嵐の前の静けさ

「……あれは」


 珍しく街中を一人で歩いていると見知った顔を見つけた。俺の視線の先で数人の男女を引き連れて歩いているのは神崎さんだ。物々しい雰囲気に周りの人も避けているくらいで、もし神崎さんが知り合いでなかったとしたら俺も絶対に目線を合わせたくないと思うはずだ。


「何してんだろうな……」


 神崎さんたちが向かったのは……何かの事務所か? 何か怒鳴り声のようなものが聞こえてくるような聞こえないような……うん、これは関わらない方が良さそうだ。そのまま素通りしようと足を進めるのだが、へこへこと頭を下げる男と一緒に神崎さんが現れた。まるで何かを乞うような男の様子だが、それに神崎さんは反応するどころか視線を寄こしもしない。

 うちに来た時に見せる柔らかな表情は鳴りを潜め、凍てつく刃物のような雰囲気を纏うその姿にあれが本来の姿なのかなと俺は感じた。


「……っとと、買い物買い物」


 母さんに頼まれた食材の買い出しを済ませないといけない。普段なら絢奈も一緒に居るのだが、今日は星奈さんと親子でお出かけしているため傍には居ない。いつも隣で笑いかけてくれる彼女が居ないのは少し寂しいが、偶にはこんな日もあるということだ。


「二人ですき焼きってのも大変そうだぞ……」


 二人しか居ないけど偶には鍋物を、そんな感じで急遽すき焼きに決まったわけだが……母さんあんな風に言ってもそこまで食べないからな。どっちかっていうと酒の量が多すぎて腹を膨らませるタイプだし……まあでも、母さんと二人で鍋を突くのも悪くないな。


『絢奈ちゃん居ないならやっぱり私も買い物に付き合おうかしら。ふふ、息子とデートなんて……あぁいい響き♪』

『一人で大丈夫だよ』


 いけずと叫ぶ声を聞きながら家を出たけど、夕飯後に酒ででろんでろんに酔った母さんの相手をすることを考えれば今から体力は温存しておかないといけないしな。許せ母さん、俺は今のうちに体力の上限を上げておくことにする……なんて馬鹿なことを考えつつ足を進めようとしたその時、トントンと肩に手を置かれた。


「っ!?」


 ビクンと心臓が口から飛び出るかと思った。というか誰でもいきなりそんなことをされればビックリするのは当たり前だろう。誰か知り合いが俺を見つけたか、そう思って振り返ると……あ、あなたでしたか。


「神崎さん……」

「やっほ斗和坊。悲しいなぁ、私を見つけたのにそそくさ行こうとするなんて」


 分かりやすい泣き真似をするようによよよと目元を隠す神崎さん。


「いや、なんか関わり合いになりたくない雰囲気だったし」

「……ま、それもそうだよね。あのカス、私の手を煩わせやがって」


 だから怖いって。

 心の弱そうな人なら腰を抜かしてしまいそうになるほどの眼光……だがすぐに傍の俺を気遣って雰囲気を和らげた。というかだよ神崎さん、あなたの後ろに居る人たちが超絶怖いんですけども。

 俺の様子から神崎さんは察してくれたのかごめんごめんと苦笑する。


「あはは、ごめんね斗和坊。でも安心して、こいつらは君に酷いことはしないから」

「……そうなの?」


 確かに何かをしてくる様子は感じられなかった。それどころかみなさん頭を下げて来た……なんでさ。困惑していると一人の女性が前に出てくる。その女性はおずおずと手を差し出した。


「あなたがあの夜叉姫様のご子息……良かったら握手してもらえないかしら」

「あ、はい」


 母さん……もう何も言うまい。握手を求められたのでしてあげると、その女性は嬉しそうに笑顔を零した。


「無病息災、今年はいい年になりそうだわ。ありがとう」

「あ、はい」


 母さん、あなたは一体過去にどれだけの武勇伝を作ったんだ。非常に気になるけど、やっぱり聞かないことにしよう。それから神崎さんは控えていた人たちに指示を出して解散することに。挨拶そこそこに姿を消した皆さんを見送った後、俺もこの場から去ろうとしたのだが……ガシっと肩を掴まれた。


