第2話 貴方はスライムよりも賢いんですか?

「おい、レイティア殿はまだ来られぬのか!」

「今こちらへ向かわれてる様です」

「まぁ、そうだろうな。婚約者のこの私に会うのだ。御粧おめかしに時間が掛かっているのだろう」


居間の大人数ソファーを独占する様にふんぞり返ってるこの男の名は、クリスト・アーロン―――レイティアの婚約者だ。七三分けにぽっちゃりとした腹、両頬がお餅の様に膨らんでいて見るだけで暑苦しい。レイティアの屋敷に彼が足を運んだのは今日で二回目と、そこまで親しくない間柄だが折角自分が訪ねてきたのに中々姿を現さないレイティアにクリストはご立腹だった。因みに彼が訪れて来てまだ3分しか経っていない。


「お、お待たせしました!」


その声にその場に居る全員が扉の方へ目を向けた。するとそこには急いで来たのか髪がボサボサのレイティアが肩で息をしている姿があった。少なくとも着飾って登場した様には見えないがレイティアが現れたことによりそんなことはクリストにとってどうでも良い事に変わってしまう。


「レイティア殿!待っておられたぞ!」

「クリスト皇子、わざわざこちらまで足を運んで頂きありがとうございます」


レイティアは眉を顰めて愛想笑いをするがそれに気付かないクリストは満面の笑みで立ち上がる。そしてゆっくりとレイティアに近付くと肉付きの良い腕を伸ばしてレイティアの腰に手を回してきた。馴れ馴れしいその行動にレイティアの眉間の皺がより一層深くなるが案の定クリストがそれに気づくことはない。


この男、事ある毎にレイティアに言い寄りセクハラと名のスキンシップをしてくるのだ。その度に鼻の下が伸び切ってるため、まるっきし下心があるとレイティアは踏んでいた。


「相変わらず綺麗だ。君が私のお妃になるのが夢みたいだ」

「まだそうとは決まってませんけどね」

「·····レイティア様」


レイティアが妻になると信じて疑わないクリストについ刺々しい物言いをしてしまうレイティア。それにはすかさずリータが小声で窘めるが幸いにも頬を赤らめ、興奮気味なクリストには聞こえていない様だった。


「二人の新居はどうしようか。君はどんなものがあればいい?」


自分達はまだ子供だというのにもう同棲の話とは気が早すぎではないだろうか。それには流石のリータも目を伏せてしまう。結婚など絶対に嫌だがこのままいけば自分はこの男と結婚しなくてはならなくなるだろう。それならばとレイティアは自身の正直な気持ちをそのまま口にする。


「では、スライム達が快適に暮らせる部屋の提供を」

「·····今、なんと?」


にこりと微笑むレイティアにクリストは鳩が豆鉄砲を食ったような面持ちになる。自分の聞き間違いかと再度レイティアに尋ねるがレイティアは笑みを崩さずに再度口を開く。


「ですからスライムのお部屋が欲しいのです。あっ、スライムのこと存じ上げませんか?スライムと言うのは洞窟とか草むらとかに生殖する小動物的な生き物なんです。殆どが水色なんですけどたまに桜色とか橙色とかが居るんですよ。スライムにもそれぞれ性格があって大人しい子が心を開いてくれる瞬間は最高なんですよね〜!あっ、もし宜しければスライムのことが良く分かる私お手製のスライム図鑑をお見せしましょうか?」


先程まで嫌悪感丸出しでクリストを見ていたと言うのにも関わらずもしかするとスライムの魅力をもっとたくさんの人に知って貰えるのでは?と思ったレイティアはこのチャンスを逃すまいと瞳を輝かせてずいっと顔をクリストに近付けたまま一人で語り始めてしまう。そのレイティアの言動は頬を紅く染め、彼女に熱い視線を送っていたクリストの足を一歩後ろへ引かせドン引きさせるくらいだ。


「ハハッ…レイティア殿も存外御冗談を言うのだな」


乾いた笑いをするクリストだがレイティアはきょとん顔で首を振った。


「いいえ?冗談なんかじゃありません。あんな愛くるしい生き物のどこが冗談だと言うんですか」

「·····止めてくれないか。度の過ぎた冗談は好きではないのだ」

「クリスト皇子こそが冗談では?スライムの何が可笑しいのか教えて頂けません?」


レイティアは鋭い目付きでクリストを見つめる。そんな目を向けられたことなどないクリストはどもって息を呑み込むが次の瞬間にはわなわなと体を震わせて血走った目でレイティアを睨み付けた。


