第04話 二度殺されること

 校舎裏の堤防を上ると、すぐそこには宝満川が流れている。

 宝満川は舞鶴市で最も大きい一級河川で、生活用水の源でもある。

 川の両岸には天然芝の河川敷が広がっており、市民たちが集まって草野球や野良サッカーを楽しんだりする姿がよく見られる。そういう「多目的広場」としての役割を果たしているのが、この宝満川だ。

 そんな日常のありふれた風景の中に亡霊人が紛れ込んでいるというのだから、事態は急を要する。宵子は緊張しながら、流一郎と凛の後をついて歩く。別に、二人について来いと命令されたわけじゃないし、頼まれたわけでもない。事実、五郎と小夜子は学園内に留まったし、宵子が勝手に金魚のフンを演じているだけなのだが、流一郎は特に気にしていないようだった。

「どこだ、亡霊人は――」

 金属バットを持った流一郎が左右を見渡しながら、凛に訊ねた。

「あらっ、おかしいですわね……さっきまでそこの草野球を観戦していたのですが、移動してしまったのでしょうか?」

「ふむ……」

 そう言うと流一郎は、目を閉じて風を肌で感じるようなそぶりを見せた。まるで肉食動物が草食動物の匂いを探っているような振る舞いだ。

「多分、こっちだ」

 流一郎は河川敷の芝生部分を通り抜け、胸の高さまで生い茂った草むらに足を踏み入れていった。さも当然のように凛も後に続く。残された宵子は、青々と茂った雑草の汁がセーラー服に付きはしないかと草むらへの進入を一瞬ためらった。しかし、白い巫女装束の凛が構わずにずいずいと分け入っていくのを見て観念する。

 草むらに一歩足を踏み入れた宵子。靴の底がぬちゃりと沈むような感覚があった。まるで湿地帯だ。

 そんな宵子の戸惑いには一切構わず、流一郎は「任務」を続ける。

「凛、亡霊人の台帳は持ってきているか?」

「はい、ここに」

 そう言って凛が鞄から取り出したのは、表紙に「丙種・特別失踪者台帳」と書かれた厚手の台帳だった。

 宵子が不思議そうにしていると、凛が誰に言うでもなく解説を始めた。

「丙種・特別失踪者台帳というのは、簡単に言えば公安が作成した行方不明者のリストです。既存のどの分類にも属さない形で失踪を遂げた人たちが記載されていて、昔は神隠しに遭った者の一覧表として作られていました」

「神隠しなんて本当にあるんですか?」

「無ければこんなリストは作られません」

 それは確かにそうだけれど……と宵子は口ごもった。

「ですが現在では少しだけ異なります。失踪理由が、神隠しから、麒族に捕食された可能性がある者――に変更されたのです」

「捕食って……」

「食べられてしまった、ということです」

「麒族というのは人を食べるんですか!?」

 宵子はたまげてしまった。麒族がそんな存在だったなんて……。

「全ての麒族が日常的に人を食うわけではありませんが、でも、まぁ、食べますね」

「知りませんでした……そんなこと」

 宵子が愕然としていると、流一郎が言葉を挟んだ。

「麒族のことを、創作上の怪異と混同している人間がほとんどだからな。それに、詳しい情報は公安でストップがかかっている。警察だってはっきりとは知らない話さ」

「じゃあ、その丙種――ええと……」なんだっけ?

「丙種・特別失踪者台帳です」

「その丙種の台帳に記録されているのは、みんな麒族に食べられた被害者ということですか?」

「概ね正解です」

 宵子は、凛が手にした「丙種・特別失踪者台帳」を覗き込んだ。

 全て手書きのこの台帳は、過去五〇年の間に「神隠し」に遭った者の個人情報や写真・似顔絵などが記載されているのだという。

「でも、もう死んじゃってる人たちなんでしょう?」

 それには流一郎が答えた。

「麒族に食われた人間の中には、亡霊人として復活を遂げる者がいる。復活と言っても本人たちの意識はない操り人形のような存在だけどな」

 流一郎は、再び周囲を警戒した。その眼は猛禽類のように鋭く見えた。しかし何も感じることがなかったのか、Uターンして凛と宵子のもとに近づく。

「台帳をもう一度見せてくれ。今回のやつをだ」

 言われて凛は、サッと該当のページをめくってみせた。

「舞鶴学園・二年H組・中上真邑子なかがみまゆこ――か」

「えっ? またうちの学園の生徒なの!?」

「もう七年も前の話だがな」

 言われて宵子はもう一度、台帳に目をやる。

 確かに記されている失踪届の受理日付は、ほぼ七年前のある日だった。

 流一郎は再び風を読んでいた。

 しばらくののち、おおらかな表情から一転して厳しい目つきになると、

「いる! 多分あっちだ!」と草むらの中を駆け出した。凛と宵子も慌ててそれに続く。

 はたして到着したのは、私鉄の鉄道橋の橋げたであった。

 確かにそこには、台帳に載っていた顔写真と同じ、中上真邑子の姿があった。

 しかしどうも様子がおかしい。姫野先生から渡された生徒手帳によると、

 亡霊人=実在の人間に擬態し、日常生活を送る怪異――とあったが、今、目の前にいる中上真邑子は、まるでゾンビのように手足をぶらんとさせ、トボトボと歩いているのだ。とても生前の中上真邑子とは似ても似つかない行動に違いない。

「亡霊人として誕生しても、戻るべき日常がすでに無くなっていた場合、それは「はぐれ亡霊人」になる。今年、うちの学園の二年生はG組までしかない。二年H組だった中上真邑子には戻り先が存在しないんだよ」

 言いながら流一郎は金属バットを構えた。

「ちょ、ちょっと待ってよ! あれって中上真邑子さんなんでしょ? 割るつもりなの?」

「中上真邑子を模した亡霊人だ。あくまで亡霊人であって、中上真邑子本人じゃない」

「さあ、時女さんも下がって」と凛が宵子の袖を後ろに引っ張る。

 流一郎は金属バットを腰だめに構えると、一気に振り抜いた。

「秒殺!!」

 ガシャーーーーン!

 中上真邑子の形をしていたものが瀬戸物のように割れ、崩れ落ちていく。

 宵子はなぜだか悲しみで息が苦しくなった。一人一人の亡霊人にはきちんと過去があって、かつては自分と同じように日常生活を送っていた人間だったのだ。

 もちろん亡霊人は亡霊人であって本人ではない。ただの作り物だ。傀儡だ。

 だが、亡霊人を割ることで、その人は二度殺されたことになる――そんな気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る