「ねえ斗和坊は今何してるの?」

「……買い物です」

「へぇ買い物……へぇ買い物なんだ。夕飯の買い出し?」

「はい。母さんと二人ですけどすき焼きが食べたいそうで」

「へぇすき焼き! 美味しそうだね! うん、とっても美味しそうだ!」


 ……この人は……はぁ。


「家に来ますか?」

「いくぅ!!」


 母さん、一人増えたよ。溜息を吐いてしまったけど、嬉しそうな神崎さんの様子を見ると文句を言う気にもなれない。母さんが言ってたけど神崎さんの家はやっぱり金持ちらしく、毎日その辺の庶民じゃ食べられないほどの豪華な食事が出てくるらしい……それでもよくうちに食べに来て美味しそうに、そして楽しそうに食事をする姿はちょっと微笑ましいとも思うのだ。


「じゃあ神崎さん、買い物手伝ってください」

「お安い御用だよ。それじゃあいこっか」


 ひょんなことから買い物隊に一人の仲間が加わった。とはいえ神崎さんが居ることで会話をしながら買い物が出来るので退屈な時間にはならなかった。すき焼きに使う食材、そして神崎さんの好きなお酒を買ってようやく帰路に着く。


「楽しみだねぇ。そう言えば斗和坊はすき焼きは卵と一緒に食べる派?」

「俺はそのままで食べますね。母さんは卵派ですけど」

「卵掛けた方が絶対美味しいって! 試してみてよ」

「まあ機会があれば」

「斗和坊、その言い方をする人って絶対にしないんだよ」


 卵は好きなんだけど……個人的には卵焼きとかが好きなんだよね。逆にゆで卵とかみたいに黄身が固まるのは好きじゃない。目玉焼きとかも出来れば半熟がいいって思うくらいだし。

 卵を使うか使わないか、そんなくだらない内容を神崎さんと語り合っていた俺だったが、ふと視界の片隅に映ったものを見て動きを止めた。


「斗和坊?」

「……………」


 足を止めた俺を不思議に思ったのか神崎さんが声を掛けてきたが、俺にはそれに応える余裕はなかった。何故なら俺の視界に映ったモノ、それは見覚えのある女性が見たこともない男性と仲睦まじく腕を組んで歩いている姿だったから。


「……初音さん?」


 修の母である初音さん、彼女が見知らぬ男と腕を組んで人混みの中に消えて行った。初音さんの旦那さん、つまり修のお父さんは確か単身赴任で遠くへ行っているはずだ。だから今この街には居ない……ということは今の光景は……浮気?


「今のは佐々木初音……だっけ? 斗和坊の友人の母であり、君に酷い言葉を放った女」

「……知ってたんですか?」

「うん。以前に姐さんから聞く機会があっただけ」

「そうでしたか」

「……あの若いチャラチャラした男が旦那、ってことはないよね?」


 俺はその問いかけに小さく頷いた。

 浮気と判断するのは早計かもしれない、もしかしたら初音さんによく似た人って可能性もある。事実だと確定していないのに変に考えても仕方ないか。


「帰りましょうか神崎さん。単なる見間違いかもしれませんから」

「そうだね。見なかったことにしようか」


 ……あの人は俺にとって関わり合いになりたくない人の一人だ。でも、修の母ということもあって気になってしまうのは仕方ない事か。……って、今見間違いかもしれないって思ったばかりじゃないか。俺は頭を振って今見た光景を忘れることにした。

 そして――。


「おかえりなさい斗和君」

「絢奈?」


 家に帰って玄関を開けた時、見覚えのある靴があるなと思ったら絢奈が出迎えてくれた。そのままリビングに行くと星奈さんも居て、母さんに聞くとすき焼きにするからと二人を呼んでいたらしい。それならもう少し多く買えば良かったか、そう思ったけど俺以外女性だしこれで丁度いいかもしれない。


「本当にアンタはどこから匂いを嗅ぎつけてくるのかしら」

「いいじゃないですか姐さん、すき焼き私も食べたい!」

「……全くこの子は」


 困ったように言いはするけど追い返すようなことはしない。それも分かっていたけど、いつ振りか忘れてしまったがまた賑やかな夕食になりそうだ。


「………はぁ」


 そんな中、溜息を吐く星奈さんが居た。


「どうしたんだ?」

「いえ……実は一昨日くらいからあんな様子なんです。どうしたのか聞いても見間違いかもしれないから気にしないでって」

「見間違い……?」


 これは、もしかしたらもしかするのかもしれない。聞かない方がいい、関わらない方がいい、そんな脳裏に響く言葉を振り払うように、俺はストレートに聞いてみた。


「星奈さん、何か悩んでいるみたいですね」

「……ふふ、分かるかしら。でも絢奈にも言ったように見間違い――」

「初音さんのこと……ですか?」

「っ!?」


 その星奈さんの反応で、俺の見たモノが真実なのだと答えが出た。

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