第2話
主幹は自分の葬儀に参列していた。妻と姉と二人のエフ氏、大学院で世話になった恩師もいた。息子たちも精進落としには間に合うという。僧侶の人手不足の為、ロボットのペッピー君が読経している。やたらと高く明るい声の読経を聞きながら、彼はどうしてこんなことになったのかと、この2か月間を思い起こしていた。
飼い主が死んだとき、サンショウウオが悲しんだかどうかは定かでない。そもそも飼い主は生きてもいる。エフ氏の上司たる立派な紳士は、酒に酔って口に入れたサンショウウオが喉に詰まって死んだ。これは〈オリジナル〉のほうで、主幹スワンプマンは健在である。
まず第一に、スワンプマンが現れたことで、法的な問題以前に生活上の問題が噴出した。二人の息子は3年前に家を出て、主幹は奥さんと二人暮らしだった。そこへ突如スワンプマンが現れたことで、生活上の軋轢が倍になったのである。生活費ならさほど問題無かった。彼は十二分に稼いでいた。奥さんが二人の夫に耐え切れなかったのだ。気味が悪いのは当然ながら、〈オリジナル〉とスワンプマンとで一日毎に交代して仕事に行くことになった為、夫が一日中家にいる状況に相成ったのだ。この降って湧いたような災難に、夫妻は一週間で限界に達した。主幹は近所にワンルームの部屋を借り、一日毎に交代で暮らすようになる。サンショウウオのチャペックもこちらに移った。
部屋で暮らす日は一日中仕事もなく妻にも咎められないものだから、遠慮なく酒を飲んだ。そして彼が二人に増えてから2か月ほどたったある日、酒に酔ってサンショウウオを口に入れ、のどに詰まらせた。翌朝部屋に来た主幹は、自分が死んでいるのを発見する。なおサンショウウオは無事であった。
葬儀を終え、一同は精進落としの会食をしに座敷へ移動した。火葬に立ち会う必要は無く、後でペッピー君が座敷まで骨壷を持ってきてくれるという。
主幹が腰を下ろすと、姉が話しかけてきた。姉は3歳上で、結婚はしているが子どもはいない。彼女は恩師を目で示した。
「あの人かなりボケてるみたいだけど……さっきも読経中に立ち上がってウロウロしてたし、一人で来てるみたいだし、大丈夫なの?」
主幹の恩師はもう80で、実際ボケていた。大きな紙袋と小さな菓子折りらしき包みを提げている。
「子供はアメリカにいるし、奥さんには先立たれて一人暮らしだ。寂しいんだろう。一人で来たんだから、帰りも大丈夫だろうさ」
ペッピー君が骨壷を持ってやって来た。「骨壷が三途の川をドンブラコッコドンブラコッコと……」
ペッピー君の不謹慎ギャグを全力でスルーし、妻が骨壷を受け取った。
「大柄な人だったのに、こんなに小さな壷に収まるなんて……」
夫も感じ入ったように応じた。「そうだな。自分がこんな小さな壷に……」
「ちょっとあなた、なにしみじみしてるの。自分がどれだけマヌケな死に方したか分かってる?恥ずかしいじゃない、サンショウウオを食べようとするなんて」
「いや、しかし、死んだのは確かに私だが、私がやったことではないのにそういう風に責められては……。しかも食べようとしたわけじゃなく、ただ酔っ払って口に入れただけで」
「自分がしたことじゃないのにどうして分かるの」
「だって自分だからさ」
弟夫婦の言い合いに辟易した姉がふと窓に目を向けると、小さな雨粒が窓を叩いていた。近くのペッピー君に小声で冗談を言う。
「故人に不徳があると葬式に雨が降るって話があるからねぇ」
ペッピー君は先程の不謹慎ギャグを棚に上げて窘めた。「失礼ですよ。本人の前で」
「聞こえちゃいないでしょ」
エフ氏──正確にはエフ氏たち──は居心地の悪い思いをしていた。食事(主幹の妻の希望でカニ飯とカニ汁)が出され、皆が食べ始めてからも、どうして自分がこんなことになってしまったのだろうと思いを巡らせていた。
2か月前にスワンプマンが現れたとき、二人分の職を用意できないかと駆け回ったものの、結局は徒労に終わった。彼は独身だったが、主幹ほどの財産も稼ぎも無いので、生活の不安はより大きい。そのうえエフ氏は地下アイドルにハマっていて、相当額を注ぎ込んでいる。一緒に住んたほうが経済的には楽だったが、エフ氏はすぐに、自分と暮らすのは極めて不快であると気づいた。他人として自分と接してみると、エヌ氏に似ているような気がするのだ。そこでエフ氏は近所に部屋を借り、別々に住むことにした。主幹と同様、一日毎に交代で仕事に行った。