「気持ち悪い、気持ち悪い!!スライム好きな令嬢!?汚らわしくて吐き気がする!あんな救いようがない程弱くて、醜い生き物見たことがないぞ!アイツらに良いところなんてないだろう!?それなのにどうして君は私に一度も向けたことの無い乙女の顔をするのだ!そんなにスライムが好きならスライムと添い遂げたまえ!」


息も吐かずに次から次へと言葉を繋げて喋るクリストをレイティアは無表情に近しい顔で見つめていた。一気に捲し立て喋り終えたクリストが肩を上げ下げして呼吸をしてる姿を見てもレイティアが表情を崩すことはなかった。それが余計不気味に感じたクリストは再度口を開こうとするがその前にレイティアがクリストに向き直ってゆっくりと右手を挙げた。


そして―――――――パチン!


室内には乾いた音が響いた。


一体何が起きたのか。誰もが一瞬理解が追い付けなかった。


何が起きたのか分かった時には見る見るうちに顔から血の気が引いていく侍女達、顔を左に向けているクリスト、冷めた瞳でクリストを下目遣いで見つめているレイティアが居たが誰一人として次の行動に移そうとする者は居なかった。その場にはなんとも言えぬ空気が流れていたがそんなことは今のレイティアには関係のないことであった。レイティアは顎を突き出しハイライトのない目でクリストを見つめたまま言う。


「クリスト皇子に詫びを要求します」

「·····君に不愉快と言ったことか?確かに令嬢に言うべき言葉ではなかったな」


痛む右頬を撫でながら女性に言ってはならないことを言ってしまった、紳士として不甲斐ないとクリストは反省をする。クリストだって立派な貴族だ。自身に非があるのならそれを詫びなければ貴族の名が泣く。例えどんなにプライドが高くてもだ。二人の様子を少し遠くで眺めていた侍女達はホッと肩の力を抜いた。クリストがレイティアに謝って一件落着…そう思っていたからだ。しかしレイティアの一言によって再び空気が凍り付くことになる。


「いいえ?私が謝って欲しいのはスライムに対してです。弱い、醜い…それらを今すぐ訂正してください」


レイティアが圧を掛ける様にゆっくりと言えばクリストはこめかみに青筋を立て、周りの侍女達も再び顔を青ざめた。そんな中リータだけは彼女のスライム愛を知ってる為平然として居られたが。


「訂正だと?貴様はこの私に人外に頭を下げろと言っているのか!?嗚呼、そうか。お前が雑魚どもに頭を下げろと言うのなら分かった。本日を持って婚約破棄させて貰おうではないか。·····では失礼する」

「おお、お待ちください、クリスト皇子〜!」


怒って帰ってしまうクリストを宥めるべく追い掛ける侍女達…。その場にはレイティアとリータのみが残った。静かになった途端、レイティアは口元に手を当て震えだした。


「り、リータ…これって不味いわよね?」

「·····えぇ、間違いなく」


大切なものを馬鹿にされたからと言って皇子…しかも次期国王になりうる人物に平手打ちを食らわしてしまった。婚約破棄だけなら全然良い。だが皇子に無礼を働いといてこのまま平穏な日々を送れるとは到底思わなかった。これからのことを思いレイティアは頭を抱えその場に座り込んだ。


※※※※※

嫌な予感を感じながらもレイティアは家族との食事を嗜んでいた。父と母、そして娘のレイティア。フランツィ家の一人娘と言うのにこの家には温かみがなかった。食事中に会話をするのは行儀が悪いがまずこの家は家族の一般的な会話すらままならない。室内には誰かしらの咀嚼音だけが響いていた。食事を終えたレイティアは心の中で手を合わせると席を立ちいつもの様に部屋へ戻ろうとするがその前に母の感情のない声がレイティアを足止めした。


「皇子との婚約、破棄になったそうね」


母の冷たい視線がレイティアに突き刺さるがレイティアは無言を貫き通す。


「·····理由は得体の知れない生き物を連れていて気味が悪いから、らしいわ」

「っ、スライムは得体の知れないものじゃないわ!」

「·····第一声がそれなの?」

「レイティア、お前にはがっかりだよ。いつかは王女に相応しい器になると信じて自由にさせていたんだがそれがいけなかった様だな。魔法も大して使えない、身勝手に周りを巻き込む…お前はいつになったら貴族の自覚を持つ?」


