第三十ニ話 門出 

「もう、、、無理」


枯れ際の草花のようなシワシワの声で、「ボフッ!」という音とともにクロエがベットに倒れ込む。そして死んだようにうつ伏せで寝るクロエだが、ここは彼女の自室というわけではない。


部屋の主であるセプトラは、ドアが開いたときに一瞥しただけで、クロエに視線を向けずに机上の地図、その上に形成されたティージ全体の立体投影図を見つめ続ける。

投影図には、立ち並ぶ建物群と巡回する騎士や買い物をする市民が、色付きの点で示される。


セプトラは投影図を人差し指と中指で上にフリックする。

すると、地上部分の立体が消失し四角い立体が下から出現した。面白みのないそれには格子状に等間隔で赤い点が配置され、数個の青い点が赤い点の間を移動していく。


セプトラは赤い点の数を数え終わると、投影図を消して短く溜息をつき、椅子へともたれかかる。

そして、ぬるくなった紅茶に手を伸ばすと初めて自分のベットの方に目を向けた。



「貴方にも個室を用意しているでしょう?そんな風にしていないで、自室で休んだらいかがかしら」


「ダメだ。ウンディーヌ殿との約束がある、部屋に戻ったら寝てしまうから待ち合わせをここにしたんだ。」

「…その采配は正しいけれど、私のベットをうつ伏せで使うならきちんと口を閉じて頂戴?」


ズズッ!っというすすり声がベットから聞こえる。この瞬間、使用人の仕事がまた一つ増えたことは確実だ。

セプトラは机に肘を立てると額を抑えて溜息をつく。これが境界守護を担う辺境伯の娘で、聖女の親衛隊隊長なのだから世界はさぞかし平和なのだろう。


「ところで、ティージにいる間にしておかないといけないことは終わりそうなの?」

「アーデンの件さえ済めば後は問題ない」



クロエは体を起こすと頭を横に振る。


「でもフロスタリアも連れていくんでしょう?ウォーレンハルトに勝てない彼まで連れていく必要があるかしら?」

「背信者と異端では、聖都における意味合いが違うんだよ。背信者は身内の恥だが、あいつらにとって異端は部外者だ。それにヘウルアの望み通りに事を運ぶなら”異端が堂々と正門から入った”って事実は絶対に必要になる」



真面目な顔で語るクロエの言葉をセプトラは茶菓子と一緒に飲み込む。


「で。実際のところどうなの?」

「ちょくちょく見るんだろう?お前の方が詳しいんじゃないのか?」



質問を返してきたクロエを見返すと、セプトラはポットから茶をつぎ足し角砂糖を入れる。


「そんなにしっかり見てるわけじゃないけど、同調率は高くないと思うわ。

もしも彼が同律調和を使ったんだとしたら、私がなにか感じるはずだもの」



それを聞いて、クロエは再びベットに倒れこむ。



「あ~!私がもう三日早くついてればな~!面白そうなのがいたのに~」



クロエはベッドの上でジタバタとする。普通の人間ならともかく、親衛隊隊長のそれにマットレスがギシギシと悲鳴を上げ、部屋全体が揺れる。


「ねぇ、ちょっと!」


そうセプトラが言うと同時にドアが開く。騎士隊の制服に身を包んだ金髪の少女は部屋の中を見るなり溜息をつく。


「時間と場所はあっているはずじゃが、相手は隊長ではなく怪力娘だったかのう?」

「あはは、ウンディーヌ殿。ご無沙汰しております…」



醜態をメルキュアに見られたクロエは恥ずかしそうにベッドから降りる。

クロエは両手をこすり合わせるとすり足でメルキュアに近づいた。



「それで、アーデンの方は…」

「あぁ、あのわっぱな。」


メルキュアは少し返答に悩むように首をひねる。だが、あまり悩むこともなく次の言葉を発した。



「別に連れて行ってもよいのではないか?」



セプトラの見立ての違うことにクロエは目を丸くする。


「その様子では、替えの駒は見つからんかったのじゃろう?

 まだ死合しあいには刻限がある故。それだけあればあれがまぐれを起こすこともあり得よう」

「それでは、彼はウォーレンハルトに敵う可能性があるということですか?」

「いや?それはまだわからん。ただ…」

「ただ?」



「あれがということは分かったわ。」


「ほお…」という表情のセプトラと対照的に、クロエはメルキュアの言葉に首をかしげ冷や汗をかいている。


「あの、おっしゃっている意味が…」



メルキュアは困惑するクロエの顔を見て得意げな笑みを浮かべ、


わらわは疲れたので戻るぞ。」


といって話を打ち切るように踵を返し、ドアのぶに手を掛ける。



「ああ、そうじゃ、あのわっぱを連れていくなら、妹の方も連れていくとよい。あれもあれで、存外に…。

ではな二人とも」

「はい、に給仕を送りますのでお好きな時間にお召し上がりください」



メルキュアはセプトラに含み笑いの相槌で答えるとそそくさと部屋を出ていった。



***



数日後、アーデンは荷物をまとめ、隊舎前の馬車に乗り込んだ。

そこには、聖都からクロエについてきた側付きに加えて、なぜかエルンとリリアが荷物とともに乗り込んでいる。


「おい、なんでお前らここにいるんだ?」

「レーシンが崩壊して私の担当がなくなったから、役目のなくなった巫女を聖都に連れ戻すのよ。任期の残ってる巫女を遊ばせておけるほど、今の教会は余裕がないのよ」



気軽に話題を振ったの間違いだったのかもしれない。そうアーデンが思えるほどに、リリアの答えが重かった。


「いや、悪かった」

「別にあなたが謝ることじゃないわ」


「あの…私はですね!ブーゲンビリア様にカミリア様の護衛を仰せつかってですね!」


重くなってしまった空気をエルンが立て直そうとする。ブーゲンビリアはセプトラの家名で、本名は「セプトラ・ロイス・ブーゲンビリア」らしい。しかし、家名を嫌っているセプトラが「名前で呼べ」と言っているので、騎士隊にあってその響きを聞く機会はそうない。しかし、目上を名前呼びするのが気が引けるのか、エルンは本人のいないときに限って、セプトラを家名で呼ぶ。



「ウンディーネ様からお聞きしたんですが、聖都では今回の事件の黒幕についての正体について、調査が進んでるそうですよ?

マンジュさんの手がかりが何か見つかるといいですね!」



張り切って拳を握るエルンだが、アーデンがこの馬車に乗っている理由をまだ聞かされていないらしい。アーデンは少し迷ったがこのまま黙っておくことにした。


彼女が楽しそうに旅をするのはこれが初めてだ。だから今はその気持ちを邪魔したくはなかったのだ。

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