記録情報No.6


「まさか貴方が、こんな辺境に現れるなんてねぇ。驚いたわ、私」


「世界に辺境などあるまい。全て等しく、輝かしい人生の舞台だ」



 【忘却ヴィスムキ】が軽口を叩く相手は、高いビルの屋上にいた。


 色の濃い肌ではあるものの、スキンヘッドの何処にも角が無いことからも分かる通り、それは魔族デーモン魔人イーヴォルのそれではない。だが、その体躯は、魔族デーモンにも引けを取らぬ頑健なものだった。全身に纏うのは、飾り気のない薄手の紺布で出来た、道着とも法衣とも取れる服。両腕を組んで仁王立ちになるその姿は、大通りにいる【忘却ヴィスムキ】と〈加減則マイシスター〉、それと頽れた数多の死に絶えた人型族ヒューマノイドを睥睨しているようにすら感じられた。


 そして、虹彩はやはり純白に輝いている。



「これまた派手なことをしてくれたな、【忘却ヴィスムキ】」


「あら、前には万単位で殺し合ったこともあったと思うけど?」


「遠い昔のことだ。それに、あれも貴様から仕掛けてきただろう」


「たかだか数百年前の話じゃない。それに、嬉々として反撃して来たのは何処の誰でしたっけ?」


「暴走したのは【真実チェンシャン】だろう。俺じゃない。あの出来の悪い弟の話は今はいい」


「はいはい、そうですわね。全言能者の中でも最強と目される何処ぞの堅物——【虚言ファンゲン】さま」



 まるで他愛無い昔話を持ちかける【忘却ヴィスムキ】が、その男の名前げんのうを明かす。


 その瞬間、先程まで無様に地面をのた打ち回っていたはずの〈加減則マイシスター〉の二人が、しっかりと二本の足で地面に立ち、焦点のあった眼を驚愕に見開いた。



「な、あ、あれが……あの、フ、ファ、【虚言ファンゲン】、殿、だってのかっ……!」


「……おそろ、しい……」


「貴女達の感想は聞いてないわ。私が彼と話してるの。邪魔しないで」


「なんだとッ!? そんなこと、私達に関係あるか!」


「あら、静かにしないのなら、またあの暗闇に帰ってもらうことに——



「〈加減則マイシスター〉は静かにしない。【虚言ファンゲン】」



 ——って思ったら、大丈夫みたいね、もう」



 そう言って、【忘却ヴィスムキ】は嘲笑うように鼻を鳴らした。しかし、幾ら【加速エクセレ】が突っかかろうとしても、何故か言葉が出ない。否、何かを言おうとしても、それを口から出す前に出す気が失せてしまうのだ。代わりに暴れようとしても一緒だった。



「すまない、〈加減則マイシスター〉。だが、許してくれ。今は少々大人しくしてくれると、事態の収拾が早いのだ」


「まさか自分の都合のために〈嘘から出た真〉を使うなんてねぇ。人類の希望セ―ビュアーの名折れじゃなくて、【虚言ファンゲン】?」


「そもそも人類を守るのは自分の都合だ。名折れだろうと何だろうと興味はない」


「えぇ、えぇ、貴方は昔からそうだったわね。自分の勝手、自分の都合と言って、守りたいものを守る」



 過ぎ去った時の旧友に向けて、【忘却ヴィスムキ】は月が微笑んだような妖艶な笑みを見せる。



「正直言って、気が狂ってるとしか思えないわ」


「狂っているんだ。始まりからな」


「まぁ、貴方が狂っていてもそうでなくても、構わないけれど——」



 その笑みを崩さぬままに、【忘却ヴィスムキ】は、



「今日こそ、死んで」



 死を宣告した。



「【忘却の彼方ヴィスムキ】っ!」



 【忘却ヴィスムキ】は、〈加減則マイシスター〉相手に全く使わなかった言能技スキルを、最初から叶える。さらに、思念で【忘却ヴィスムキ】を多重に叶え、自らを世界から隔離した。全身を純白の輝きに預け、世界の理を全て拒絶し、自らの意思を絶対とした〈忘却故の超越者トランスセンデンス〉は、その鉤爪を剝き出しにして【虚言ヴィスムキ】に迫る——



「【虚ろな言葉ファンゲン】」




 世界に閃光フラッシュが奔った。




「まさか俺が貴様を忘れ、【虚ろな言葉ファンゲン】を叶えぬとでも思ったか」


「…【忘却の彼方ヴィスムキ】を真っ先に叶えれば、今回こそは、勝てると思ったんだけどねぇ……」


「無駄だ。幾ら小細工をろうそうと、真正面からぶつかろうと、貴様が俺に勝つことはない」



 一歩も動かずに、全力で襲い掛かってきた【忘却ヴィスムキ】を制圧した【虚言ファンゲン】は、堂々とそれを言い放つ。


 悔しそうに、しかし何処か楽しそうに、顔を伏せた【忘却ヴィスムキ】は肩を震わせていた。



「最高だわ。最高だし、最強だわぁ。さっきの【加速エクセレ】ちゃんのあれ…フィンブ……なんだっけ? ま、それなんか足元の砂利にも及ばないわね。貴方の【虚ろな言葉ファンゲン】と比べたら」



