第四章・殺人

 浩一は、ネコが瀕死のネズミをいたぶるように目を輝かせた。

「おまえの親父なんだよ、人形使いは」

 幸子は、反射的に口を開いていた。

「嘘よ……あなたは嘘つき……」

 浩一は喉の奥でくくっと笑った。ベッドから立ち上がって、棒立ちになった幸子ににじり寄る。

「そう、俺は嘘つきだ。嘘と本当の区別がつかなくなるぐらい、救いようのない嘘つきだ。医者にも『心の病気だ』って言われた。美樹と出会ったのも、精神科の施設だ。ヤクで捕まってな、執行猶予の条件でカウンセリングを受けさせられていたんだ。そんな俺でも、おまえの親父にはかなわない」

 幸子には信じられない。だが、浩一が騙そうとしているようにも見えない。ゆっくり近づいてくる浩一に押されるように退きながら、祈るようにつぶやく。

「バカバカしい……」

 浩一は、幸子の動揺を嗅ぎ取ったようだった。わずかに唇をゆがめ、淡々と続ける。

「俺は美樹を追って、札幌に住み着いた。金は、クスリで稼いだ。渋谷の組がこっちにもコネを持っててな」

「スタジオで働いていたんじゃないの? 夢を持っていたのに……」

「夢?」

「メジャーになるって……」

「俺のギター、まともに聞いたことあるか?」

「だって、ずっと指に包帯していたし……」

 浩一はにやりとうなずいた。

「あれ、好都合だった。高校生に笑われる程度の腕だもんな。貸しスタジオのバイトは、ただの掃除屋。ガキどもが散らかし放題にしたブースを、次の客が入る前に元に戻すだけだ。やばい仕事を隠すための偽装だよ。バンド気取りの坊やたちはいいカモだ。いまどきの高校生はたんまり金を持ってやがるし、お手軽な遊びに飢えてるからな。脱法ハーブで満足できなくなった奴らは俺に群がる。お坊っちゃまどもの口コミで、俺はガキ相手に販路を広げた。だから、金には困らなかった。そうしながら俺は、美樹を落とす計画を始めた。おまえを探しだして近づいたわけだ――」

 幸子は両手で耳を塞ごうとした。

「聞きたくない……」

 浩一は微笑みながら、幸子の右手首をねじ上げる。

「聞けよ。親父の正体を知りたいだろう?」

 幸子は、食べかけのソフトクリームを取り上げられた幼児のように、顔を背けて身をよじる。

「何でそんなこと話すの⁉」

 浩一は幸せそうに微笑んだ。

「なんでだろうな。どうせ俺は嘘つきなのにな。本当のことを教える必要なんてないのにな」

 幸子は思い知った。浩一は、自分が狂っていることに気付いている。幸子をなぶることで、自分の狂気から目を背けようとしている。

「聞きたくない!」

「おまえを破滅させたかった……」

「言わないで!」

 浩一は幸子の手を放さない。

「最初は正木真奈美――これは失敗だった。逆に美樹の鉄砲玉に襲われた。一人じゃ足りないんだ。だが、親友が二人も続けて狂えば美樹だって諦める。俺の言いなりになる。俺は、そう思った……。で、美樹の手帳で調べてあったおまえの住所を頼りに、札幌に来た。だが、親父を計算に入れてなかった。よりによってマル暴だとはな……。おまえに会ってから二ヶ月後、あいつが現われた。俺の首を絞め上げて、こう言ったよ。『娘の様子がおかしいんで調べた。男を尾行したら売人だと分かった。東京でストーカーだった前科も出た。データには高橋美樹と正木真奈美の名前もあった。なぜ娘に近づいた』ってな。怪我をした指をまた折られた。密売の弱みも握られてる。たれ込んだと疑われれば、組に消される。で、しゃべった。『狙いは高橋美樹で、幸子は美樹を苦しめる手段だ』ってな。で、あいつは娘を守るために、俺を遠ざけようと企んだ。娘と縁を切らなければ組を売ったと触れ回る。このまま消えれば見なかったことにする。それがあいつの提案だ」

 幸子は我慢できずに口を挟んだ。

「嘘よ! 父さんは犯罪を見過ごしたりしない!」

 幸子は言ってから考えた。これまではそう確信していた。だが、警察に追われて逃げ回る父親を知ってからは、何一つ信じられない……。

 浩一の頬からは薄笑いが消えない。

「刑事としては、だろう? だが、父親なら法律も破る」

「嘘よ……。引き離したいだけなら、あなたを捕まえればいい……」

「刑務所にはぶち込めるが、俺が売人だったことは隠せない。本当の目的が美樹だったこともバレかねない。おまえ、西城にフラれて気が変になったんだろう? 二度目はもっと悲惨かもしれない。恋人を逮捕した父親を逆恨みするかもしれない。それどころか、絶望して自殺するかもしれない――って、あいつは先読みした。悩んだ末に、結論を出した。娘の熱がゆっくりと冷めていくように、俺をこの街から消す。娘の心の傷は時間が癒す。あいつが取れる手段は他になかった。だが、腹をくくるまでの迷いが致命的だった。俺は美樹を諦められない。だから危険を承知で、あいつの目を盗んでおまえを誘った。バイトを休んで、二日間抱き続けた。おまえはセックスを怖がっていた。そういう女ほど、一度味を占めると抜けられない。狙い通り、おまえは親父の言葉を一切聞かなくなった。一人暮らしも始めた。状況が根本的に変わった。俺を追い出しても、おまえは追って来る。二人で本州にでも住めば、札幌の刑事じゃコントロールできない」

