第三十八話 聖女執務室にて

教会の一室、西窓ののあるこの部屋は薄手の遮光カーテンが風にゆらゆらと揺られている。南からやってくるであろうアレキスの姿をこの窓をそのぞいて見ることは不可能。故に待つことしかできないへウルアは、公務室の椅子に座ったまま肘をついた腕で首を支え、ぼんやりと虚空を眺めた。

部屋には振り子時計のカチッ、カチッという音が一定のリズムで流れ、ただ時間だけが流れている。


クロエから検問を超えられないと連絡があったのが、二十分ほど前。その直後にクロエの首飾り越しにアレキスの声が聞こえたので、アレキスはクロエから既に人材を受け取り、フロイズの中に入っているということになる。何もなければもうじきアレキスがこの部屋に入ってくるはずだ。


「うまくことが運んでいればの話ですが…」


へウルアは表情を変えずに溜息を漏らす。

アレキスは正規の手段で異端達をフロイズに入れたわけではない。だからこのままでは当然、アレキスが捕まって、連れてきた者たちはあえなく牢屋行きという構図が出来上がってしまう。

なんとも綱渡りな計画に頭を抱えるへウルアの8度目の溜息は本人も気づかぬに合間に、荒くれ者の襲来を告げる轟雷にかき消された。



***


轟雷を起こした主は教会の屋根の上に降りたつと、抱えていた二人をその場にほおる。


「おいしゃんとしろ!ここがどこかわかってんのか?」


アレキスは未だに白目を剥いて倒れている二人の胸倉を掴んで揺する。すると先にアーデンが息を吹き返し、アレキスがアーデンを引き戻したのに合わせて彼の眉間に頭突きを入れる。

アレキスは屋根の上を後ろ向きに一回転すると、受け身を取って飛び起きる。その額はこすれ、わずかに血が滲みだしていた。


「!?何すんだてめぇ!」

「何すんだはこっちのセリフだ馬鹿!何が楽しくて全身痺れた状態で聖都の上空に飛ばされねえといけねえんだよ!」


二人が口元をゆがめて睨みあっていると、後からフロスタリアがよろよろと立膝になる。


「二人とも落ち着いて、騒ぐと下の連中にばれるぞ。それでアーデン、今は抑えろ。

俺達がどっちみち正面から聖都に入るのは無理があった。それにあの方法なら、途中で邪魔が入ったところで関係ない。俺達をここまで連れてくるだけなら悪くない策だ」



何か言いたげなアーデンはフロスタリアの言葉を聞くとやや不満げに押し黙る。対照的に、アレキスは鼻を高く整えてフロスタリアの言葉に聞き入る。


「こっちの水色は中々察しがいいじゃないか。水色を見習えよ炭」


アレキスは髪色で二人を呼び分ける。しかし、普通に水色と呼ばれているフロスタリアに比べ、黒髪のアーデンは炭呼ばわりで両者の好感に差が見て取れた。


「よーし。じゃあお前ら耳の穴かっぽじってよく聞きな。お前らが立ってる屋根の下が聖女様の執務室だ。予定では窓が開いててそこから入れる。でもってお前らは隣の親衛隊連中のところに隠れてな」


ここでアーデンが、「なんで炭だ」と言ってるのを聞き流し、アレキスは屋根から降りるとそのまま器用に窓枠から室内に入っていく。アーデンは二人に続いて窓から部屋に入った。

部屋には主のための白いテーブルクロスの敷かれた机と赤色のレザーチェア、その奥には丈の低いテーブルを囲むように五人分のソファーが設置されている。本棚になっている左側の壁には隅に扉が設置されており、その前でアレキスとアーデンの知らない二人の人間が会話をしているのが見えた。

一人はクロエと同じ制服の小柄な女性、そしてもう一人は白と青のドレスに身を包んだ長髪の女性だった。


「それでは手筈通りに、彼らの身柄はあなたから合図があるまで我々が預かります。では、教皇への説明は頼みましたよアレキス」


青い目の女性は、「へいへい」といってアレキスが部屋から出ていくを確認すると、二人の方を見た。


「お初にお目に掛かります。サイナム、クロイツさん。まずはこちらに、ここはお客様の多い部屋ですので」


二人はドアの先を二つまたいだ先の部屋へと案内された。三つほど簡素なベッドが設置されている部屋で、先ほどの二つと比べて豪華な装飾も部屋の広さもなかった。


「ここは親衛隊が使っている仮眠室です。お二人は現在、無断で聖都に侵入した異端と背信者ということになっておりますので、私から指示があるまで絶対にここから出ないでください」


「もし、勝手に出た場合は?」


「見つかり次第、地下牢に投獄。もしくはその場で切り捨てられます」


ひえ~。という緊張感のない声がアーデンの口から漏れる。


「ほかに何か質問はありますか?」


女性の問いかけにアーデンは右手を上げて答える。


「俺達の他にもう一人異端の子が聖都に入る予定だったんだが、何か知らないか?

