黒く染まる

『斗和君はどうしてサッカーを続けているんですか?』


 ふと気になって、私は彼にこう質問した。小学校を卒業し、中学生になっても斗和君はサッカーを続けていた。楽しそうにしているから単純に好きだということも分かるのだけど、私は斗和君が何を想ってサッカーをしているのか知りたかったのだ。もっともっと、彼のことが知りたいと思ったから。


『なんで続けているかか……好きだから?』

『……ですよね』


 シンプルすぎる!

 それはそうだよねって自分の中でも納得できた。でも斗和君は辺りをチラチラ見ながら、周りに人が居ないのを確認して話してくれたのだ。サッカーは好き、そして隠されていたもう一つの理由を。


『絢奈は母さんに会ったことあるよな?』

『明美さんですか? はい。よくお話しますよ』


 斗和君のお母さんである明美さんとは面識がある。斗和君が出る試合を見に行った時に客席でよく応援しているからだ。中学生の息子がいるとは思えないほどに若々しい見た目、派手な見た目で最初は怖いと思っていたけど、話してみればただの親馬鹿な女性だった。


『斗和! そこよ! ヒールリフトで抜き去りなさい!!』

『キャプテンなんちゃらじゃないんだから試合中に上手くいかねえよ!?』


 本当に賑やかなお母さんで、私も明美さんと話すのは好きだった。こういっては親不孝な発言かもしれないけど、こんな人がお母さんだったらなって思ったことも少なくはない。明美さんがとても素敵なお母さんというのは知っているけど……何だろうか。


『その……絢奈の心だけに留めてくれない? 母さんには間違っても言わないでほしいんだ。恥ずかしいしさ』


 斗和君は頬を掻きながらそう言ったので、私も分かったと約束した。頷いた私を見て斗和君は語ってくれた。サッカーが好きなのもあるけれど、どうしてここまで続けているかの理由を。


『うちの家に父さんが居ないのは知ってると思うけど……事故でな』

『あ……』


 斗和君の家の事情は詳しく聞いたことがなくて知らなかったけど、お父さんは事故で亡くなったんだ……申し訳ないことを聞いてしまったと思ったけど、斗和君は私の頭を撫でてくれて気にするなって言ってくれる。


『母さんは父さんのこと大好きだったからさ。そりゃ落ち込んでたよ。でも母さんは俺が居るからってすぐに立ち直ってくれた。本当に強い母さんだって思った。でも、時々父さんのことを想っては涙を流すこともあったんだ』


 斗和君も当時のことを思い出しているのか、少しだけ辛そうだ。


『立ち直ったとは言っても笑顔が減ったのは事実で、俺はそんな母さんを見るのがやっぱり辛かった。そんな時だったんだよ。俺がサッカーのクラブに入って、試合に出ているうちに母さんが応援に来てくれるようになった。それで笑顔が増えていったんだよ』


 あぁそうなのか。もしかしたらそれが……斗和君のサッカーを続けている理由なのかな。


『俺がサッカーをしている姿を見て笑顔になってくれるなら、息子としては続けなくちゃって思うだろ? それで続けているうちにサッカーがもっと好きになったからウィンウィンってやつだ』

『……そうだったんだ』


 ……私には家族のために頑張るって発想をしたことはないし、これから一生そんな時は来ないのだろうと思っている。でも、斗和君のお母さんのために頑張ろうって気持ちはとても尊くて、私はそんな斗和君が本当にカッコいいと思ったんだ。恥ずかしいと最初に口にしたように、照れながら話をしている斗和君はとても可愛かった。でも……そんな彼を見ていると凄く心臓がドキドキとしていた。

 あの時、狭かった世界に光をくれた斗和君。あれからたくさんの時間を過ごして、もっともっと斗和君のことを知って、そしてまた今日新しいことを知れた。


『……って感じなんだけど……って顔が赤いぞ?』

『ふふ、そうでしょうね。だって斗和君は私が思っていたよりももっと素敵だったってことを知れたんですから』


 あぁ恥ずかしいな。恥ずかしいけど、もう気持ちを偽ることなんて……いや、偽る必要はない。


 私……斗和君が好きだ。


 もしかしたら私はずっと、あの時から好きだったのかもしれない。でも、この気持ちはまだ胸の内に秘めておこう。今はとても大切な時期、斗和君にはサッカーに集中してもらいたいから。


