」

「ふふ、そうでしょうね。私も同じでしたから……でも、そのことに気づかせてくれた人が居ました」

「そうだね。僕も同じだよ。それに気づかせてくれた大切な友人が居た」


 そうして同時に絢奈と修は俺を見つめた。突然のことにビックリすると同時に、妙に照れくさくなってしまい目線を逸らしてしまう。二人だけでなく星奈さんや伊織からも似たような雰囲気を感じてしまうものだから参った。

 俺を愛おしそうに見つめていた絢奈はくるりと体を反転させ、再び修へと向いた。


「修君、これからもよろしくお願いします。幼馴染として」

「……うん! よろしく! 幼馴染として!」


 ……はは、少しだけ泣いてしまいそうになる。

 あの時、俺たちの関係は完全に終わってしまったと思った。でもそうではなかった……俺たちはまた元に戻れたんだ。もちろんあの時から色々なことが変わっているけれど、決定的に違うのは俺たち全員が改めて一歩前に踏み出せたということだ。


「……ふふ、嬉しそうね雪代君」

「あぁ。伊織の言う通り嬉しいよ」

「良かったわ。……?」

「……あ」


 マズい、感極まって心の中で呟くのと同じように呼び捨てにしてしまった。伊織は最初驚いたようにしていたが、すぐにクスクスと笑う。


「なるほど、雪代君は心の中では私のこと呼び捨てで呼んでいたのね?」

「……その、申し訳ないです」

「謝る必要はないわ……なるほど、ようやく理解できた」

「理解?」


 伊織は頷いた。


「音無さんを見つめる視線もそうだし、私を見る視線もそう……時々、まるであなたが私よりも年上に感じることがあったの。口には出さなかったし、いきなり言われてもあなたが困るだろうから」

「それは……」

「まるで音無さんすら知らない秘密がありそうだけど……ふふ、聞かないでおきましょう。あなたを追求するということはつまり、藪蛇を突くようなものだからね」

「え?」


 伊織が指さした場所、そこでは絢奈がジトーッとした目を向けていた。確かに少し近い距離で話をしすぎたかもしれない。俺は何でもないと手を振ると、ササッと絢奈が俺を伊織から引き離すように距離を取る。


「斗和君、何か変なことをこのデカ乳女に言われたんですか?」

「ちょ、その言い方は酷くないかしら!?」

「酷くないですぅ。年取ったら垂れそうな胸で斗和君を誘惑しないでください」

「真顔で言うことじゃない! 垂れないわよ! ていうか音無さんも同じようなものでしょうに!」

「私は常に最高の状態を保てるように努力してますし? それにFっていう程よい大きさですし?」


 ……Fは高校生にしては大きい方だと思うけど。それに確か最近また大きくなってきたって言ってたしなるほど、まだ成長しているんだなと逆に微笑ましい気持ちになるくらいだ。

 顔を真っ赤にした伊織は何故か星奈さんを見た。正確には星奈さんの胸元……そこには当然絢奈よりも大きく、そして伊織よりも大きな夢がびっしりと詰まっている。


「ちなみに、お母さんはあの大きさなのに張りがあってツンとしてるんです」

「……なるほど」

「ちょ、ちょっとあなたたちこんなところで何を言ってるの!?」


 胸元を隠すように身を縮こまらせる星奈さんだがその体勢は些かマズいのでは。だって体を抱くように胸を隠しているから服の上からも分かるくらいに歪んでいる……あ、通りすがりの人がギョッとしたように見てはサッと視線を逸らした。


「……疲れたね」

「そうだな……」


 いつの間にか隣に来ていた修とそう言葉を交わし、俺たちはしばらく女性陣たちのやり取りを見つめ続けるのであった。

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