世界の涙を拭う旅 〜臆病者と呼ばれ家を追い出されたのも、英霊から伝説の力を授かり最強の英雄になったのも、生きている人間の恋人ができないのも、全部幽霊のせいなんだ〜
五月雨きょうすけ
第一章 アリスタルフの立志
第1話 運命が変わる出逢い
「お前が母上を殺したんだ!
引きこもりの臆病者めっ!!」
アレク兄さんは腰に下げた剣の柄に手をかけ、今にも僕に斬りかかってきそうな勢いで僕に迫る。
父さんに止められなければ、鞘からその白刃を抜き放っていたかもしれない。
「アレクっ! 団長のお屋敷を血で汚すつもりか!
我々は居候の身なんだぞ!」
父さんから出てきた言葉は僕の命を守ろうとするものではなく、上司に無礼なことをしたくない、というもの。
僕たちを遠巻きに見ているこの家の使用人達は「十歳の子どもにあんまりな仕打ち!」と言わんばかりに悲痛な表情を浮かべている。
だけど、父と兄が怒るのは当たり前のことなんだ。
僕は母殺しと言われても文句は言えない。
一週間ほど前の夜、僕の住む屋敷は火事にあった。
ユーレミア王国の騎士団に所属する父は屋敷を持ち、妻と2人の子供と、10人の使用人を抱えられる程度には裕福だった。
そんな父がコツコツと積み上げてきた財産が一夜のうちに炎に焼かれ灰となった。
火元は不明だったが、夜警係の使用人が気づいた時には炎は消し止められない勢いで屋敷を包み込んでいたという。
僕も気づいたら屋敷の外にいて、逃げ出した使用人たちとともに燃える屋敷を眺めていた。
目の前の光景に現実感はなく、夢の中にいるような気分で思考が回らず、そこにいない母さんを探そうとする発想すら浮かばなかった。
火事は明け方から降り始めた雨によって消し止められた。
騎士団の屯所にいた父さんと兄さんは早馬で駆けて戻ってきたが、目の当たりにしたのは炭のようになった屋敷と判別が難しい程黒焦げになった母さんの焼死体だった。
元々身体が弱かった母さんは半年ほど前からベッドの上にいることが多かった。
僕や使用人にとっては威圧的で時には横暴だった父さんや兄さんも、母さんにだけはいたわりの心をもって接していたように思う。
騎士の興りは姫君を守るために剣を取った忠臣だと聞かされていたけれど、二人にとっては母さんが姫君だったのだろう。
だから、母さんを救い出さなかった僕や使用人たちに怒りを向けるのは当然だった。
「父上! 止めないでください!
軟弱で部屋から出ることすら拒み続けた臆病者!
代々騎士の家系である我がランパード家にこのような愚物が存在すること自体が家名に泥を塗るようなもの!
