地点:白濱城 / 秋鳴 / イダス 時刻:107,942.3.17(Yin.R)・3044.5.5(Yan.R) 11:24 状態:通常

記録情報No.1


「み、みんな、逃げるよ! ほら、遊びはおしまい! 〈言能者げんのうしゃ〉が来たよ!」



 水色のエプロンをした保育園の保育士が、公園で遊ぶ幼子たちを駆り立てて、その場から遠くへと去っていく。その他の人間ヒューマン精霊フェアリー魔族デーモン達も、正に蜘蛛の子を散らすが如き勢いで、大通りから一目散に逃げだした。幾人か、若いやんちゃ者が勇気を振り絞ってその場に残ろうとしたが、近くを通り過ぎていく大人が残す怒声の剣幕に圧し負けて、やはりその場から立ち去っていく。


「命が惜しけりゃ逃げな、若造! 数十年無かった〈言能者〉の襲来だよ! あたいら普通の人型族ヒューマノイドじゃ、軽く殺されるだけさ!」


「人を歩く災厄呼ばわりしないで欲しいんだけどねぇ…あ、人じゃないんだった、私」



 そして、人っ子一人居ない大通りに、一人の女が立っていた。立ち並ぶビルとビルの間を涼しい風が吹き抜け、何かを呟いた女を撫でていく。


 不思議な女だった。すらりと背が高く、整った顔立ちをしている。奇抜な髪形をしているわけでも、奇妙なものを持っているわけでもない。精々服装で変なのは、春先でまだ涼しいとはいえ、分厚い黒のスタンドコートを、襟まで立てて着込んでいることぐらいか。


 異様なのは、その目と、髪だった。何の力みもなく開かれた虹彩と、肩を越えて伸ばされた綺麗な長髪は、


 どちらも、雪に染まったような純白だった。


 白髪しらがとは、どうにも一線を画しているように見える。それは、老い故の白髪ではなく、若さ故の純白に見えた。その白は神々しく、自ら光を放っているような印象すら与える。その奇妙な白き虹彩も、不思議と恐ろしさを抱かせはしない。白い虹彩は白目よりも白く、白を越える白で以てその輪郭を保っていた。


 目と髪が僅かに光っているように見える奇妙な女は、ゆったりと人気のない大通りを歩いていく。


 すると、先ほどまで人のいなかった大通りに、再び人が満ち始めた。しかしそれは日常での大通りの覇者たる無秩序な雑踏ではなく、整然とした動きで広がっていく秩序だった。それは正に、無秩序の相応しい大通りに現れた非日常に他ならなかった。


 人型族ヒューマノイドは大通りを、数多の窓を、ビルの屋上を制し、静かに、しかし素早く、女を包囲する。


 手に持つものは様々だ。肌色の肌を持ち、最も一般的な体格をした人型族ヒューマノイドは、両手で自動小銃を構え、その矛先を向けている。やや紫がかった黒い肌の下に隆々に膨れ上がる体躯を隠す人型族ヒューマノイドは、斧や大剣などの武器を片手で軽々持っている。少々青味がかった白い肌を華奢で細い体の上に纏う人型族ヒューマノイドは、両手を胸の前で組み、静かに待機している。


 数多くの人型族ヒューマノイドに包囲されて進む先がなくなった女は、面倒そうな顔をしてその場で足を止める。それに合わせて、人型族ヒューマノイドの集団から一人の男が進み出てきた。



「私は人型族連合防衛軍ヒューマノイド・ディフェンスフォース准将、白濱城しらはまぎ駐在連隊指揮官、人霊ヒューリー赤嶺せきれい・ララ・シノメだ。秋鳴あきなり人型族自治区ヒューマノイド・エリアの入区法律、及び人型族連合ヒューマノイド・ユニオンの全世界条約に基づき、貴様の白濱城しらはまぎからの退出を命ずる。もし逆らうようであれば、我々は攻撃を加え、最悪の場合死に至らしめることを厭わないことを宣言する。拒否すればそれ以降の投降は一切認めず、また反応がない場合もまた拒否したものと認める。考える時間を十秒与える。それまでの間に答えを言うと言い、言能者」