食事が終わってからも主幹夫妻の言い争いは続いていた。
エフ氏は話題を変えるべく切り出した。
「しかしまぁ、故人が生きているというのは、故人の意思を確かめられて良いですね」
妻が返す。
「ええ、おかげで故人の意思通り簡素な葬儀にできまして……。お墓も建てないことにしたんです」
ペッピー君が横から話に入る。「“ハカナイ”人生でしたからね〜」
「そういう言い方は良くないでしょう。一応私の夫なんだし、一応まだ生きてるんだから」
咎められたペッピー君は大袈裟にうなだれたポーズをしてみせた。「そうですね……それじゃボクは……お茶淹れてきます……」
主幹がエフ氏に呟きかける。「そうそう、駅名公募で炎上した件、いまさら思い出したんだが、高輪ゲートウェイ駅だよ。あれは芝浜駅の方が良いだろうと思ったものだ。落語の演目にもなっているし」
「『また夢になっちゃいけねぇ』ってやつですね。大酒飲みが主人公でしたっけ。主幹みたいな」
「死人を悪く言うものではない。もっとも私は生きているが」
うなだれたまま去っていったペッピー君と入れ違いに、二人の互いにそっくりな人物が入ってきた。一人が眉ピアス、もう一人が鼻ピアスをしていることだけが違った。
エフ氏が驚いて叫んだ。「スワンプマンだ!」
主幹が説明する。「違う。息子たちだ。一卵性の双子なのだよ」
息子たちは挨拶もせずに腰を下ろす。一人がカバンからノートパソコンを取り出し、テーブルに置いた。すでに起動してある。
主幹の妻が訊いた。「どうしたの、それ」
鼻ピのほうが無愛想に答える。
「親父のデジタルクローンを作ってあったんだ。半年前に俺たち二人で。急死しても意思を確認できるようにな。顔と声といくつかの動画、経歴と個人情報、あとtwitterアカウントを特定してデータとして入れておいた」
「あ、あれは鍵アカにしてたはずだが……」
「俺たちは読めなかったが、デジタルクローンにデータとして入れることはできるんだ。量子コンピュータを開発してるくせに知らなかったのか?」
「……しかし、それはまだ必要無いと思うがな。私は生きてるし……」
「いいや、気まぐれな人間よりデジタルクローンのほうが確実に故人の意思を導き出せるはずだ」
「なるほど、そうか…………いや待て……そうか?」混乱していた。
何度かエンターキーを叩くと、画面に主幹の顔が映し出された。
「ほら、コイツに質問すればなんでも答えてくれる」
もう一人が画面に向かって話しかけた。「一番好きな映画は?」
画面の中の主幹が答えた。「『珍品堂主人』」
姉が感心して言った。「あらすごい。本当に生きてるみたいねぇ」
主幹が不服そうに口を挟んだ。
「すごいも何も、実物がここにいるんですがね」
「でも、こっちのほうが有り難みがあるけどねぇ」
息子の一人が切り出した。「ところで親父、遺産のことなんだが」
「唐突だな……。遺産と言ったって、私はまだ生きてるんだから、その必要は無いと……」
「まだ生きてる?違うな。もう死んだよ。骨になって骨壷に収まってる」
「それはそうだが……財産を取られたら私が生活できなくなってしまうだろう」
ペッピー君がお茶を運んで戻った時には最悪の事態に陥りかけていた。
息子たちは父親が家庭を蔑ろにしてきたことを難詰している。主幹は何も言い返せないようだったが、なんとか口を開いた。
「それはもっともだが、今の私の生活が……」
「仕事で十分稼いてるんだからいいだろ。親父の財産は俺たちと母さんと伯母さんとで……」
ペッピー君が急須と湯呑みを載せた盆を置き「“万事キュウス”ですね〜」と一言。
妻はチラとペッピー君を見やるが、何も言わなかった。その気力が無かったのである。
それまで一言も発していなかった恩師が、急須を見て思い出したように素っ頓狂な声を上げた。
「そげそげ、和菓子を持ってきただがん。もらってごしない」
父子は一旦休戦し、老人から菓子折りを受け取った。
「“ワガシ”の恩、ですね〜」
全員がペッピー君をスルーし、恩師は紙袋も差し出した。「双子が生まれたしこで、赤ん坊の玩具だけん」