団長に会わせる前に始末して火事で亡くなったことにしてしまいましょう!」
興奮して顔を真っ赤にするアレク兄さんとは対照的に、父さんは冷め切った目で僕を見つめ、語りかけてくる。
「リスタ。私も、アレクと同じ気分だ。
アナスタシアさえ生きていてくれれば、屋敷が焼かれようと、愚息が死のうとやり直せた。
なのに、どうして生き残ったのがお前なのか……」
「父……さん?」
実の親から出たとは思えないほど冷たい声が僕の耳を打つ。
「二度と私の前に現れるな。
厚意を尽くしてくれている団長に、穀潰しの臆病者も養ってくれとは言えん。
それに……お前を見る度にアナスタシアを思い出して苦しくなる。
いっそ、お前など生まれてこなければよかったと思っているよ」
完全な拒絶の言葉を叩きつけて、父さんは僕を捨てた。
◆
アレク兄さんから投げつけるように渡されたボロいマントと糧食のビスケットだけを持って、着の身着のまま僕は外の世界に叩き出された。
行くあても無いけれど父さんやアレク兄さんの側にいることは許されない。
だから、少しでも遠くに行こうとして陽が沈むまで歩き続けた。
しかし、ろくに部屋の外に出ず、体を鍛えることもしていない僕の脚ではそんなに遠くまで行けず、結局、騎士団長の屋敷がある街のはずれに辿り着くので精一杯だった。
足が棒のようになり、立っていることすら辛い。
へたり込んだまま動けないでいると、あっという間にあたりが真っ暗になった。
人は歩いておらず、家の灯りもない。
ホウホウ、という鳥の声やガサガサと風に揺れる草が擦れる音がやけに大きく聞こえた。
夜の闇が怖い。
そう言うと、父さんや兄さんは「臆病者!」と僕を叱りつけた。
彼らにとって夜の闇に感じる恐怖などまやかしなのだろう。
僕にとっては違う。
夜の闇に感じる恐怖は彼らの放つ恐怖によく似ているんだ。
疲れ果てた体を無理やり動かして、隙間風が吹き荒ぶ、粗末な小屋に逃げ込んだ。
今はもう使われていないのだろう。
埃や砂で床は埋め尽くされ、分厚い蜘蛛の巣がカーテンのように天井から垂れ下がっている。
ビュウビュウと外の風が吹くと小屋全体が震え、ギシギシと今にも崩れそうな音を立てる。
倒壊の危険性があるのだろうけど、外に出る体力は残っておらず、ここで眠るしかないと覚悟を決めて横になった。
冷たく硬い床に触れていると、暖かくて柔らかいものが欲しくて仕方なくなる。
たとえば母さんの胸の中のような…………
「……ごめん……ごめんなさい…………母さ————」
懺悔するように、抱えていた気持ちを吐き出そうとすると涙が溢れて嗚咽に変わった。
父さんや兄さんに言われなくても分かっている。
騎士の家に生まれたのに、臆病者で部屋の外にも出れず、屋敷が火事になったと言うのに病床の母を置いておめおめと生き残った。
父さんや兄さんと違って母さんは僕を甘やかしてくれた。
少しぽっちゃりしていたけれど、天使のような笑顔をしていた。
母さん譲りの銀色の髪は何もできない僕にとって唯一誇れるものだった。
誰よりも大好きで、誰よりも僕を大切にしてくれた人に僕は何もしてあげられなかった。
「僕は……生きている価値のない、
叱ってくれる家族ももういない。
だから一人で、自分に言い聞かせるように呟いた————つもりだった。
『あらあら。咎人だなんて10歳なのに難しい言葉を知っているのね』
僕に向けて放たれた言葉に驚いて跳ね起きると、誰もいなかったはずの小屋の中に、女の人がいた。
影しか見えない暗闇にも関わらず、その姿は浮かび上がるほどにハッキリと、艶やかで長い黒髪も闇に沈むことなく目で捉えられた。
それが、恐ろしかった。
普通の人間はこのように見えるはずない。
このように見えてしまうのはきっと————
『あれ? もしかして、あなた……私のこと見えているの?』
女の人は僕に近づいてそう尋ねてきた。
僕は目を瞑って耳を塞ぎ叫ぶ。
「見えてません! 何も見えてません! だから勘弁してくださあああああい!!」
そう。僕は小さな頃から、他の人には見えないものが見えてしまう。
それはきっと幽霊だとかお化けだとか呼ばれるモノたちで、彼らは至る所に現れる。
木の陰にも、池の淵にも、曲がり角にも。
建物の中にも、階段の下にも、廊下の天井にも、窓辺にも、テーブルの下にも。
僕は彼らが怖くて自分の部屋から出ないようにしていた。
他の人には見えていないのに、僕だけが見えると彼らが知ってしまったら彼らは僕の元に集まってくると思ったからだ。
だから僕が見えることは家族にも言ったことがない。
疲れ果てて、一人きりだと油断したから思わず反応してしまった。
恐る恐る片目を開けると女の人は困り顔で僕を見下ろしていた。
『カンベン、っていうか、うん……だいじょうぶ。
あなたを傷つけたりしないよ』
ゆっくりとした口調で僕に話しかける。
女の人、と思ったけれど顔立ちを見ると少女と言っていい年齢だろう。
うちの使用人のニナと同じくらい?