「私、言能者って言われるの、嫌いなのよねぇ。ちゃんと名前で呼んで下さる?」


「貴様に名前などないだろう、【忘却ヴィスムキ】」


「いいえ、違うわ。それは私の言能げんのうの名前。私の名前、私の二つ名はご存じでしょう?」


「……〈忘却故の超越者トランスセンデンス〉、め」


「それ、それよ、私の名前はっ! はぁああ、私、それ、大好きよ……」



 吐き捨てるかのように言ったその名前を聞いて、感極まったかのように女は叫び、うっとりと虚空を見つめる。まるで隙しかないが、防衛軍の誰一人として、攻撃を加えようとする気配はない。そこには、命令が下っていない以上の何かがあるようにも見えた。



「十秒経った。答えを言え」


「あはぁぁあぁ…あ、なんの答えだったかしら?」


「とぼけるな!! ここから退出しろと命じたはずだ。答えないのなら拒否と見做すが?」


「あぁ、それでいいわよ。だって私、一昨日始めた研究のために、」



 女性が好ましい男性に微笑みかけるのと全く同じ笑みで、その女は言う。




人型族ヒューマノイドんだもの」



 命を、寄越せと。




「攻撃せよ!」



 赤嶺准将は躊躇しなかった。女に再度の確認も取らず、大声でそう命令する。


 黒肌の人型族ヒューマノイド——魔族デーモンは武器を構え、力を増幅するべく体内で氣をおこす。白肌の人型族ヒューマノイド——精霊フェアリーは両手を掲げ、保有する魔力で頭上に砲撃魔術の術式を展開する。肌色の人型族ヒューマノイド——人間ヒューマンは、両手に構えた小銃の照準を合わせ、躊躇わず引き金を引く。


 数えきれない数の銃弾が、火薬の爆発によって推力を得、女に殺到する。その数、二千は下るまい。それらが空を切って進む間に、魔族デーモン精霊フェアリーの攻撃用意が整った。




「【忘却ヴィスムキ】」




 そして、女の一言が、世界に響いた。



 銃弾と、魔族の身体と、術式が光に包まれる。


 光が消えた時、銃弾は空中で静止し、体内の氣は放出され、描かれた術式は霧散していた。




「【忘却ヴィスムキ】」




 さらに、もう一言。



 人型族ヒューマノイドの軍勢が、全て光に包まれる。


 女を囲っていた、五千を超える人型族ヒューマノイドが、突然喉に手を当て、陸揚げされた魚よろしく、無様に口を開け閉めする。


 そして、その全てが地に崩れた。




 たった二回の言葉が、全ての攻撃を防ぎ、全ての軍勢を殺した。




 結局、大通りに立っているのは、また女だけとなった。




「全く、防衛軍の人型族ヒューマノイド達は、いつになったら学習するんでしょうね」



 先程と何ら変わらない、出来の悪い友人を憐れむような声で、女は言う。


 それから口調は、クイズの答えの分からない友達に答えを教えるような、嬉々としたものに変わった。



「銃弾に人型族ヒューマノイドに武器や氣、魔術の使い方を忘れさせて」


「そして肺に、れば」


「幾ら増えようともたかが人型族ヒューマノイド、私の敵じゃないのにねぇ」



 とても楽しそうに、自らに酔いしれて、女の言葉が窒息死体だらけの大通りに響く。



「だって私は、〈忘却故の超越者トランスセンデンス〉。世界の理を忘れた私が、どうして世界の理に縛られるの?」



「〈忘却故の超越者〉が私。【忘却ヴィスムキ】を言能とする、この世の覇者たる超越者トランスセンデンスなんですもの!」



 女は言う。狂気じみたことを、さも当たり前のように。




 何故なら、それは彼女にとって、当たり前なのだから。





 言能げんのう


 それは、魔術の全て、技術の全てを超越し、世界の理すらをも捻じ曲げる、絶対の言葉。


 一言、それも基本は二字熟語に限定こそされるものの、言葉の数は無限に等しい。言うだけで力を持つそれは、如何なる兵器も、如何なる魔術も成す術与えず蹂躙する。そして、その一言は、使い方を工夫すれば、時に言葉の意味以上の力を持つ。


 【忘却ヴィスムキ】は正に、その力を極めた言能者せいぶつ——人型族ならざるものげんのうしゃだった。

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