エルンっていうやつなんだが」


アーデンの問に女性は少し難しい顔をする。それは”知らない”という困惑が混じるというより、いうべきか悩んでいるという顔だった。


「いえ、それについては何も。アレキスが運んできていないなら、今はクロエと一緒にいるのではないですか?」


その表情を見て、黙って聞いていたフロスタリアが口を開く。


「メルキュアに似ず、嘘が苦手な方ですね。スキュラス殿。知っていると顔にかいてありますよ」


スキュラスは苦虫を嚙み潰したような顔でフロスタリアを見る。しかしその注意はすぐに、舌打ちを抑えなかったアーデンへ向く。


「何か知っているなら言ってくれよ」


「…ではお話しても、ここから勝手に出ないと誓っていただけますか?」


「…そんなもん、内容によるに決まってんだろ」



睨みつけるアーデンに、スキュラスは困ったように頭を抱え、溜息をした。


「エルン・ラフレシアは、現在聖都内で行方不明です。聖都の北部区域で異端が確認されていますが、本人かどうかはわかっていません」



スキュラスの言葉にアーデンは無言で立ち上がる。アーデンはドアまで移動しようしたが、スキュラスがドアの前で立ちふさがる。


「…どいてくれ」

「どきません。私はあなたの意思を汲んで情報を開示しました。情報を受け取った以上、今度はこちらの意図を汲んでください」

「頼むどいてくれ」



声を荒げる。アーデンの頬をスキュラスがひっぱたく。ピチーンという音とともに真横を向いたアーデンの頬にはくっきりと赤い手形がついている。


「癇癪を起すのはやめてください。ここであなたが身勝手に行動して教皇派に捕まれば、今までのヘウルア様の努力が無駄になってしまうんですよ!?」

「…かんけーねーだろそんなこと。カンナスを出たあの時から、俺の優先順位は決まってんだよ」


アーデンは右半身に炎を滾らせながらいう。スキュラスは鞘に手を掛けると、彼女の周囲に水泡が沸き上がる。

一触即発といった空気が仮眠室に流れるが、ドアのノックと、聞こえてきた透き通るような声によって二人は戦意を削がれ、ドア越しの声に耳を傾けた。


「スキュラス、彼とは私が話をした方がいいと思うわ。少しの間、部屋の見張りをしてもらえるかしら」


そう言ってヘウルアは仮眠室のドアを開ける。スキュラスは申し訳なさそうに頭を下げる。


「お手を煩わせてしまい申し訳ありませんヘウルア様。私の判断ミスで、公開すべきでない情報を伝えてしまいました」


しかし、ヘウルアは首を横に振ると、スキュラスの方に手を掛けて優しく語り掛ける。


「正直なこと、誠実なところはあなたの美点よ。それに、彼らとは一度きちんと話をしたかったの」


ヘウルアがスキュラスの肩から手を離すと、スキュラスは顔を上げてヘウルアへ道を譲る。


「では、私は執務室で待機していますので御用でしたらお呼びください。

それとフロスタリア殿、我々の前で曾祖叔母(曾祖父母の妹)の話はやめてください。あの方は、一族の禁忌ですので…」


「…わかりました。しかし私から言わせれば、メルキュアとの交友は早いうちに取り戻しておいた方が良いと思いますよ」


フロスタリアの言葉に、スキュラスは弱った面持ちを返して部屋を後にする。


「さて、立っていないで座ってください。せっかくベッドが三つあるのですから、すべて使わないと損というものです。」


ドアが閉まった後に、ヘウルアは両手を合わせるとにこやかにそういった。

ついさっきまで殺気だっていたアーデンは自分から嘘のように邪気が払われていくように感じ、言われるがままに一番手前のベッドをヘウルアに明け渡す。


ヘウルアはドアに最も近いベッドに腰掛けると二人を見て話し始める。


「まずはこうして二人の英雄に相まみえたことをうれしく思います。私はヘウルア・アンネローズ。聖都フロイズの聖女にして、あなた方をここに呼び寄せた張本人です」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る