「コントロール……?」

「だから、俺は近田大介の操り人形だったんだ。あいつは、俺とおまえの仲が切れるように最後の博打に出た。つまり俺におまえを襲わせる。そこにあいつが助けに入って、犯人を暴く。ばかげた茶番だが、結果は明白。『決定的で確実なショック療法』――これは、あいつ自身が口に出した言葉だ。全て、命令された芝居だったのさ」

「分からない……。なぜ父さんが、そんな策略を……?」

「自分の女を強姦する男がいるか? 遊びでならともかく、本気で襲うか? 俺の目的がおまえを傷つけることだって証拠だろうが。そこで俺の正体をばらす。『この男は美樹を追い詰めるために、おまえを破滅させようとしたんだ!』ってな。強姦の恐怖を味わった後なら、親父の言葉を受け入れる。おまえは俺から離れ、俺は姿を消す――」

「でも、そんな卑劣なことをしたら、親子の縁を切る!」

「俺は、命令されたなんて言わない。組の報復が怖いからな」

「そんなお芝居、隠せるはずがない!」

「それでも別れる。俺が脅迫に従ったことに変わりはない。愛してなんかいないって証拠だ。真実を知らせるための芝居なら、いつか必ず娘は理解してくれる……あいつはそう期待していたんだろう。台本は全部、おまえの親父が書いたんだよ」

「それなら、なんでこんなことに⁉」

「第一の誤算。予定外の男が助けに入った。西城だ。たまげたのはおまえの親父だ。舞台に上がるタイミングを失って、立往生。そのうえおまえは失神して、出血――。流産が第二の誤算だ。病院に担ぎ込むのが先決になった。あいつは窮地に立たされた。芝居は失敗だ。自分が黒幕だと、もう娘には教えられない。暴行の芝居と流産を比べたら、ショックの重みが違う。俺が捕まれば、自分が黒幕だとばれる可能性もある。縁は切れても、おまえは絶対に親父を許さない。だから、暴行犯は隠し通さなければならなくなった」

「そんな……」

「俺だって、これほどややこしくなるとは思わなかった」

 幸子はすがるように浩一を見つめた。

「でも父さんは、あなたを殴った……あれもお芝居……?」

「もちろん本気だ。俺も殺されると覚悟した。だが怒ったのは、俺が妊娠を知らせなかったからだ。俺自身が知らなかったんだから、教えようがない」

「だって、あなた……結婚しようって……父さんにお願いしてくれたのに……あれもお芝居だったの……?」

 浩一は不意に困惑の表情を浮かべ、幸子から目をそらしてうつむいた。

「違う」

「なんで……?」

「なんでだろうな……。流産を知って、気持ちが変わった。とにかく子供が欲しかった。美樹にせがんだ時よりもずっと強く、子供を願った。俺の子供を孕んだおまえが、掛け替えもなく愛おしく見えた。本気だったんだよ、あの時は。心の底から結婚したかった。なにもかも捨てて、おまえと逃げたいと思った。俺の子供を産ませるために……。カウンセリングの時、医者から言われた。『根っからの嘘つきは、自分さえ騙せるんだ』ってな。俺はきっと、自分を騙していたんだ……。だから、妊娠できないおまえと一緒にいる意味はない」

 幸子は浩一を見つめたままだった。

「そうなんだ……私、意味がないんだ……」

 浩一は鼻の先で笑う。

「俺にとってはな」

 幸子はまだ浩一から目をそらさなかった。しかし無表情な視線は、浩一を通り越してその先の壁を見つめている。

「私……ずっと操り人形だったものね……。主人公はいつも美樹。小さな幸せを見つけたと思っても、利用されていただけ。まわりでは、私のことなんか構わずに事が進んでいる。私は何も気づかず、右往左往するだけ……」

「俺だって生き残るのに必死だ。他人に構っていられない」

「赤ちゃんが生まれてたら……奥さんになれたのに……」

「人生なんて、そんなもんだ。思いどおりになることなんて一つもない」

「いっそ、あの時死んでたら……」

「文句なら、西城に言え。『なんで助けに来たんだ』ってな」

「洋さんだって、確かなの?」

「本人がそう言ったんだろう? あの時、俺は焦ってた。相手を確かめる余裕なんかない。おまえの親父の指示を仰ぎに走ったんだ。命令された通りにスキー帽と上着を脱いで、知らんぷりで駆け戻っただけだ」

「父さんも逃げたの……?」

「黒幕だから顔は出せやしない。だが当然、倒れたおまえも心配だ。様子を見るしかなかった。あの時、芝居は隠し通そうと腹をくくったんだろう」

「だから、あなたが都合よく現れたのね…………幸せなまま死にたかった……」

 浩一はにやりと笑う。

「あれっぽっちの出血で死ねるか。おまえには運がない。諦めろ」

「運がない……そうなのね……」

 幸子はゆっくり目を閉じた。その瞬間、身体がぐらりと揺らぐ。浩一は反射的に幸子の身体を支えようと手をのばした。幸子は目を開き、浩一の手首をつかむ。

 浩一は言った。

「大丈夫か?」

 幸子はふっと微笑みをもらした。今までと違った、落ち着いた口調で言う。

「今、気を失いそうになった……。ひどい頭痛がして……。疲れたのよね。私……運がない女だから。でも、世の中にはもっと運がない人間もいるはずよ。私がどん底なんて、ひどすぎる」

 浩一は面白がっている。

「それはどうかな?」

 だが幸子も、落着き払っている。

「いるわよ、不幸な人間ぐらい。いいえ、不幸な操り人形、かな。たとえば……あなた」

 浩一の顔に真剣さが戻る。

「なんだと?」

 幸子は鋭い目で浩一をにらみ、きっぱりと言った。

「あなたなんか、消してやる」

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