自由なんて与えてくれなかった癖に良く言う。この世界に来てすぐの頃、自分に告げられたのはクリスト・アーロンと結婚して王女の座につくことだった。その為に揃えられた教育者達に朝早くから夜遅くまで礼儀作法を習わなくてはいけなくて自分に自由なんてなかった。辛くて挫折しそうになった時に側に居てくれたのはスライムだけだ。今までほったらかしだったのにこういう時だけこの人達は自分から何か奪おうとするのか。


レイティアは俯き、密かに拳を握り締める。勿論、そのことに気付かない母は淡々とリータに声を掛ける。


「リータ、レイティアの部屋に居るスライムを全て回収して頂戴」

「·····畏まりました」


レイティア母の有無を言わさぬ表情にリータは数秒遅れで返事をした。S級メイドだろうと所詮は雇われの身。この人を前にして自分にとやかく言う資格がないのは明白だった。絶望に陥った、青ざめた表情をするレイティアを横目に確認すると直ぐ様リータは行動に移した。


「レイティア、お前は二十歳となり王女になるその時まで外出禁止とする…………連れてけ」


そう言った父の瞳は既にレイティアの姿を移してなかった。そんな二人にレイティアは喉まで出掛かった言葉を飲み込んで侍女に連れられるままダイニングルームを後にした。


※※※※※


深夜。


部屋ではレイティアがベッドに伏せ、すすり泣く音だけが聞こえていた。


「レイティア様、そんなに泣かれては目元が赤く腫れ上がってしまいますよ」

「·················そうね」


リータの声にレイティアは顔を上げるがその表情は先程まで泣いていたとは思えない程に清々しいものだった。目もそこまで濡れてないことから最初から泣いてなかったのだろう。


「レイティア様、行かれるなら今ですが」

「うん、準備は整ってるわ!」


レイティアが窓を思いっきり開けると上からロープが垂れてくる。これはレイティアが勉学に嫌気が差した時、脱出するために予め用意してたものだった。


レイティアはそのロープを下に引っ張り締まりを確認するとそれをしっかりと両手で握ってから優しい笑みを浮かべてリータの方を振り返った。


「リータ、今までありがとう。また貴女とは何処かで会いたいものだわ」

「·····私はもう懲り懲りですね。レイティア様には何度も尻拭いをさせられて来ましたから」


きっとそれはこの後もだろう。


それでもやはり彼女には何処かで幸せに生きていて欲しい。スライムよりももっと素敵な友達が出来たら本望だ。


リータはもしもの為用に自身が愛用してる短剣とちょっとした小包をレイティアに差し出した。町を出たらスライムとは比べ物にならない程の魔物がたくさん居る。そんな時、魔法を使えないレイティアではすぐに命を落としてしまうかもしれない。剣もろくに扱ったことないだろうが自衛くらいにはなるだろう。小包の中にはちょっとしたお金が入っている。これがあれば一晩でも宿に泊まれるだろう。レイティアは差し出されたふたつのものとリータを交互に見ると首を振って口を開いた。


「ううん、それはいらない。そのふたつは私には必要のないものだもの。私にはこの子だけが居れば良いから」


そう言ってレイティアがドレスの裾を膝辺りまで持ち上げればレイティアの足に凭れ掛かる様に眠るスライムの姿があった。それには流石のリータも目を見開き息を呑み込む。


こういう時はしたなさを窘めるべきか、それとも全て回収したと思えたスライムがそこに居る理由を尋ねたら良いのか。でも今更そんなことはどうでもいいことだろう。令嬢とは思えない活発でちょっと変わってる性格もスライムが好きすぎるあまり周りが見えなくなるところも彼女の魅力なのだから。


「レイティア様、お気を付けて」

「うん、行ってきます!」


レイティアは助走をつけて思いっきり窓から飛び出した。その瞬間、幾つもの光が庭を照らし出す。


流石警備を強化してるだけはある。これでは誰かしらに見つかりすぐに取り押さえられるだろう。


「·······仕方ありませんね」


リータは短剣を片手に外へ飛び出す。


自分は雇われの身だ。だけどレイティアが主なのには変わりない。そんな主の自由を奪おうとするのならば自分は遠慮なしに歯向かわせて頂こう。


どうか彼女に神の加護があります様に。


だんだんと小さくなっていくレイティアの背中を見つめながらリータはただそう願った。


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