二十一 常宿

 洋館に着いてすぐ、瀬戸は慣れた様子で扉に付いたハンドルをつかみ、大きな玄関の扉を叩いた。

晴己はるきさん、お帰りなさい。早かったですね」

 ほどなくして開扉され、執事風の中年男性に中へ招き入れられた。


 玄関ホールは吹き抜けになっており、二階の各部屋の扉が見渡せる。見たところ、四組ほど泊まれるようだ。

 受付は無いようだ。正面奥にある暖炉の周りに、宿泊客がくつろげるかたちで低いテーブルと布張りのソファが置いてあり、玄関側の壁際には革張りのベンチソファと、テーブルと椅子が何組か配置されている。派手さや流行を追うような装飾は無いが、質のいい美術品や工芸品が飾られていて、全体的に清潔でよく手入れされている。

 他の宿泊客は見当たらず、静かだ。

 瀬戸が入ってすぐのベンチソファに一度荷物を置いたので、志賀もそれに倣う。


 ――いらっしゃいではなく、お帰りなさいと言ったな。


河相かわいさん、お久し振りです。こちらは――」

「志賀悦時です。お世話になります」

 呼ばれ方や雰囲気から、かなり親しそうに見える。志賀は河相に軽く会釈をして、表情を和らげた。

「志賀様、ようこそいらっしゃいました。ご滞在の間お世話します、河相里貴かわいりきと申します」

 河相は五十代前後だろうか。瀬戸と並ぶと細く見えるものの、身長は無流ぐらいある。

 密度のある黒髪を全て後ろに流し、口髭を生やしている。顔付きは柔和でも、いざとなれば暴漢にも勝てそうな隙のない雰囲気だ。

「よろしくお願いします」

「おばさまは?」

 瀬戸が人の気配をうかがいながら、河相にそう尋ねた。

「明日の夕食は是非ご一緒にと」

「わかりました。荷物は自分で運びます。室内と館内の案内も僕が――部屋に飲み物を運んでいただけますか?」

「すぐにご用意します」

 河相は一階の奥に消え、瀬戸は左手にある階段へ志賀を先導した。


「おばさま?実の?」

「正確には違いますが――そう呼ぶようにと。おばの生業はホテル経営です。ここはおばの持ち物で――先ほど言った通り、宿泊施設です。迎賓館というほど要人向けではありません。公賓の場合も、ほとんど私的な滞在です。長期滞在の場合も多く、一般に広く客を取っているわけではないので、貸別荘のような使い方になります」

 河相とのやり取りもそうだが、瀬戸は妙にこの館に馴染んでいる。初めて来たのに居心地の良さを感じ、寛げそうだと感じた。

「おじさまは?」

 瀬戸と話しているといつも、志賀は質問ばかりしてしまう。瀬戸は特に気にしていないようで、嬉しそうですらある。

「おばは未婚です」

 単純に、考え得る可能性を人より多めに用意しているだけなのだろうが、情報を開示する順序や機会は綿密に計算されている。常に何手も先まで読まれている気分になる。


 二階の一番奥の部屋に入り、上着を脱ぐ。

 瀬戸は慣れた様子で備え付けの衣装箪笥に二人の上着をかけ、一旦荷物をしまった。

「煙草は?」

 扉を閉める前に上着から喫煙具を取り出すかどうかと、瀬戸が振り返った。

「旅行の間は吸わなくてもいいかな。美味そうに吸うのを眺めたくなったら渡してくれ」

 おどけたら瀬戸は笑って、そのまま部屋を案内してくれる。

 瀬戸の言っていた通り、大柄な二人でも余裕で同衾できそうな天蓋付きの大きなベッドがあり、付き人用と思われる小部屋にもベッドがある。

 部屋の奥、品のいいステンドグラスの入った窓際には食事のできるテーブル、各壁際に文机と鏡台、グラスと酒の入った戸棚、衣装箪笥。それだけあっても、そこそこ広い空間がある。

 風呂場は屋内だが、外からは見えない上方に窓があり、空が見える。石を組んだ浴槽は二人で入っても狭くない広さで、温泉の湯が溜められるようになっている。脱衣所にも洒落た洗面台があり、奥が手洗いの個室だ。


 玄関からずっと、既視感が絶えない。

「俺の家と何か関係あるのか?建築様式だけじゃない、こことよく似てる」

 天井や壁に志賀の家と似たレリーフがある。窓枠や扉にもいくつか、共通の装飾を見つけた。それから、家に元々あった家具と同じ物もあった。

「あの家はおばの家の持ち物だったのだと思います。都内の建物は事業を縮小する際に、人に譲ったと聞いています。電話では中々捕まらないので手紙を出しましたが、返事が来なくて――今回の旅のついでに、その辺りを詳しく聞こうかと」

「ついでじゃなく、先に言ってもらえれば――」

「ついでですよ。あくまで第一の目的はエツさんの疲れを癒し、二人の愛を深めることです」

「それは、いつもしてもらってる」

 志賀が頬に触れると、瀬戸はそこに手を重ね、しばし目を閉じた。

「聞かないでいてくれたでしょう」

「うん?」

 いつもと違うしっとりとした笑顔に、少し戸惑う。

「僕の生い立ちについて。あなたが自分のことを語った時に何度かきっかけはくれましたが、僕が意識的に避けていたのに気付いていたはずです」

「あぁ……まあな。話したくないのかと。採用時の身辺調査では、実の両親は亡くなっていて親類の夫婦に世話になっていたとあった。仲が悪かったのかと聞かずにいたが、山梨に来るなら紹介されるんだろうとは、思ったよ」

 警察官になる際には、近親者に過激な活動や反社会的な組織に属する者がいないか等、調査がある。志賀は瀬戸の採用には直接は関わっていないが、部下になったので記録を見ることはできる。

 自分から語るまでは訊かなくてもいいと線を引いて、目の前にある瀬戸本人を知ることの方が、志賀には大事だった。瀬戸もそうしてくれていたから、自分もそうしたいと思ったのだ。


「それが中々、複雑で――説明が面倒なんです。来てもらった方がわかりやすいかと思いました。おばからの説明でないと、僕も思い違いしていることやわからないことが多いんです。それだと、話が広がっても変な感じになるでしょう?多分、二人が疑問に思うことと、僕が知りたいことは同じです」

「お前の無駄に育ちの良さそうな雰囲気の理由はよくわかったよ。人間観察が得意なわけも、教養のわけも。無流もきっと納得するだろうな」

 そう笑うと、瀬戸は嬉しげに目を細め、志賀に軽く口付けた。

「とりあえず、お茶をいただきましょう。食事も満足していただけると思います」

 襟元を緩め、窓際にある小さなテーブルに着く。

「警察官になった理由は、説明が面倒で複雑な家に関係あるのか?」

「そうです。明日の夜は僕とおばの問答にお付き合いください」

「ホテル経営も向いてそうだよな。お前は」

「警察、辞めて欲しいんですか?」

 拗ねた振りをされ、首を横に振る。

「何をやっても他人には天職だと思われそうだ」

「身体より小さい所には入れませんけどね。『アリス物語』の薬でもないと」

 瀬戸がそう言ったところで部屋の扉が叩かれ、二人は穏やかに、河相を招き入れた。

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