記録情報No.4


 死者の亡霊が、そうであったはずのものが、声を上げる。



「なぁっ!?」



 【加速エクセレ】が叫び、条件反射でその場から飛び退く。彼女の右目がもう一度純白に輝き、口に出さずに叶えられた言能が、〈加減則マイシスター〉を上空に持ち上げた。



「おねぇちゃん、だいじょうぶ。まだ【もうおわりラグナロク】は叶えてる」


「あら、まだそんな防御があったのね。分からなかったわ。凄いわね、【減速ディザレ】ちゃん」


「あんたに褒められてもうれしくない」



 本当に感心したように目を開く【忘却ヴィスムキ】の言葉を、【減速ディザレ】は氷柱が如き冷たさで一蹴する。


 とはいえ、【減速ディザレ】の判断が褒められるに値するのは真実だろう。時間経過ゼロで敵全てを殺戮する【誰一人寄せ付けぬフィンブルヴェト】を使う以上、攻撃を受けることは絶対にないのだから、本当は【もうおわりラグナロク】を叶える必要はなかった。だが、エクセレの言った「全力で以て当たる」を愚直に守り、自らの最高の言能技スキルを叶えておいたからこそ、少女達は【忘却ヴィスムキ】を受けずに済んだのだ。



 【誰一人寄せ付けぬフィンブルヴェト】が〈加減則マイシスター〉最高の攻撃なら、【もうおわりラグナロク】は〈加減則マイシスター〉最高の防御。【減速ディザレ】が叶える、最期を生き延びる唯一の鎧。


 その仕組みは、【減速ディザレ】を応用した言能防御〈減速防御ディザレ〉と全く一緒だ。自らを害する攻撃の全てを減速させ、被弾を遅延させるか、被弾よりも先に対策を講じる。【もうおわりラグナロク】は、物理か否かを問わず、自らに触れた攻撃を全て、極限まで減速させる——即ち、停止させる。これを纏った人間を害するのは不可能だ。如何なる種類の攻撃であれ、彼らの身体に触れたが最後、それは時の檻に封じ込められるのだから。




「でも、貴方達、少々自惚うぬぼれてないかしら?」


「自惚れてなどいない!」


「じゃあ、なんであんな言能技スキルが私に通用すると思ったの?」


「なっ…あ、あれを防ぐのは不可能なのだ、!」


「えぇ、それだわ」


「何がだッ!?」


「あら、分からないの?」



 本当に? とでも問いたげな【忘却ヴィスムキ】は、さらりとその答えを言う。




「私、それが絶対防げないってこと、のよね」



 絶対無理だということを、忘れていたから、防げたと。




「な、ッ……」


「………」


「まだ気づかないの、〈加減則マイシスター〉? 貴方達のその言能技スキルは確かに強いわぁ、ね。だけどね、速度無限とか、完全停止とか、そんなの【無限インフィニ】も【極限インティハイド】も【絶対ケッシンリクネ】も、挙句の果てには【混沌カオス】ですら使ったわよ? 貴方達だけが使えるわけじゃないの。ネタが古いのよ、悪いけどねぇ。もうとっくに対策済みで、【無限インフィニ】を殺した後は一度も苦戦したことはないわ。あ、嘘ね。【混沌カオス】には苦戦したわ。すぐに【限局スタオフェ】が来たから、私は一足先に逃げたけど。だけど未だに【限局スタオフェ】だって【混沌カオス】を捕まえられてないし、タフよね、あいつも」



 一人でペラペラ話す【忘却ヴィスムキ】の言葉の、一体何割が〈加減則マイシスター〉の耳に入っていたことか。


 自らが誇る最高の言能技スキルが、見飽きられた、ごく普通のものだと知ったのだ。謂わば騎士が、自らの誇りを掛けて放った一閃を、ありきたりと切り捨てられるようなものだ。その衝撃は、彼女達の想像していたものの数倍も大きかった。



「さて、じゃあ次は私の番ね」



 そして、呆然自失と立ち尽くした〈加減則マイシスター〉に、【忘却ヴィスムキ】は冷酷に告げる。



「どうやって遊ぼうかしら?」



 少女達の目に移ったのは、蟻を踏み潰して遊ぶ幼子の表情と、寸分違わぬ笑顔だった。

「【もうおわりラグナロク】っ!」「…っ、【誰一人寄せ付けぬフィンブルヴェト】ォッ!!」



 覚悟を決めて、〈加減則マイシスター〉の二人は言能技スキルを叶える。もう二人は、一切の油断もしていなかった。明らかに格上、殺さなければ殺される。その境地に至って、【加速エクセレ】は、何もかもを置き去りにして【忘却ヴィスムキ】に肉薄した。



「遅いわぁ」


「なっ…!?」



 しかし、全ての速度を越え、止まった世界で動けるはずの少女の正拳突きは、【忘却ヴィスムキ】の右手に受け止められていた。



「ほら、転んじゃうわよ?」


「【絶対停止フリーズ】っ」



 【忘却ヴィスムキ】はそのまま、掴んだ【加速エクセレ】の右手を奥に引っ張り、彼女の勢いも使って後ろに吹き飛ばす。どうにか【減速ディザレ】が叶えた【絶対停止フリーズ】の言能技スキルが【加速エクセレ】の速度を殺し、時間を止めたが、元々が無限の速度だ。言能技スキルが叶え終わるよりも先に、少女は白濱城しらはまぎの、そして秋鳴あきなりの外まで行き、隣の大陸まで吹き飛ばされた。



「まずは貴女からね、【減速ディザレ】ちゃん?」


「…っ」



 これまで感じたこともないほどの生命の危機を感じた【減速ディザレ】は、周囲のもの全て、対象と出来るもの全てに【減速ディザレ】を叶える。【忘却ヴィスムキ】本人は勿論、空気、空間、時間、可能なものは全て【減速ディザレ】する。



「ごめんなさいね。私の身体、周りが止まったら止まらなきゃいけないことを忘れちゃったみたい。それと、止められたら止まんなきゃいけないこともね」



 それでも、その一切に構わず、【忘却ヴィスムキ】は接近してきた。世界の理の、全てを忘れて。


 躊躇いもなく伸ばされた綺麗な右手が、【減速ディザレ】の左肩に触れる。



「【忘却ヴィスムキ】、よ」



 その瞬間、少女は完全なる闇に落ちた。光は見えず、匂いはせず、空気は感じない。ただ耳から、否、耳なのかも実感出来ないどこかから、【忘却ヴィスムキ】の甘く優しい声が聞こえる。



「貴女の身体から、感じたことを脳に伝えなきゃいけないってことを忘れさせたわぁ。実験に使おうかと思ってたけど、貴女達姉妹、とっても綺麗なのよね。だから、飾っておいてあげる。外界のことを何も知れない少女達は、一体どんな動きを見せてくれるかしら。あはははっ、今からとっても楽しみだわっ!」



 【減速ディザレ】は、その唯一残された聴覚で、自分が叫んでいることを知った。心の声だと思っていたのは、口から漏れ出ていたらしい。


 だが、その聴覚もすぐにうしなう。



「それじゃあ、いっぱいいっぱい、狂わしく踊ってね。私の愛しい人形ディザレちゃん」



 その言葉が、【減速ディザレ】の言能を得た少女が、最後に感じた世界だった。

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