第2話 殿下そろそろ…②

 婚約者が消えた方角をずっと見つめているシリウス。

 その様子にひとつも気付かないマリーメイ。


「シリウス様ぁ、あの人の代わりではないですけどぉ、私と一緒……」


 急に静かになったシリウスを意図的に上目遣いで見上げ、マリーメイは甘えた声音で提案しようとする。


「ああ…マリーメイ嬢、申し訳ない。実は執務が溜まっているのだよ。

 先程から何度か呼び出しを受けていたのだが、婚約者との時間を作る方を優先させた。だが、婚約者が帰ったとなれば、すぐにでも取りかからねば。

 そうだ、そこの先の庭園の花が見頃らしい。帰る前に見ていくといい。

 それでは、失礼する。」


 シリウスは完璧に整えた対外用の笑みを秀麗な顔に浮かべると、未だにシリウスの右腕に令嬢らしからぬ強い力で縋り付いて豊かな胸を押し付けたままの令嬢をさり気ない仕草を装いつつも強引に引き剥がした。


(一旦着替えるとするか。すぐに洗うよう指示して消毒して貰おう。ああ、妙な肉の感触が残ってるのが気持ち悪い……。)


 そこに男のロマンなどない。ただ気持ちの悪い肉の感触だけが右腕に残っていると感じていた。


「承知しました……シリウス様。つ、次はマリーメイとぜぇったいお茶して下さいねっ?」


 己の提案が通らない事を不思議に思いながら、不満げに頬を膨らませ桃色の唇を尖らす。

 幼子のようなあどけない仕草、ほんのり涙目になっている大きな瞳。

 それの効果を良く知った上での上目遣い。

 砂糖菓子のように酷く甘ったるい声。


 シリウスは知っている。


 令嬢として教育を受けている筈だというのに、何も知らぬ振りをして距離を詰め、不敬罪スレスレを上手く誤魔化して、愛らしさで全て許されるだろう事に重きをおく特殊な令嬢たち。


 男をその気にさせて篭絡するべくあどけない色気と愛らしさ。

 そんな仕草や態度のすべて、己を籠絡する為に造られた姿であるということを。

 色眼鏡でなく冷静に見ればすぐにわかる、天然物であるハズがない。


 愛らしい容姿に華奢でありながら豊かな胸。

 小鳥の囀るような甘い声、全てが庇護欲をそそると令息達が持て囃していた。

 令息達に人気がある令嬢の中の一人である、マリーメイ嬢。


(諜報に欲しい人材だな)


 マリーメイにとって残念な事に、シリウスは駒として使えそうだなという目線しか持っていない。


 先程の甘ったるい遣り取りのいくつかは、実はフィーリアに少しでも嫉妬して欲しいが為の愚かな振る舞いなだけ。


 シリウス殿下は、皇子としてなら超一級品の資質と実力を持つが、惚れた相手に対するコミニュケーション能力はポンコツもいい所であった。


 好きな相手に嫉妬させる為だけに他の女と甘い遣り取りの数々は、好きな相手が嫉妬して互いの距離が縮むというよりも、更に遠ざける行為だという事。

 言葉遊びだけで身体の浮気はしていないからセーフと思っているのかもしれないが、そんな自分だけに都合がいい事を相手が考えている訳がない。


 シリウス殿下は少し想像してみるといい。

 フィーリア様がシリウス殿下に嫉妬させたいが為だったとしても、他の令息と先程のような甘い遣り取りを目の前でしていたらどう感じるかを。


 だから拗れるのだ。


 シリウス殿下の護衛騎士として一定の距離を保ちながら常に付き従っているカミルは拗れまくっている二人の関係に頭痛を覚えながらそう思うのだった。





 愛らしい顔立ちに豊満な胸、しかし身分は手を出しやすい子爵令嬢。

 高位貴族令嬢のように近寄りがたい存在ではない為、下位貴族令息は声を掛けやすく、高位貴族令息にはひと時の遊び相手として選ばれ易い。


 本人は下位貴族や商会の跡継ぎの妻等に収まる気は更々なく、上昇思考たっぷりだ。

 馴れ馴れしく話しかけて来る下位貴族令息は、最初から相手にしていない。

 自分を美しく飾る物は有難く貰うけど、それだけ。


 私の本命は高位貴族の妻の座。

 そう思ってずっと過ごしてきた。


 けれど、最近気づいたの。私ならもっと上を狙えるんじゃないかって。

 高位貴族令息と親しくしながら、そいつらを足掛かりに実はシリウスが本命である。


 マリーメイの残念な頭では理解できないかもしれないが、狙われたシリウスは露程も興味を抱いていない。

 ひと時の遊び相手の対象にすらしていない。


 先程の甘い言葉は、婚約者であるフィーリアが居る時だけしか囁いていない。

 しかし、囁かれた対象はそんな事を知る筈もなく―――


 皇太子妃の座が私のモノになると浮き足立っているのだった。

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