はじめてのゾンビ

@kasumihibiki

第1話 目覚め

 スイッチを切り忘れる、というのはよくある事だと思う。

 疲れ果てて眠る前にテレビの電源を切り忘れるとか。

 家を出るときに部屋の電気を消し忘れるとか。


 頻繁では無いにしろ多くの人が一度はやってしまったことがある、という意味では俗にいうまれに良くあるという言葉が当てはまるだろう。


 だから。

 一日に何千、或いは何万の人が生まれては死ぬこの世の中にあって、その生死を司る神の使いとやらが1人の人間の生命というスイッチを切り忘れる、というのも稀にあるのかもしれない。


 冷たい土から這い出し、赤く濁った視界で夜の星々を見上げながら、私はそのような事を考えた。考えざるを得なかった。


 そうとでも思わなければ、冷たい土の中で微生物に分解されるのを待つだけだった、全ての活動を終えた私の体が今再び動き出す事などありえない事だから。


 そう、私は死者だ。

 運よく、と言って良いのか分からないが、殺害され、そのままその場に埋められた私の骸は、火葬されて白い灰のような骨と化して小さな壺に収められるというあるべき終わり方を迎えることなく、着の身着のまま、己の肉を保ったままで土葬されてしまったのだ。


 だからだろう。生命というスイッチを切り忘れられるという偶然をモノにすることが出来てしまったのだ。


 それにしても果たして、私がここで眠ってからどれほどの時間がたったのだろう。

 月明りを頼りに己の体を確認する。


 まだ肉が残っていて、白骨化には至っていない。

 頭に残った傷は、血の全てを流し終えたのか、赤くこびり付いた血液で固まっている。


 せっかく生前整えていた髪は、その血に汚れて、土に絡まれて幾つか抜け落ち、剥き出しの頭皮に辛うじてくっ付いたまま千々に乱れている。


 おろしたてだった新品の服は泥にまみれて無残なまでに汚れきっていて、やはりところどころ破れて血色の悪い肌を露出させる羽目になっている。


 この格好では人前に出られないな、と、私は今更悲しむべきことでは無い事を悲しんだ。こうして再び体を動かす事が出来た奇跡の前に、人前に出られない事など些細な事だ。


 ともあれ、肉体の状況から時間の経過を判断するのは難しそうだ。

 ならばスマートフォンだと思ったけれど、生前私が持ち歩いていたはずの小さなかばんは周囲を探しても見つからない。


 一緒に埋められていたのかと、私がさっきまで埋もれていた地面を掘ってみるけれど、それも見つからない。というより生命活動を終えたままでは肉体は脆くなっているのか、私の指は土に負けて妙な形に曲がってしまったから、掘り進めることが出来なかったといった方が正しいかもしれない。


 あの中には財布や身だしなみを整えるためのちょっとした小物、それから家の鍵といった様々な必需品も入っていたから、無くしてしまうのは惜しい。


 諦めて座り込み、改めて天を仰ぐ。

 星座には詳しくないから、果たして空に浮かぶ星々が私が死んだ日と同じような位置関係であるのかは分からない。


 ただ、赤く濁った視界で見上げる月がとても綺麗だったから、眺めてしまっただけの事だ。


 ひと休みすると、頭の中に浮かぶのは、これからどうしようかという事だ。

 もしも一目会えるなら、家族に会ってお別れを言いたいところだ。


 生前は当たり前に、出掛けた後家に帰ってごくありふれた時間を過ごすつもりだったから、家族には何も言えていない。


 どうやらあれから誰にも見つけてもらう事は出来なかったようだから、きっと今頃心配しているはずだ。警察も行方不明者として探しているかもしれない。


 どれ程に時間が立っているのか知る事は出来ないけれど、日本の警察の捜査能力を信用するならば、恐らくまだそれほど時間はたっていないはずだ。


 あちこちに設置された監視カメラや、あの日私が出会った人々の記憶をたどれば、ここに辿り着く事など造作も無い事だろう。


 そう思えば、ここに埋められてから1週間とたっていないのではないかとも思えてくる。


 ならば心配をかけてゴメンとでも、家族に伝えるべきではないのか、と考えてすぐにやめる。


 今の私は、とても人前に姿を晒せる状態ではない。

 家族を驚かせるか、家に帰るまでに通行人を驚かせるのが関の山だ。心配かけてゴメンなどと言ったところで、より恐怖と絶望が募るばかりだろう。


 ならば家族には申し訳ないけれど、私自身もつらく寂しいけれど。

 家族に会うのはやめた方が良いのだろう。


 人に会う事が出来ない、となると、私はここからどうすればいいのだろう。

 月を見ながらそう考えて、星を見ながら時間を潰し、風を浴びて寒さも暑さも感じない自分を思う。


 今の私は他人とは大きく違うのだ。

 知り合いの誰とも会う事が出来ないのだ、それどころか店に入る事も何かを利用する事も出来はしない。


 ならば何をして私は第二の人生を過ごせばいいのだろう。

 暫くそう考えて、私は一つの結論を思いつく。


 驚かせても構わない、そう思える相手が1人だけ居た。

 私を殺した人物。


 私の日常を奪い、私に関わる全ての人を悲しませ。

 私をこの冷たく暗い土の中に押し込めた者。


 私の事を弄び、命を奪う事すらした者。


 殺される直前まで、大切な相手だと思い込んでいた、あの男に会いに行こう。


 私はそう決めた。

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