第2話 どうして幽霊になったの?
牧場の朝は早い。
牛小屋で寝泊まりしている僕は夜が明ける前にセシリアに叩き起こされる。
餌やりをしたり、搾乳をしたりした後、小屋の外に牛たちを出して放牧し、掃除を済ませる。
ここで午前中の仕事は終わりだ。
母屋まで行って牧場主であるモロゾフさんの奥さんから残り物の食事をもらい、それを食べてから牛達を小屋に返すまでの間は————
『遅い遅い! 武器に体が振り回されてる!
木の枝でそれじゃあ真剣なんて持たせられないよ!』
「ふぇぇぇぇ…………」
『泣き言言わない!
息を吸い込んで気を体内に充填させて!
これができないと冒険者にはなれないよ!』
セシリアから戦いの修行を受けていた。
牧場の仕事は慣れればなんとかなるものだったが、修行の方は慣れる事を許さないと言わんばかりに、日ごと苛烈さを増して僕を限界まで追い詰めていた。
◆
追い出されたあの夜、僕に弟子になれと言ったセシリア。
他に選択肢もないので、しぶしぶ了承すると彼女は、
『修行その1!
農家に土下座して回って、どうにか仕事と食べ物を手に入れなさい。
あと寝床も』
と、僕に命じた。
「引きこもりで家の使用人とすらまともに会話を交わせていない僕にそんなことできるわけない」
と反論したら胸ぐらを掴まれて、
『できなければ死んじゃうでしょうがっ!
やらなかったら飢え死により怖い方法で殺すわよ!』
と無茶苦茶な事を言って脅してくるので従うしかなかった。
「優しい霊だと思っていたのに、やっぱり悪霊かもしれない」
と心の中で呟いた事は内緒だ。
だが、結果としてセシリアが尻を叩いてくれたおかげでこうやって牧場の仕事にありつけた。
春になるまで、という期限付きだがそれは却ってよかった。
『春が来るまでにあなたを叩き直す!
そしてある程度、戦えるようになったら都市の冒険者ギルドに登録して冒険者になるの!
そこからは実戦と合わせて修行をしていけば一流の冒険者になれるわ!
私を信じなさい!』
修行を始めた頃、僕に目標を意識させるためかセシリアは繰り返しそう言った。
冒険者————
この世界のほとんどは人類の国家が治めているが、その中にも外にもモンスターと呼ばれる人類に敵意と殺意を持つ者達が潜んでいる。
大規模な群れや強力な個体の討伐は国の騎士団が行うが、比較的小規模なものは冒険者ギルドに登録した腕自慢の人たちが依頼を受けて行う事となっている。
と、言っても、すでにユーレミア王国においてモンスターの駆除はかなり進んでいるらしく、冒険者の需要は減っている……と父さん達から聞かされた。
にもかかわらず、セシリアはことあるごとに冒険者という職業の魅力を説いて聞かせてくる。
『冒険者は良いわよ!
腕一本で身分や出自に関係なく金も名誉も手に入る!
強くなればなるほど大きなヤマを扱えるようになるし、人々に感謝されるからやりがいもある!
それに、モテモテ!
オークみたいな見た目でも冒険者で活躍してればハーレムが出来上がるんだから!
リスタのルックスなら恋人で一個師団が編成できるわよ!』
「僕、まだ十歳なんですけど……」
『早い子なら童貞捨ててるでしょ』
「ドーテイ?」
知らない言葉に戸惑っているとセシリアはにまー、と笑みを浮かべて僕の頬っぺたを指で突いてからかい始める。
『ププッ、まだまだお子ちゃまね。リスタ』
だからそう言ってるんだけど……
僕はセシリアに焚き付けられるまま剣の修行や冒険者生活に必要な知識の習得を進めていった。
牧場の仕事も修行も引きこもりだった僕には厳しすぎるものだった。
それでもやりきろうとしたのは、生きていかなくてはならないからだ。
父さんも兄さんも僕に「死んでほしい」と思って追い出したのだろうけれど、母さんはきっと、僕に「生きてほしい」と思ってくれていた気がする。
母さんを救わなかったくせに都合が良すぎるかもしれないけど。
とにかく、生きるために必要なことは全部やろうと思う。
セシリアは色々とぶっ飛んでいるけれど、師匠として優秀だ。
生前は一流の冒険者だったと自称するだけあって、なんでも物知りだし、見本に見せてくれる剣技も目にも止まらぬほど疾く、見惚れてしまうほどに華麗だった。
◆
季節が秋から冬に変わり、白銀の雪原で牧場の仕事と修行をこなす日々。
引きこもりを脱しても、僕の世界はそこまで広くはなっていない。
だけど、気持ちが前を向いているのはそばにセシリアが居てくれるからだろう。
家族が一緒に暮らすように当たり前な雰囲気で僕のそばにいる。
それはとても安心できることで、同時に怖いことでもあった。
僕はこの状況に慣れ切ってしまいそうだから。
「ねえ、どうしてセシリアは幽霊になっちゃったの?」
『どうして、って……死んじゃったからに決まってるじゃない』
「それはそうだけど、死者が全部幽霊になるわけじゃないでしょ?
もしそうだったら、この世で最初に生まれた人から一秒前に死んだ人までいるわけで世界が幽霊でいっぱいになっちゃう」
僕がそう言うとセシリアは大笑いした。
『アハハハハ! たしかにそうね!
じゃあ、ほとんどの人は幽霊になれずに天の国にでも行くのかしら。
それとも風に吹かれた煙のように消えていくのかしら』
ほとんどの人は幽霊になれない。
たぶん、これは当たっているんだろう。
もし、母さんが幽霊になってくれたなら僕はどんなことをしても会いにいくのに。
…………ダメだ。母さんのことを想うとどうしても涙が出てくる。
僕が涙を拭っていると、セシリアは笑うのをやめて僕の肩を抱き寄せて、優しく語りかけてきた。
『ねえ、リスタ。
あなたがとても大好きな人と一緒に楽しい時間を過ごしたら、ずっとその時間が終わってほしくなくて、泣いたり暴れたりしたくならない?
たぶん、そんな気持ちが死んでも魂をこの世界に繋いでくれるんじゃないかしら』
「……心残り、ってやつ?」
『本当にあなたは良い言葉を知ってるわね。
たくさん本を読んでたからかな』
セシリアは修行は厳しくするくせに変なところで僕を甘やかす。
だから、離れたくなくて、焦ってしまう。
「セシリアは何が心残りだったの?
それが解消したらどうなるの————ぅっ」
僕が尋ねる前にセシリアの胸に抱き抱えられた。
『心配しなくても、あなたが沢山の人に囲まれるような立派な冒険者になるまで、いっしょに居てあげるってば』
と言って僕の髪をクシャクシャと掻き乱した。
心臓の音は聞こえず、体温もない。
あと、申し訳ないけれど母さんみたいに豊かな胸をしていない。
なのに、セシリアの胸の中にいると心が落ち着いて、不安はどこかに消えていくんだ。
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