だったら15歳くらいか。
スラリと長い手足は大人のそれだったから見間違ってしまった。
キュッと強い線で描かれた絵のように目鼻立ちはハッキリと整っているのに、どこか柔らかな印象を受ける容姿と透き通った水のような綺麗な声。
怖さを感じる間も無く信用してしまった。
こんなにかわいい幽霊が悪いことするはずない、って。
『落ち着いた? なら座ろうか』
頭の中に直接話しかけられたように彼女の声が響く。
幽霊の声は生きている動物の声とは聞こえ方が違う。
彼らの声は耳ではなく脳で聞こえるんだ。
「君は……一体何者?」
『私? 私は、セシリア。
えーと、君の名前は』
どこかぎこちない様子で訊ね返してきたセシリア。
僕は迷いながら、
「アリスタルフ……」
と、家名は敢えて名乗らなかった。
追放されたのに家名を名乗るのは幽霊相手でも抵抗があったからだ。
するとセシリアは満足そうにうなづいて、
「わかった。じゃあ、リスタ!
そこに座って。
どうしてあなたみたいな子供がひとりぼっちでこんなところにいるのか、お姉さんに聞かせてくれる?」
暖かそうな笑みを浮かべて僕に言葉をかけてくれるセシリア。
冷たくかじかんだ心が解きほぐされていくように感じられて、生まれてはじめて幽霊が見えることに感謝した。
◆
『ひどいお父さんとお兄さんねえっ!
まだ10歳の子どもを追い出すなんて!』
セシリアは我が事のように怒ってくれた。
僕は「仕方ないよ」と彼女をなだめながらも内心嬉しかった。
僕の味方をして、父さんと兄さんに怒ってくれる人は母さんしかいなかったから。
その母さんも、もういないから……
『あー…………でも、ようやく合点がいったわ。
死者の霊があちらこちらに見えるなら怖くて部屋から出られないものね。
他人に話すのも頭がおかしいと思われたりするのが関の山だし』
一人咀嚼するように僕から聞いたことを口にするセシリア。
彼女のおかげで夜の闇も怖くなかった。
真っ暗な小屋の中に浮かぶ彼女の身体が発する淡い光は僕だけが感じられる救いの光だった。
『で、これからどうする?』
「これから?」
『ポケットのビスケット三枚で何日過ごせると思う?
このままじゃあなた野垂れ死に決定よ』
「そんなこと言われても……
お話ししたとおり、僕は何も持ってないし、力もないし……」
『できないことは、あきらめる理由にはならないのよ。
シャンとしなさい!』
セシリアに背中を叩かれた。
叩かれた僕は痛かったけど、彼女は感動した表情で自分の手のひらを見つめている。
『驚いた……あなた、見えるだけじゃなくて触れ合うこともできるの?』
「み、みたいだね。もういっぺんはやらないで」
そう懇願するが、彼女の耳には入っていない。
僕のことをそっちのけで深く何かを考え込んでいる。
『……そうね。
あれもできる、これもできる……
だったらああなって……こうなって……
イケるね!
よし! やってみよう!』
「なにをっ!?」
セシリアは何かを決めたようで強い意志に目が輝いている。
怯える僕を見下ろし、ビシッと人差し指を突きつけたかと思うと、
『光栄に思いなさい!
あなたを私の弟子にしてあげる!』
と言った。
飛び方を知らないまま地に落ちた小鳥が大きな手で拾い上げられた。
その手が見えない人々にとっては小鳥が自分の力だけで飛んでいるように見えたに違いない。
見えざる手に導かれ、慰められ、鍛えられたおかげで英雄と呼ばれるようになった僕の
それが一冊の本だったら、最初の挿絵を飾るのは僕とセシリアとの出逢いの瞬間以外にありえないだろう。
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