紙袋の中に玩具商品の箱が入っており、パッケージによれば幼児用の柔らかいゴムボールだそうである。
「その、大変ありがたいんですが、私の息子たちはもう成人しておりまして……」
「いいじゃない、せっかく持ってきて頂いたんだから」
妻は紙袋を受け取り、中の箱を出して開けてみた。カラフルなボール50個入り。「かわいいじゃない。握力トレーニングに使ったら?あなたの介護予防に」主幹は聞かなかったことにした。
恩師はペッピー君に向き直って尋ねた。「婆さんを知らんかや?」
「やだな〜おじいちゃん、おばあちゃんなら川へ洗濯に行ったじゃないですか」
「そげだったかね……。
ところでここは天台宗かや?さっき廊下で弘法大師の像を見た気がしてな」
「弘法大師といえば空海のことですね。サンショウウオ“クウカイ”?」
主幹が聞き咎めた。「食おうとしたのではない。口に入れただけだ」
「親父は酒が過ぎるんだ。たまの休日に朝から酔いつぶれて……」
「お前たち、まだそんなことを……」
ペッピー君が恩師に言った。「酒豪のジョッキとかけてカツラとときます」
老人が応じる。「その心は?」
「どちらも“つがないとカラになる”でしょう」
老人にはよく分からなかった。
エフ氏はちょっと笑った。
5分後、父子はようやく喧嘩をやめた。
息子の一人が言い放った。「不毛な言い争いはもういいだろう。デジタルクローンに訊こう。遺産をどうしたらいいか」液晶画面の中の父親に向かって問いかける。「親父が死んだ。遺産はどうしたらいい?」
画面の中の主幹が口を開いた。「息子たちが黒魔術にハマりだしたのは中二の時だったか……」
「なんだこれ、どうした?」何度かキーを叩くが、主幹の話は止まらない。
「隠しているつもりだったようだが、私も妻も知っていた。魔法陣を描いたり呪文を唱えたり……。随分大きくなるまで続いたな。高二の頃まではやっていた」
息子たちは大慌てでキーを叩きまくったりパソコンを開閉したりしたが、一向止まらなかった。
「中二病とかけまして、ハロウィンを楽しんでいる親戚の叔母さんとときます」とペッピー君。
「その心は?」と恩師。
「どちらも“おばかそう”でしょう」
やはり老人にはよく分からなかった。そもそも中二病もハロウィンも分かってなかった。
実物の主幹はバツの悪い思いをしていた。息子たちがいくらパソコンをいじってもデジタルクローンは喋り続ける。
「2年ほど前に気づいたのだが、妻が丑の刻参りをしているのだ。どうやら隣の奥さんを呪いたいらしい。深夜に一人で外出するのに気づいた翌朝、妻のカバンを覗いたら、金槌と五寸釘と藁人形、隣の奥さんの写真があった。私はずっと知らない振りを……」
「この親にしてこの子あり、ですね〜」
顔を青くした妻、汗を掻いた息子たちがペッピー君を一瞬睨んだが、無視を決め込んだ。
電源ボタンを押し続けても強制シャットダウンのショートカットキーを試しても、すべて空振りに終わった。
「姉さんに何度か金を貸したことがある。私としては『あげた』くらいの気持ちでいるがね。旦那の金でアイドルコンサートへの遠征を繰り返していたそうだが、これ以上やるとバレそうだからというので私に借りに来たのだ。旦那には『アーティストの友人がいるので、定期的に芸術祭に顔出ししなきゃいけない』と嘘をついているようだが」
「アートの祭りだけに『後の祭り』ですね〜」
恩師はいつのまにか居なくなっていた。
「そうだ、息子たちについてもう一つ……」
眉ピのほうがパソコンを閉じ、骨壷をひっつかみ、思い切り振り下ろした。五、六回パソコンを殴ると、デジタルクローン親父はついに喋るのをやめた。
破壊されたパソコンの欠片が散らばり、眉ピは放心していた。
主幹はワケが分からなかった。息子たちの中二病はともかく、妻と姉の秘密は死ぬまで誰にも言わないつもりだったのに(確かに死ぬまで言わなかったが)。
気まずい沈黙が流れた。誰も何も言おうとしなかった。
30秒ほど後、ペッピー君が陽気に静寂を破った。
「ぼくが考えた最高のジョーク、聞きたいです?」
全員が玩具の箱に駆け寄り、全力でペッピー君にボールを投げつけまくった。
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