幻想剣豪譚 ~刀と術の時代劇風ファンタジー世界に転移した俺は【剣豪】の力で悪を斬る~

いかぽん

第1話 女神

 もう深夜と呼んで差し支えのない時刻。


 駅のホームへと続く階段をふらふらと下りながら、スーツ姿の俺は一人つぶやく。


「はぁ……今すぐ寝たい……どうして目の前にベッドがないんだ……」


 眠たい。今すぐ寝たい。

 ベッドはまだか。


 まだだな。

 これから電車に乗って、家まで帰らないとベッドはない。

 当たり前だ。


「はぁ……」


 ホームに降りた俺は、習慣のままに半ば自動的に歩いていって、電車の到着待ちの位置へと移動する。


 眠い。

 疲れた……。


 俺、御剣刀悧みつるぎとうりはいわゆるブラック企業に勤める会社員だ。


 毎日寝る間もなく働かされて、会社と家を往復するばかりの日々である。


『まもなく電車がまいります。黄色い線の内側にお下がりください』


 駅の定例アナウンスを聞き流しながら、ぼんやりと考える。


 こんなことを俺は、これからの人生でずっと、毎日続けていかなければいけないのだろうか、と。


「はぁ……。眠い……明日も仕事……」


 こういう時にはいつも、幼い頃にテレビで見ていた時代劇を思い出す。


 強きをくじき弱きを助ける勧善懲悪かんぜんちょうあくのヒーローに、俺は恥ずかしながら憧れていた。


 世直しの旅をする御老公や、暴れん坊の将軍様や、悪党をぶった斬る三匹の浪人のような格好いい大人になりたいと、半ば本気で思っていた時期すらあった。


 だが現実はこの有り様だ。

 人を助けるどころか、自分一人を助けることすらできやしない。


 と、そんなことを思っていると──


「いてっ! おい兄ちゃん、どこ見てほっつき歩いてんだ!」


 何やら中年の酔っ払い男が、俺にぶつかってきた。

 電車が間もなくホームに滑り込んでこようというときだ。


 いや、どこ見て歩いているも何も、そもそも歩いてなかったのだが。

 駅のホームで電車を待っていただけなのだが。


 まあ眠すぎて、うつらうつらとはしていたかもしれないが──


 などという俺の思考は、完全に間が抜けていた。


「えっ……?」


 酔っ払い男に勢いよく突き飛ばされた俺の体は、駅のホームから線路側へと投げ出されていたのだ。


 ファーン、と耳をつんざくような電車の警笛が鳴った次の瞬間には──


 俺の体は、勢いよく電車にね飛ばされていた。



 ***



御剣刀悧みつるぎとうりさん。あなたは死にました」


 真っ白い空間。

 俺の前に立つ女神らしき何かが、そう伝えてきた。


 一方の俺は真っ裸で、その女神らしき何かの前に立っている。


 立っている……?

 分からない。

 宙に浮いているような感じでもある。


 ともあれ俺は、こめかみを指で揉みつつ、女神らしき何かに返事をする。


「あー……えっと、何ですって?」


 俺はたしか、駅のホームで電車に撥ねられたはずだ。


 なのに生きてる?

 いや、死んでる?

 ひょっとしてここは、死後の世界?


 女神らしき何か──ひとまず女神と呼ぶことにしよう──は、あらためてこう言った。


「彼女いない歴イコール年齢で二十三歳独身童貞の御剣刀悧さん。あなたは過労と睡眠不足で駅のホームでうつらうつらとしていたところを酔っ払いに突き飛ばされ、電車にねられて死んだのです」


「あっ、はい。分かりました」


 前段の童貞うんぬんのくだりは必要なかった気がするけど、とにかく俺は死んだらしい。


 そうか、死んだのか……。

 まあ、それもいいかな。


「あまりショックを受けていないようですね」


「そうですね。もう寝る間もなく働き続けなくてもいいんだと思ったら、むしろ気が楽になりました。ということは、ここは死後の世界なんですね」


「それは少し違います」


「少し違う……?」


 死んだのに、死後の世界じゃないのか。

 女神は答える。


「ええ。ここは言わば、生と死のはざまの世界。あなたは幸運にも『選ばれた』のです」


「選ばれた……? 何にですか?」


「あなたは異世界にて、新たな人生を送ることができます」


「異世界……?」


 何だか分からないことばかり言われる。


 だいたい「幸運にも」と言うけど、あんな死に方をした時点で、幸運も何もない気がするのだが。


 そんな俺の内心をよそに、女神は何やら祈るような仕草を見せる。


 すると女神の横に、テーブルの上に置かれた「何か」が現れた。

 八角形の正面を持った立体物で、取っ手が付いている。


 あ、なんかあれ、子どもの頃に見たことがあるぞ。

 商店街の福引きで回すやつだ。


「それでは御剣刀悧さん。あなたが異世界で生きていくために、特別な能力を一つ与えます。これを回してください」


「はあ……」


 俺は言われるままに、取っ手をつかんでガラガラと回した。

 銀色の玉が出てきた。


 女神はいつの間にか手に持っていた鐘を、カランカランと鳴らす。


「おめでとうございます! 御剣刀悧さん、あなたには【剣豪けんごう】の能力が当たりました。大当たりです」


「大当たり」


「ええ、大当たりです」


 銀色の玉が浮かび上がり、野球ボールぐらいの大きさの光へと変わると、俺の胸に吸い込まれていく。


 俺の全身が淡く輝いた。

 同時に、力がみなぎってくるような感覚が湧き上がる。


 ……それはそうと俺、下も真っ裸だったんだな。


 こんな姿で女神と話していたのか。

 向こうは気にしてなさそうだから、まあいいけど。


「それでは御剣刀悧さん。願わくば、次の世界では幸福な人生を──」


 真っ白だった世界が光を増し、さらなる白へと染まっていく。

 やがて女神の姿も見えなくなり──


 完全に真っ白な光に覆われた世界で、俺は意識を失った。

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