第24話 お早いお帰りで

 玄関に現れたのは兄さんだった。

 イリアさんが弾むような声で出迎える。


「早かったですね」

「ああ、くだらない報告仕事だけだったからな。

 リスタは?」

「先ほどまで御相手させて頂いておりました。

 お話に聞いていたとおり、お母様似の美形でずっとドキドキしてしまいましたよ」

「コイツめっ」


 聞き耳を立てているだけなので何をしているのか分からないがイチャイチャしていることだけは分かる。

 うらやましい。

 なのにどうしてそんな大切な人をぞんざいに捨てられるんだ。


 ギュッと拳を握り込んで苛立ちを噛み殺していると、


『……あのぉ』

「!?」


 壁をすり抜けて僕の顔のすぐ横にセシリアが顔を出してきた。


「セッ…………かえってきたのか」

『……もう怒ってない?』


 悪戯をした子どもみたいな顔というのだろうか。

 僕の機嫌を窺っているようなセシリアの顔を見て反省する。


「怒ってない……というよりゴメン。

 もっとちゃんと相談するべきだった。

 あなたが救ってくれた命なのに、自分勝手な復讐に使おうとするなんて不義理だよな」


 僕がそういうとセシリアは首を横に振る。


『リスタの生き方はリスタ自身で決めていいの。

 私はリスタに何かして欲しくて助けたわけじゃないし、あなたが幸せになってくれればそれで十分。

 その上で復讐はあなたのためにならないと思ってる』

「元よりセシリアが応援してくれるなんて思ってないよ。

 一旦置いておこう。この話は。

 ちょっとそれどころじゃないことが起こってそうなんだ」

『それっ! 私もそう言いたかったの!

 ひとまず仲直りってことでいいわね!』

「ああ。お帰り。セシリア」


 僕らは手を取り合って握手した。

 兄さんのように生きている人間の恋人はいないけど、幽霊の恩人がいる。

 友達のようで家族のようで恋人のようであるかもしれないセシリアがいてくれたことは僕にとって最高の幸運だった。

 ザコルさんには怒られそうだけど、もう少しこのぬるま湯のような関係を続けていたい。


『……と仲直りしたということで、リスタ!!

 大変よ! 本当に色々大変で何処から何を手につけていいのか!?』

「落ち着きなよ。

 とりあえず、兄さんたちの前で独り言はマズイ。

 二人きりになれるよう時間を作るから」

『早く! 早くね!』


 セシリアはそう催促して僕の後ろに備える。

 間も無くアレク兄さんとイリアさんが応接間に入ってきた。


 テーブルを挟んで僕は二人と対峙する。

 何処か緊張感を覚えるのはアレク兄さんが何か躊躇っているような顔をしているからだろうか。


「リスタ。今日、父上にお前がここにいることを話した。

 会ってくれるようにお願いしたが、聞き入れてはもらえなかった。

 すまない」


 そう言って頭を下げる兄さんに僕は顔を上げてくれと言った。

 しかし、


『お兄ちゃん……大事なことを何ひとつ伝えてないわねえ。

 どうして聞き入れてくれなかったか、話すべきじゃないの?』


 セシリアが凄むような口調で言った。

 僕は彼女の代わりに尋ねる。


「……兄さん。

 どうして父さんは僕に会おうとしないんだ?

 勘当した息子に会いたくないから?」

「い……いや、そういうわけじゃなくて」


 アレク兄さんが目に見えて困っている。

 すると隣のイリアさんがため息を吐いた。


「隠さなくていいんじゃないですか?

 アリスタルフ様ほど打ち明け話ができる人はいないでしょう」

「イリア…………だが…………」


 口ごもる兄さんに痺れを切らしたようにイリアさんが僕に向かって言う。


「御父君は若い後妻にご執心でお勤め以外の時間はずっとべったりだそうです。

 実の子のアレク様さえも屋敷に寄り付きたくないくらい」

「イリアっ! リスタには言うなと」

「アリスタルフ様は兄弟でしょう!

 知るべきですし、話すべきです!

 何もかも一人で抱え込んでそれで周りを助けられるなんて独善的すぎるでしょう!

 あなたがアリスタルフ様を追い出したことを後悔しているなら隠し事はおやめください!」


 強い口調で兄さんを嗜めるイリアさんを見て強い女性だなあ、と呑気な感想を抱いた。

 それよりも、だ。


「父さんに後妻⁉︎

 あの母さん一筋だった父さんに⁉︎」

「…………母さんが亡くなって一年は喪に服していた。

 むしろ良いことだと思っていた。

 父上の憔悴ぶりは目にあまったからな。

 若い女でもなんでも、生きがいが増えることは良いことだと思っていた」


 しかし、と前置きしてアレク兄さんは告げる。


「まさかあそこまで腑抜けになられるとは思いもよらなかった……

 二十五、六の女に幼子のような言葉づかいで甘えて愛を乞うているんだぞ!

 あの厳しかった父上が!」

『私も見てきたけど……正直、情けなさすぎて泣いてしまったわ』


 赤の他人のセシリアが泣いてしまうってどんな状態なんだよ……


「……と、そういうわけだ。

 すまんな。

 すべて俺の役目だとは思わんが父上があのようになってしまうのを止められなかった」

「そんな……止めようもないじゃないですか。

 どこの女かは知りませんが、父親の交際関係まで息子が把握できるわけでも」

「できたんだよ。

 俺が気を配ってさえいれば」


 兄さんは忌々しそうに吐き捨てる。


「メイドのニナのことは覚えているか?」

「ええ……金色の髪をした若い女の人ですよね。

 物静かな感じの――」

「アイツだよ。

 父上の後妻は」


 ……は!?


「えっ!? ちょっと待って!?

 ニナがっ!?」


 記憶の中にある彼女の情報を引き摺り出す。

 僕が八歳の頃にやってきたメイドだ。

 綺麗な人だった気がするがあまり目立たず、控えめな感じで声も小さかった。

 使用人の中では一番若かったことが特徴でそれ以外はあまり覚えていない。


「い、いったいどうしてそんなことに?

 まさか父さんが無理やり手篭めにしたり」

「バカなことを言うな!

 劣情に負けて娘を襲うような方ではない……が、今のお姿を見ればそのほうがまだマシだったかもなあ……」

『骨抜きにされるにしても限度があるわよねえ』


 セシリア……家族の会話に混ざってくるな。

 うっかり反応してしまいそうになる。


 アレク兄さんは忌々しげに呟く。


「今や俺は口うるさいと遠ざけられ仕事の席でしか言葉を交わせない。

 まったく……母さんも草葉の陰で泣いておろうよ」


 兄さん、母さんはいなかったよ。


 もしかしたら屋敷の跡に母さんの幽霊がいるかもなんて期待をしていたけれど何も見つからなかった。

 父さんがそんな風になっているところを見られずに済んだのは良かったのかもしれないけどね。


『あのー、リスタリスタ。

 そのまま聞いてほしいんだけど』


 セシリアが落ち着きない様子で僕に語りかける。

 分かっている、そろそろ切り上げて二人に————


『ニナ――お父さんの愛人なんだけど、怨霊に憑かれてるわよ』


「ハアッ!?」


 僕は兄さんたちの目の前で素っ頓狂な声を上げてしまった。

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