 心酔しきったアイドルのことでも話すかのように、【忘却ヴィスムキ】は彼の言能技ヴィスムキを絶賛する。しかしそれもまた、無理のないことだろう。


 【虚ろな言葉ファンゲン】は、【虚言ファンゲン】が誇る唯一の盾にして、対言能者絶対の防御用言能技スキル。言葉を偽りに変える彼の言能の力を使い、相手が使った言能を偽りに変えることで、既に叶えた言能も、叶えている途中の言能も、強制的に終了させる。言能者を相手とするにあたり、これ以上は望めない最強の言能技スキルだった。



「分かったなら、帰ってもらおう。今すぐ白濱城しらはまぎから去れ。言うまでもなく、手ぶらでな」


「もし嫌だと言ったら?」


「力尽くでも出て行ってもらう」


「えぇ、そう言うと思ったわ。貴方は絶対に、殺さないから」


「俺も必要なら殺す。そうじゃないものまで殺す気は、俺にはない」


「あら、それは私も同じよ? でもそうね、として、忠告してあげる。

 貴方のその優しさが、巡り巡って貴方を滅ぼすわ。

 これは宣言出来る。だって、五千三百二十七の人型族ヒューマノイドの命を今さっきなぶり殺した女さえも、見逃してしまうんだから」


「それで死ぬのならそこまでの男と言うだけだ。白濱城しらはまぎから退出しろ、【忘却ヴィスムキ】。これ以上は警告せん」


「えぇ、勿論、出ていくわ。じゃあね、【虚言ファンゲン】。私のかつての恋人。家で待ってるわぁ。帰りたくなったらいらっしゃい」



 最後まで軽口を叩きながら、それでも逆らうことはなく、【忘却ヴィスムキ】は身を翻し、一人で白濱城しらはまぎの見上げるような大門ゲートを潜って、外の世界へ消えていった。



「【虚言ファンゲン】」



 【忘却ヴィスムキ】が去った直後、【虚言ファンゲン】は過去の自分の言葉に【虚言ファンゲン】を被せ、〈加減則マイシスター〉の動きを開放した。そのまま躊躇いもなくビルの屋上から飛び降り、ズドオォオンン……! という重い衝撃音を響かせて地面に着地する。陥没したアスファルトから歩いて出てきた【虚言ファンゲン】は、そのままの足で【加速エクセレ】と【減速ディザレ】に近づいた。



「失礼をした、【加速エクセレ】、【減速ディザレ】。必要だったとはいえ、無礼なことをした。許してくれ」


「いっ、いえっ、謝る必要は毛頭一色何人たりとも御座いません、ファ、【虚言ファンゲン】殿様!」


おねぇちゃんマイシスター、緊張でふつうに話せてない。ごめんなさい」


「…謝ったはずなのだが、逆に謝られてしまったな」



 少々苦々しく、それでいて微笑ましそうに笑った【虚言ファンゲン】は、一息吐いてから、その厳つい顔に相応しい有無を言わせぬ口調で二人に言う。



「基地に戻ると良い、〈加減則マイシスター〉。今日のことを報告しろ。包み隠さず話すといい」


「え、す、全てと言うのは、【虚言ファンゲン】殿のことも…?」


「必要ならな。この惨状だ、どちらにしろ白濱城しらはまぎは数週間は混乱するだろう。俺と【忘却ヴィスムキ】が交戦したしたのが伝わったところで、大して大きな差はあるまい」


「わ、分かり…分かったであるのである!」


「…ちゃんとおねぇちゃんマイシスターのことは見ておくから、安心して」


「それが良さそうだな。さぁ、行くと良い」



 そう言うと二人の少女は、右手で胸を拳、平手の順に叩く、人型族連合防衛軍ヒューマノイド・ディフェンスフォース式の最敬礼をした。それから二人が一瞬光り、すぐにその場から消え去る。



「…さて、だな」



 誰も居らず、地面が砕け、窓が全て割れ、数えきれない死体が溢れた、正に廃墟そのもののような大通り。そこで仁王立ちになる男は、この惨状を一瞥し、嘆息を漏らした。


 しかし、彼が嘆いたのは、今日死に絶えた数多の命に対してではない。



「これまた酷いことになったね、【虚言ファンゲン】」

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