陥落都市編
第八話 陥落都市レーシン その1
「ジャック、さっさと仕事に取りかかったらどうだい」
ガラティアはカウンターの前を右往左往しているジャックを横目で見ながらグラスを拭いている。
昨日はあの話し合いのあと、手早く食事を済ませ、三人は早々に床についた。その後朝早くレーシンに向けて出発したので、今店に残っているはガラティアとジャックだけだ。
「二人が心配なら、なおさら早く行動したほうがいいんじゃない?」
「二人、アーデンが心配なもんか。昨日アーデンは行った通りあの三人なら何かあっても帰ってこれるだろう。僕が心配してるのはエルンだけだよ。」
「ん?もしかして男二人と行かせたことを気にしてるのかい?」
「昨日は酔っ払ってて気にしてなかったけど、アーデンがあんなにキザだと思ってなかったよ!」
一連のやり取りに義兄弟の情以外の何も感じなかったガラティアは思わず笑みをこぼす。過保護に接してきた妹に彼氏ができるかもしれない、その予感に絶望を隠しきれない兄の姿を見ると、ガラティアはより面白そうな方へ話しを盛る。
「ははっ!確かになかなかいい雰囲気だったねあの二人。なんだいいつもはあんな感じじゃないのかい?」
「カンナスにいたときはそんな雰囲気欠片もなかったのに!あんな、あんな!うっぐぅぅぅぁぁぁ~!!!!」
ジャックは頭を抱えると言葉にならない悲鳴を上げながらしゃがみ込む。
「大事な話し合いの前にあんなに飲むからだよ。言っとくけど私は何度も止めたからね。」
へたれ込むジャックはヨロヨロと立ち上がるとガレージの方向へフラフラと歩いていく。何かをボソボソと呟いているがカウンターにいるガラティアにはよく聞き取れなかった。
穏やかな午前中の平原の中を、砂埃を上げて一台の馬車が駆け抜けていく、日の出とともにフュリスを出た三人だったが、今まさに太陽は昇りきり、ここからは落ちていく一方だ。加護の境界面は夜になればまた押し込まれてしまうし、魔物の活動が活発になるため、日が落ちる前にレーシンに入らなければならない。
荷台に座るソーンは前に座る二人に尋ねる。
「今のうちに確認しておきたいのですが、お二人はどこまで助けるおつもりですか?」
逆に言えば、巫女のためにどこからを切り捨てる覚悟があるのかという質問だ。アーデンは町の方向を見ながらしっかりとした口調で二人に伝える。
「闇の発生源を叩いて全員救い出す。それが出来なければ巫女だけだ。」
この世界において、巫女を町から救い出すというのは重大な問題をはらんでいる。エルンの友達がただの一般人であれば、強行突破で町に侵入し、本人や家族をフュリスに連れ帰ればそれで解決する。しかし、今まさに闇によって押しつぶされんとするこの町から、防衛の要である巫女を引き抜くということは、残りの住民全員を見殺しにすることに他ならない。だからこそ、彼らには百を救うか一を救うか、天と地ほども差のある選択肢のどちらかを選ぶしかなかった。
「馬車の空きはあと4,5人あるが、下手に救出を優先すれば身動きが取れなくなる。」
万が一の離脱のことを考えた少数精鋭ゆえ、彼らが保護してフュリスに連れて帰れる人数はかなり少ない。無理に多くを助けようとすれば助けられる命が助けられなくなる。
「申し訳ありません。私の我儘に付き合っていただいて…。」
「くぅ~ん」
エルンの隣に座るソーンの犬、クロが悲しげな鳴き声を上げてエルンを見上げる。御者席で手綱を握るエルンの表情には二人から見えない。だが、責任感の強い彼女が友人の為に他のすべてを犠牲にできるほど自分勝手でも図太い神経を持っているわけではないことを馴染みのアーデンは知っている。車内に流れた重い空気を吹き飛ばすために、アーデンは立ち上がりながら語る。
「最悪の場合は、の話だ。うまく行けばみんな助かるさ。英雄らしくハッピーエンドでいこうぜ。」
「異端の二文字さえなければカッコいいんですがねー。」
「何言ってる、それが出来たら文字通り英雄だろう。」
アーデンが口角を上げながらそういうと、そうですね。とソーンが微笑を返し、クロは尻尾を振りながら鳴き声を上げる。二人と一匹のやり取りに、前からふふっという笑い声が聞え、車内は朝の寒い空気がようやく抜けきり、昼の和やかな空気に入れ替わる。
それから数刻過ぎたとき、ようやく、レーシンの先端が御者席にいたソーンの目に映った。
「やはり、まだ日が高いというのに大分押し込まれていますね。」
だんだんと見えてくるレーシンの全貌はドーム状の闇にすっぽりと覆われていて、中の様子を鑑みることができない。中で休んでいた二人も幕を開けて町の様子を確認する。
