第二章『ケイオス』

第01話 文化街での邂逅

 死ノ儀流一郎は大きく落胆していた。

 時女宵子に対してだ。

 彼女は現実に何が起きているかを知らなさすぎる。

 孤児の施設で七年ほど暮らしていたらしいが、自分の取るべき道が分かっていれば、もっと早くにこの町を訪れていたことだろう。それが十七歳になるまで先延ばしになっていたのは、やはり自分が何者であるか無自覚だったということだ。それは流一郎にとって歯がゆい現実だった。流一郎は待っていたのだから。時女宵子が流一郎の救世主として目の前に現れる時を――。


 夕焼けが去り、空は紺色に彩られていた。

 流一郎は舞鶴市にたった一つしかない夜の歓楽街「文化街」を練り歩いている。

 ここには古くからの花街があり、決して高校生である流一郎が出歩いていいような場所ではないが、彼には彼のポリシーがあった。

 それは、自分が生まれ育った舞鶴市から怪異を駆逐し浄化する――というものだ。

 その目的のためには遠慮などなかった。流一郎にとって怪異がうごめく場所は、どんなエリアであれ等しく戦場なのだ。

 もちろんそんな信条は舞鶴学園の生徒たちの知ったことではない。級友たちの側からしてみれば、死ノ儀流一郎は「群れずに一人で校則破りを続ける風変わりな非行少年」だ。そんな流一郎だから、生徒たちのみならず、教師たちからも煙たがられる存在になっている。殺人鬼の息子――誰がそう名付けたか知らないが、案外、それは教師なのかもしれなかった。

 流一郎はかれこれ二時間ほど文化街を巡回していた。

 およそ二五〇〇軒の飲食店や風俗店が立ち並ぶ文化街だから、そうそう特定の相手と出くわすことはない。そういう意味では流一郎の行動は、巡回ではなく徘徊だ。

 だがもちろん、流一郎は全くの無策で行動しているわけではなかった。

『文化街に複数の亡霊人が出現している』

 攻類神道の総本山・美鶴神社から、このような情報がもたらされたのだ。

 情報の確度は決して高くない。そもそも二五〇〇軒の店舗がある文化街なのだ。流一郎ひとりでローラー作戦というわけにもいかない――だから流一郎も自分の第六感を信じて巡回するしかなかった。

 これはもう見つけ出せればラッキーというレベルだ。しかしそれは実を結んだ。

「――!」

 さすがの流一郎も、今夜の捜索をそろそろ終えようとしたその時、視界に「人にあらざる者」が飛び込んできた。それは街行く大勢の人の群れに溶け込んで何の違和感もないように思えたが、流一郎の目には「完全な異物」として映っていた。

 亡霊人。

 黒いTシャツにジーンズ姿のそれは、確かな足取りで人混みの中を歩いている。その所作だけを見れば人間と何ら変わりはない。だが、そこに生きとし生けるものなら全てのものがまとっている生者のオーラは微塵もなかった。精巧に動く瀬戸物人形――流一郎の目にはそのようにしか見えない。

 流一郎は金属バットを持つ右手に力を込めた。

 だが、まだだ――今ここで「奴」を割るわけにはいかない。この亡霊人が行き着く先に「奴らの巣」がある可能性が高いからだ。

 流一郎は、自身の渡殺者としての存在感を消して、亡霊人のあとをつけた。

 亡霊人がそれに気付くことはなかった。それどころか、見えない糸に誘われるように、どこかへ一直線に向かっている。そこが亡霊人たちの巣か……。

 やがて亡霊人はとある雑居ビルの中へと消えた。

 その看板には、ディスコ「ケイオス」とあった。

 おどろおどろしい水棲クリーチャーの彫像が十数体出迎える店構えは、お世辞にも趣味がいいとは言えなかったが、一度見たら忘れないという意味では商売として成功しているのだろう。

