第10話 売買

 さて唐突だが、大航海時代をご存じだろうか。

 欧州各国がこぞって未開の地を求め航海技術を競った時代。その発端の一つとなったのは香辛料などの海上交易路の開拓である。その時代において香辛料は金ほどの価値を持ったとも言われている。

 だがしかし地球、および人類史規模で俯瞰すれば香辛料の著しい高騰は一時代の一部地域においてのみ発生した珍事である。無論それがこの世界において発生しているとは限らない。

「香辛料の貿易や栽培で一儲け、というわけにはいきませんか」

「どうかしたのかいホムンクルスの嬢ちゃん」

 店主に独り言を聞きとがめられ、適当に応対する。さて、私は初めてのおつかいの真っ最中。転生してから数日たってようやく一人での外出だった。子供か! ……0歳児でしたね、私。

 目の前にはバザールの一角にある香辛料などを販売している屋台。地球基準だと割高だが、手が出ない金額でもない。よその客を見ると、どうやらいくつかの家族でまとまって購入したりしていた。

 ちなみに通貨単位は円だ。ここも日本から輸入されているらしい。ただし、ファンタジー世界のように金貨や銀貨は使わない。それどころか紙幣さえない。

 なんと電子マネーならぬ精霊マネーが貨幣として利用されている。

「では、こちらをいただけますか?」

 あらかじめ用意しておいたメモを渡す。すると途端に店主は丁寧な物腰になった。

「嬢ちゃんヤルドさんの侍女か。あの先生にはいつもお世話になってるからなあ。アイシェさんはどうしたんだい?」

 どうやら旦那様は結構有名人らしい。

「アイシェさんの夫が腰を悪くしたので田舎に隠居するらしいです」

「そうか。そりゃお気の毒に。よし、こいつもおまけしてやるよ」

 袋に香辛料を入れる傍ら、ゴマをまぶしたパン、シミットを別の袋に入れて手渡してくれる。

 礼を述べ、教わった通りに精霊を呼び出す。

「ニール」

 ポンッと小学生が適当に授業で作った粘土細工のような物体が宙に浮く。これが私、というか異種族全般が契約する精霊。転生した翌日に市役所で事務処理を行うと簡単に契約できた。髪を一房切り取って、旦那様に手を置いて契約すると一言述べると契約完了。もうちょっとファンタジーっぽくしてくれませんかね。これじゃあまるで犬猫の予防接種か何かだ。

 そしてこの精霊は戦闘能力も何もない、無能の精霊。それでも役割がある。自分の主人の精霊と交信できるらしい。

「ほい。じゃあ清算するか」

 店主も自分の精霊を呼び出し、購入手続きを行う。これで終わり。地球から見てもかなりハイテクだ。

 ちなみにこれは私の財布を使っているわけではない。旦那様の口座から引き落としているらしい。そもそも人権のない

 あくまでも異種族は物として扱われているから、金銭だけでなく何かを所有するという行為がすでに違法らしい。

 そしてこの世界ではすでに通貨の類は根絶されている。何かを購入するにはすべて精霊マネーを使わなければならない。

 それにしてもよく考えたものだ。この世界は人間がいなければ経済が成り立たなくなっている。もっとも武力や暴力で支配を維持するよりも百倍賢明だろう。

 逆に言えば、きちんとした能力や技術があれば人間に所有してもらうことは可能だ。目の前の店主のように。

「ほら、これが先週頼まれた分だ」

 毛深い手を動かし、熊のような顔が笑う。グリズリーと呼ばれる異種族らしい。鼻が利くので食材の善し悪しを見抜くのが得意だとか。ちなみに店の奥には有名人らしき人間と一緒に写真を撮っている店主が写っている。カメラそのものはないが、電話鳥みたいに代用品があるらしい。

 ぱっと町を見ても店主のようにのびのびと暮らしている異種族は決して珍しくない。奴隷のような身分だったとしても必ず虐げられているわけではない。

 むしろ、支配層であるはずの人間が厳しい暮らしをおくっていることもある。もともと単純労働に従事していた人間、恐らくその中には奴隷だった人間も含まれる、は賃金無しで働かなければならない異種族が増えたせいでその立場を追われた。地球でも似たような事例はある。その典型例はすぐ隣にいた。

 私の横を見る。三歩先に佇む少年は時代の変革に取り残されたのだろう。

 茶色いつんつんした髪、黒い目、人間であるのに薄汚れた服を着て、いかにも発育が悪そうだ。店主に視線を戻すと迷惑そうな顔を隠していなかった。

 わざと大きな声で独り言を呟く。

「ああ、そろそろ帰りませんと。品物をすべて持ち帰らなければ怒られてしまいますからね」

 私の言葉を聞いた少年は濁った眼でとぼとぼとどこかへ消えていった。この程度で引き下がるのか。情けない。私なら腹が減って死にそうな演技でもして同情を引くだろう。あなた孤児ならもっと逞しくなりなさい。

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