「異様な風景だな。普段境界面に闇が張り付くって言っても側面に薄い壁ができる程度だろうに、教会の避雷針すら見えないとはな。」
「どう見ても、自然発生した闇だけじゃないですよね。」
「ええ、あれはどう見ても内・部・で・闇・が・発・生・しています。内部の闇が加護に押しのけられ、境界面に溜まってきている。そうなると、テュールの騎士が派遣された理由は、ただ魔物を祓うだけではないのかもしれません。」
エルンの想像にソーンはさらなる仮説を結び付ける。彼が顎に手を当て考え込んでいるうちに、レーシンの壁門が見えてきた。闇の衝撃のせいか、壁門はあちこちが崩れており、人二人分の隙間が開いている。まだ闇に接触していないが、町の外縁部にはついていることになる。城壁を初めて見るアーデンがソーンに疑問を飛ばす。
「なんでのこの町、城壁なんてあるんだ。」
「この町は以前も魔物の襲撃を受けたことがありまして、その防衛策として城壁が作られているんです。中にも衛士や騎士が在中しているはずなんですが、この様子だと防ぎきれていないのでしょうね。…っ!」
クロの毛並みを撫でていたエルンが、ふとした違和感から荷台の水ボトルに目をやると勝手に転がっていくのが見えた、次の瞬間荷台が馬車が丸ごと浮き上がり、そこで初めて荷車の下に何者かがあることに三人は気づいた。
アーデンは下からの圧力にへばるソーンの脇に抱えて荷台から飛び降りると馬と荷台の連結部を大剣で切り落とす。空中に放り出された二頭の馬はおぼろげながら体勢を立て直し、荷馬車から離れていく。それを見たアーデンはほっと息をつく、ここで彼らにリタイアされては最悪の事態になっても巫女を連れて逃げることが出来なくなってしまう。荷台の後方から飛び降りエルンがクロとともにこちらに駆け寄ってくる。
「お二人とも、大丈夫ですか!」
「ああ、俺は問題ない、ソーン、大丈夫か。」
「ええ、ケガはありません。クロ、大丈夫かい。」
「ワンッ!」
凛々しく鳴き声を上げるとクロの周りには影が集まり始める、彼もまたジーナと同じく、魔物の生成源として機能する。しかし、ジーナのときのように本体の影に魔物が生成されるのではなく、クロ本体に闇がまとわりつき、大きさを増していく。闇の中でクロが遠吠えを行うと、そこには5メートルを超える漆黒の狼がそびえたっていた。
彼が荷馬車の方向に目をやると巨大なカニが地面から這い上がっているのが見えた。その動きは重苦しいが一歩進むごとに地面が震え、圧倒的な重量感を醸し出している。
クロはその巨体に飛び込むと前脚を頭部に叩き込むが8本の脚で衝撃を受けきり、すかさずハサミで反撃を取る。クロはハサミの横薙ぎを後方へのステップで回避し、二体は間合い手前で睨みあいに入った。アーデン、エルンが武器を構えるとそれをソーンが静止する。
「この魔物の相手は私がします。あなた達は早く壁内へ、中の現状把握が先です。」
「こいつが中に入ったら、それこそ大変なことになるぞ。」
「いいえ、こいつは動きが遅いすぐに壁内に侵入することはないでしょう。それにあのタフネス、恐らくは時間稼ぎが目的でしょう。南部からの侵入者を拒むために、あらかじめここに埋まっていたと考えるべきです。」
その時、突如としてガラスの割れるような音が周囲に響き渡る。三人が町の方向を見上げると境界面に次々にヒビが入っていき内部に闇が浸透していくのが見えた。ここで手を込まていていてはすべてが終わってしまうと二人が理解するのに時間はかからなかった。
「了解しました。ソーンさん、ご武運を。」
エルンが指笛を鳴らすと散っていた馬たちが帰ってくる。二人が馬にまたがるとアーデンは気を付けろよ、とだけ言い残し壁門を目指す。
クロとカニの魔物は先ほどから一進一退の攻防を続けている。クロが相手を爪で引き裂こうとするが、堅牢な甲殻には阻まれ、ハサミでの一撃を回避するために距離を取る互いにダメージを様子がなく、相手の防御を上回ることが出来なければこのままジリ貧となってしまうだろう。ソーン大きく息を吸い込み指笛を吹く、指笛はエルンのそれより低く、遠くの空まで響き渡る。上空から炎を纏った流星がカニの魔物めがけて、突っ込んだ。流星のごとき突進を繰り出した鷹の魔物は「ガルダ」、この世界で最も高高度を飛翔する魔物であり、最速の称号を持つ。
「火力なら君の出番だよ、オーリー。」
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