 流一郎がクリーチャーたちを避けて店内に入ろうとした時、背後から声がかかった。

「えっ!? 死ノ儀くん!?」

 振り返ると、そこには時女宵子の姿があった。

「時女……どうしてこんなところに?」

「どうしてって……私、まだ不案内だから、早く登下校の土地勘を持とうと思って――」

 思えば昨夜、警察官姿の亡霊人たちを割ったときから「違和感」はあった。あれ以来、流一郎が亡霊人を割りに行った先には、必ず時女宵子の姿があったからだ。狭い町のことだから、奇遇が三回続く確率もゼロではないだろう。しかし今回の場合、宵子自身が何かを感知して引き寄せられていると考えたほうが、自然な成り行きであるように思えた。

「死ノ儀くんこそ……また、亡霊人を?」

「俺の質問がまだだ。なぜこんなところに? ディスコは校則違反だぞ」

「ディスコ? ここが?」

 宵子は雑居ビルを見上げた。そしてビルを彩る極彩色のネオンたちに見入っていると、ハッと我に返るや、顔の前で両手を素早く振って全否定する。

「違う違う! 私そんな不良じゃないよ!」

「この文化街に足を踏み入れている時点で、十二分に素行不良だがな」

「文化街? ――私、この通りならお店がたくさんあって明るいから安心かなと思って」

 なるほど。昨夜、国道沿いで警察官の亡霊人に襲われたことがトラウマになっているのだ。より明るいエリアを求めてこのネオン華々しい文化街に入り込んだということか。電気の明かりは人間を安心させる文明の利器だが、だからといって決して治安がいいとは言えない文化街を選ぶあたり、時女宵子の安全意識はどこか少しズレているように思えた。

「そうか――道端のキャッチセールスは全部無視して帰れよ」

「キャッチセールス……?」

 流一郎は宵子の返事を半分聞き流しながら、「ケイオス」に入っていこうとする。

「ちょっと、死ノ儀くん――!」

 流一郎が宵子に首を巡らす。

「何だ?」

「私の質問がまだだよ。ここには亡霊人を?」

「時女――好奇心が勝ると、痛い目にあうぞ」

「同じようなこと、姫野先生にも言われた。亡霊人に気持ちを注ぐなって」

 姫野美人の言いそうな物言いだと流一郎は思った。彼女はすべてを知っておきながら、無条件に正解を与えるようなことをしない。人がどの選択を選ぶのか予想して楽しんでいるような節がある。

「姫野先生がそう言うんなら、守ったほうがいいかもな」白々しく流一郎は言った。

「どういうこと? 私、知りたいの。亡霊人のこと……」

「美鶴神社で清められてないきみは、まだ不浄の者だ。不浄の者が亡霊人の深淵を覗けば、きみ自身も亡霊人になるぞ――帯同したいと言うんなら、答えはノーだ」

「そう言う死ノ儀くんはお清めを受けたの?」

「さあ……産湯で清められたと聞いているが、記憶にはないな」

「産湯で……」

 宵子は言葉を続けた。

「私にも亡霊人にまつわる生い立ちがあるなら、きっと清められていると思わない?」

「可能性の話をするなら、大抵のことはグレーだ」と溜め息をつく流一郎。

 流一郎はさらに何かを言いかけたが、やがて諦めた。一般市民を渦中に巻き込むことはしたくないが、もとより時女宵子は当事者……いや、あらゆる事件の中心人物だからだ。もう一度くらい怖い目にあって、事件を避けるようになってくれたほうが流一郎としてはやりやすい。

「危ないと感じたら、すぐに退場してもらうからな」

 流一郎は宵子の提案を渋々呑んだ。

 しっかりとうなずき、満足げな笑みを浮かべる宵子。

「じゃあ、行くぞ――」

「えっ、もう――!?」

 流一郎は「ケイオス」の入り口、その観音開きのドアを開け放った。

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