『絢奈、頑張るから大会見に来てくれよ』

『もちろんです。絶対に応援に行きますからね!』


 大会に絶対応援に行く。というか明美さんと約束しているから確定していることなんだけどね。修君はどうだろうか。斗和君が出る試合だから付いてくるかもしれないけど、前は途中から退屈そうにしていたから分からないかな。

 修君か……もうどうでもいいと思っている私は最低な女だろうか。母たちが聞いたら何を言われるか分からないけど、もう私の心には斗和君がいる。修君の入り込む隙間なんてないんだ。


 ……あ、そう言えば斗和君に聞かれたのもこの時だったかな。私の話し方について。


『そう言えば最近ずっと敬語だけど……どうしたんだ?』

『……あぁ。それは』


 最近になって私の話し方は敬語が主となった。その理由は単純で、家族たちに対する防護壁みたいなものだろう。家族と言えど敬語で話せば他人のように考えられるから。斗和君にもこの話し方で固定されてしまったのはクセみたいなもので、意識すれば外せるけどもう慣れてしまった。

 馬鹿正直に家族と距離を取りたいから、なんて言えるわけでもなく私は返答を困っていると、斗和君はグッと親指を立てた。


『色々あるんだろうけど、敬語女子良いと思います』


 キリッと無駄にかっこよく言った斗和君に私は笑ってしまった。あぁ本当に、斗和君の前では小さな悩みなんて馬鹿馬鹿しいと思える。


 時は過ぎる。

 斗和君はサッカーの大会に向けて頑張り、私も自分の出来る範囲で彼をサポートした。斗和君は小学校からずっと頑張っていたんだ。明美さんのために、そして私のためにもと言ってくれた。そんな彼の頑張りは絶対に報われるべき、私はずっとそう思っていた。

 けれど……。


『おい修!!』

『……え?』


 運命は残酷だ。


『……斗和……君……?』


 彼の何年にも及ぶ努力と想いを、一瞬で奪い去ってしまったのだから。


 人はどうしてこんなにも醜いのか、私はそれを今日数多く知った。


『あのね、君は要らないの。修には絢奈ちゃんが居るし、絢奈ちゃんには修が居る。異物のあなたが入り込んだからきっと罰が当たったのね』


 汚物が何かを言っている。


『お兄ちゃんと絢奈お姉ちゃんだけでいいよ。あんなやつがいるのは嫌』


 うるさい、ゴミは黙れ。


『斗和が大会に出れない……はは』


 どうして嗤っているの? 斗和君はお前のせいで怪我をしたのに!!


『あの時から嫌な子だと思っていたのよ。あんな母親じゃ教育が行き届いていないのも当然よ』


 ……この人と一緒の血が流れている……なんて気持ち悪いのだろう。

 私は吐きそうになる胸を抑えるように手を当てると、少しだけ湿っていてそれは斗和君が私の胸で涙を流した証だった。

 サッカーが好きだった。明美さんの笑顔のために頑張った……そんな想いを簡単に踏み躙る言葉の数々に私の中の何かが変わった。それからだ……私にはもう、彼らが同じ人には見えなくなった。

 リハビリを頑張る斗和君の辛そうな姿を見るたびに心が軋む。自分のことで手一杯なはずなのに私のそんな様子に気づいて気に掛けてくれる。そんな斗和君の想いが嬉しくもあり、それに喜ぶ自分が浅ましいとも思った。

