第03話 ディスコ・フィーバー②

 一方の宵子は、出入り口近くのソファに身を隠していた。

 惹麒空間に封じ込められた以上、宵子に出来ることはもう残されていなかった。

 今はただ、「流一郎の足手まといにならない」ことを徹底するだけだ。ソファの陰で身体を丸めた宵子のさまは、石の下に隠れるダンゴムシと大差なかった。

 宵子の眼前には、床に敷き詰められたカーペットの模様が広がっている。宵子は無心でカーペットの模様を見つめていた。

 そのとき――。

 宵子の視界に二組の革靴が入り込んできた。ピカピカに磨かれた革靴は、持ち主の品格を表しているようであった。宵子はゆっくりと視線を上へ上げる。

 そこに立っていたのは、一組の男女。バーテンダーとバーテンドレスの衣装に身を包んだ二〇歳そこそこの若者たちだった。

「あの……」

 宵子は土下座のような体勢のまま、なんとか言葉をひねり出した。バーテンダーとバーテンドレスは無表情で宵子を見下ろしている。

 どれだけの沈黙があっただろうか。ほんの二~三秒にも感じたし、一分くらいはあったのかもしれない。

 ただ、いずれにしても、宵子が最後に見たのは、ふいに笑ったバーテンダーとバーテンドレスの口の中に何十本も並ぶ白い牙だった。宵子の記憶は、意識は、ここで途切れた。



 流一郎は依然として亡霊人たちを割り続けていた。ディスコホールの床は白い磁器の欠片だらけで足の踏み場もなく、あたりの空気も粉末状になった亡霊人たちの亡骸で霧のように霞んでいた。すでに倒した亡霊人は二五柱を超え、戦いは終盤戦へ突入している。

『麒族はどこだ――!?』

 このディスコホールが惹麒空間に引き込まれている以上、ここに麒族が存在することは間違いない。片っ端から割っていけば、いずれ麒族と対峙するだろうと考えていた流一郎は、いささか肩すかしを食らっていた。

 流一郎はさらに連続して三柱の亡霊人を割った。これでもう、ディスコホールにうごめく者はいなくなった。

『――!?』

 おかしな勘定になっていることに、流一郎はすぐに気付いた。

 流一郎が割った亡霊人は全部で二八柱。だがあと二柱、バーテンダーとバーテンドレス姿の者がいたはずだ。

 流一郎は全方位を警戒した。そしてホールの入り口ドア近く、その傍らのソファの陰から、白い腕が伸びているのを発見した。それが宵子の腕であることは一目瞭然だった。

「時女!!」

 ソファに駆け寄る流一郎。はたして時女宵子は、その陰で意識を失い倒れ込んでいた。

 流一郎は宵子の上体を抱き起こすと、名前を呼びながら揺さぶる。

「時女! 時女!」

 宵子は泡沫の夢の中にいた。その眠りは深く、目覚めの兆候は見られなかった。

 パッと見たところ、制服は乱れておらず、むき出しの手足もその美しい白さを保っている。どうやら亡霊人や麒族の危害を受けたわけではなさそうだ。とりあえず安堵する流一郎。もしかすると、戦いの緊張感に耐えきれず気絶してしまっただけなのかもしれない。

 流一郎は手近なソファに目をつけると、座面に散らばった亡霊人の欠片たちを手で払い落とした。そして宵子の身体を抱き上げると、そこに横たえる。

 そのときになって初めて、流一郎はディスコホールのドアが少し開いていることに気付いた。その隙間からは、外のロビーの一角が見えている。いつの間にか惹麒空間が解かれているのだ。

 流一郎はあらかたの状況を察した。

 流一郎が割った亡霊人は二八柱いたが、残る二柱が麒族だったのだろう。

 その麒族たちは、流一郎による亡霊人の大虐殺を尻目に、惹麒空間を解除するとホールのドアから堂々と逃げ出した。おそらくその際に時女宵子と鉢合わせをしたのだ。

 ここで流一郎は違和感を覚える。

 麒族が時女宵子と鉢合わせをしたなら、宵子を食えば済む話ではないのか?

 お化け屋敷の幽霊役じゃあるまいし、彼女を気絶させるだけでやり過ごすなど麒族らしくない振る舞いだ。

「…………」

 だが現実として宵子は無傷だ。もしかすると、麒族たちはこのホールから逃げ出すのに手一杯で、宵子に危害を加える余裕がなかったのかもしれない。

 流一郎はソファに横たわる宵子をあらためて見やった。運命を仕組まれた存在でありながら、何も知らされていない彼女は、これから目の当たりにしていくだろう真実たちに耐えきることが出来るだろうか。

 そんなことを考えながら、流一郎は床に転がっていた店舗の電話機を拾い上げた。幸運なことに電話線は切断されていなかった。

 暗記している電話番号の一つをダイヤルする。

 呼出し先は、数少ない「信頼できるクラスメイト」の自宅だった。宵子の身柄を預けようというのだ。一一〇番するのは、その後でいいだろう。どうせブンさんという刑事が現れて、流一郎はすぐに解放されるのがオチだ。

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