 そして、私は聞いた。


『僕……絢奈が好きなんだ。だから、斗和にはその応援をしてほしい。君は僕にとって親友だから、一番最初に伝えておきたかったんだ』


 無関心であろうとした心が嫌悪、憎悪に変わった。






「……えげつないな。絢奈がやばい」


 ファンディスクをプレイし終えた男性は一言そう呟いた。本編で語られなかった絢奈の生きた道、斗和の夢を嘲笑った者たちへの復讐の物語。

 憎悪に突き動かされる絢奈の姿は衝撃だが、斗和の前では彼女はいつもの姿だった。もちろんそんな絢奈のHなシーンはあったが、その相手は全部斗和だけである。彼女が乱れるのは必ず斗和の前だけだった。しかしいかんせん濃厚なシーンではあったものの、ストーリーが重すぎてそちらにばかり意識がいってしまったが。


「……ええっと、開発者のインタビューか」


 男性が見たのは公式サイトに載せられた開発者のコメントである。


『おそらく、プレイされた方の皆さんは修を含めた家族にヘイトが向いたのではないかと思います。正直やり過ぎかなと思ったシーンはいくつかあるのですが、絢奈の狂気を事細かに表現するとあんな形になってしまったんです。先輩と後輩は可哀そうだったってスタッフが反省してました(笑)さて、みなさん二週目はプレイされましたでしょうか? 二週目のエンディングで演出が少し変化するんですよ』


「はい!?」


 それは男性にとって寝耳に水だった。そのコメントページを残したまま男性は再びプレイ、といっても会話などに変化はなしなのでスキップを活用して一気にエンディングへと向かう。

 笑顔で手を繋ぐ斗和と絢奈を映し出し、そのままその絵を背景としてスタッフロールが流れるのだが……その一番最後で、画面にこんな文字が浮かんできた。


“俺の腕の中には絢奈が居る。ずっと笑っている。そんな笑顔を見ていると俺まで幸せになれる。けど……本当にこれで良かったのだろうか”


 二人で幸せそうに映っていた絵に変化が起き、絢奈の姿が消えて斗和だけが残された。


“俺を想い彼女は行動した。でも本当の意味で彼女の心を壊してしまったのは……何も気づけなかった俺自身。あの優しかった彼女を俺から奪ったのは……俺自身でもあるのかもしれない”


 そんな言葉を最後に本当の意味でエンディングとなりタイトルに戻った。

 それをずっと見ていた男性は茫然としていたが、すぐにコメントページに再び目を通す。


『実際に斗和は本編で絢奈がやったことは知りません。なのでこれはもし後になって気づけたらみたいな感じで、スタッフが面白がって付けた機能なんです。つまり何が言いたいかというと、既に絢奈も壊れてしまっていて、行うことに対して歯止めが利かなかったんですよね。このゲームはこれで終わりですけど……そうだなぁ。もしゲームの中の斗和でもなくて、絢奈でもなく、もっと特殊な視点を持った存在が居たなら二人にとってももっと幸せな結末になったのではないかと思っています。復讐って達成感は一瞬ありますけど、後から訪れるのは空しさだけですから。まあどんな形になっても、修にとっては苦い結末にはなりそうですね(笑)』


「……特殊な視点を持った第三者か」


 男性はそう呟き、少し想いを馳せる。

 自分だったら何が出来るだろうか。ゲームのことなので考えても仕方ないが、もしも……もしもである。こんな結末になってしまうことを斗和が知っていた場合、絢奈が斗和の憎しみを背負うことを良しとするのだろうか。


 ファンディスクをプレイしたことで斗和というキャラクターの印象は変わった。彼はただ絢奈が好きなだけで、ずっと傍に居たかっただけなのだ。しかし気づくことが出来なかった、絢奈が行動を起こすほどに過去と憎しみに囚われていたことを。


 何か一つ切っ掛けがあれば、何か一つ絢奈と本当の意味で想いを交わし、その上で過去を乗り越えるイベントがあったなら……きっともっと斗和と絢奈の未来は光に溢れていたのだろう。


「……ふぅ、感想を書くか」


 プレイし終えた後の感想は日課だ。

 男性は感想を書くためにインターネットを開く。


「えっと……そうだな」


 どんな感想を書こうか、腕を組んで考え込む男性を他所に何かピカッと光った。

 それはウィンドウモードにしていたゲームのファイル、最後まで男性はそれに気づくことはなかった。

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