繋げて、紡ぐ

富升針清

第1話

 気がついたら教室の扉を開けていた。

 大人には早くて子供には遅い午後七時の学校で、吹奏楽部が使っていたはずの空き教室からすすり泣く声がする。真冬の暗闇と寒さから、それってどんな幽霊なの? とか思ってみたり、みなかったり。

 でも私はこの幽霊に心当たりがあったり、なかったりするから、思わず大きな声が出てしまった。

 こんな風に。





「そこのお嬢さんっ。一緒にうどん食べたりしなーい!?」




 一人で教室で泣いてたら、知らんおっさんが入ってきた。マジでイミフ。


「お腹空かない? 実は、ここに赤いきつねと緑のたぬきがあるんですよ」

「あ? マジで誰? 何? ドッキリ?」


 夜の七時の学校で、知らんおっさんとか、マジバイヤー。

 よくよく見なくても、髪のボサボサだし。眼鏡も敢えての敢えて過ぎで、やべぇ的な。でもなー、どっかで見たことあんだよなー。何処だっけなー? ヤベー。覚えてねぇーわ。


「誰か知らんけど、私今泣いてるんですけどぉー」


 取り込み中って言うの? 見てわかんないかなー!? 


「数学の加藤ですが」


 そう言って、おっさんが眼鏡をあげる。

 あー!! そういや、数学のカトゥーだわっ! 今日も会ったわ! 数学とかイミフ過ぎて、知らんかった! どうりで、学校にいるわけだよ! 知らんおっさんかと思って焦ったー!

 けど今はそんなこと、どうでもいいんだってば。


「カトゥー先、私泣いてるんだけどぉ?」

「こんな時間にどうしたの? 皆さん下校されてますよ」

「いーのっ。ダーヤマ先と帰る予定だし」

「山田先生なら、もう帰ったよ?」

「は? マジで!? 話ちげぇーし!」


 ダーヤマが帰るまでなら、部室使っていいって言ってたし! 鍵かけとか、私部長でもなんでもないから、知らんし! 


「もう七時だよ? 田原さん、お腹空かないの?」

「知ってるし。減ってるし。でも、まだ帰れんし」


 私は手に持った『武器』を見ながら、首を振るう。


「別に帰れって言ってないから。ちょっと休憩したら?」

「そんな時間ねぇーし! てか、カトゥー先何でうどんとそば持ってんの?」

「腹減ったから、買い出しに行った帰り。美術室いいよねー。ポットあるの」

「芸術にはお湯がいっからね!」

「田原さんはどっち食べる?」

「食べねぇーし!」


 今はそれどころじゃないってのは、マジだから。私には、時間もないし、才能もないし、何もないし。だから、カトゥーとカップ麺なんてすすってる場合じゃねぇーんだわ!

 私は武器の筆を動かさなきゃなんないのっ!


「私、マジで忙しいんだって。マジでカトゥー先でも、邪魔すんなら帰ってよ。まだ、なんも描けてないの私だけなんだって」


 そう言って、私は真っ白の私を見る。今日も平面の私は真っ白なわけ。


「腹ごしらえも芸術だと、先生は思うけどね」

「はぁー? カトゥー先が芸術わかんのぉ?」

「いや、わかんないけど。けどさ、芸術って体力っしょ? 泣いて体力取り戻したら?」


 そう言えば、泣いてたんだったし!


「で、キツネとタヌキ、どっちがいい?」

「……先生が好きじゃない方でいいし」


 ちょっと気不味ぅ。泣いてる時はそんなこと思わなかったのに、涙が止まると冷静になるよねー。小学校でもそうだったわ。


「先生はそばかなー」

「天ぷら美味いもんね」

「正直、そばかうどんかってよりも、天ぷらかお揚げだからね」

「いや、カトゥー先。それはないわ」


 うどんかそばが主役っしょ?

 先生がお湯を入れてくれた赤いきつねを私に渡してくれる。うわぁー。あったけぇー。匂い良いー。湯気だけで味がわかるぅー。


「はい、箸」

「あざっす」

「田原さん、美術部だったんだね」

「え? 知らんの? 私有名なんだけど。美術部にギャルおる系で」


 パンダみたいなもんだけど。でも、パンダヤバいし。同等の私もやべぇ的な感じで良くない?

 そう思いながら麺をすする。まだ少し硬いところが残ってるんたけど、私そこが好きなんだよねぇー。仲間おらんけどー。麺、食べてる! って気がするもん。


「授業聞いてない生徒として先生の間では有名だけど、美術部なのは初耳」

「え、ヤバみじゃん」

「今度からちゃんと授業聞いてね」

「うぃうぃ」

「……ま、先生は田原さんの担任じゃないし、いいや。それにしても、油絵描いてるんだね」


 そう言って、カトゥーは私の後ろにある大きな白いキャンパスを見る。何も描かれていない、平面の私が映る白いキャンバスを。


「彫刻とかもするよ。コンクールがあるから油絵描いてるだけだし」

「上手いじゃん」

「はぁー? まだ全然描けてないし。真っ白っしょ?」


 そんだけで上手いとか、マジで舐めプすぎっしょ。


「何処が? 色塗ってるじゃん」

「輪郭も出来てないし。カトゥー先、マジで素人過ぎん?」

「数学の先生なので。でも、凄くないの? 普通に先生はすごいと思うけどな?」

「凄くないってば。ウケる。皆んなの方が凄いし」


 うちの部、めっちゃ凄い子が沢山いるって有名だし。入賞とか金賞とか。私以外は当たり前に取ってるし。

 私なんて、小学校の写生大会の銅賞一回きりだし。


「皆んなの絵見てないからなぁ。先生は、田原さんの絵を褒めてんの」


 は? 素人の癖に何言ってんの?

 私の絵が凄いとか、ありえないし。


「凄くないしっ! 私だけ、賞とか、取ったこと、ないし……」


 何、知った顔で言ってんの?

 私だけ、下手。

 私だけ、場違い。

 皆んながそう言ってるの、知ってるし。

 描いても意味ないって、笑ってるのも知ってるし。

 今日だって、ずっとキャンパスに向かってるのに皆んなと同じように描けない。コンクールに出しても、きっとまた私だけ、何もないの、知ってるし。


「え? 絵を褒めるのって、賞関係あるの?」

「あるよ! いつも、何でも、上手い人が褒められるんじゃん!」

「なら、田原さんも上手いんじゃない? 先生に褒められたわけだし」

「そんなことで、一緒にしんで!?」


 なにそれ。

 先生も馬鹿にしてんの? 私が描いてること、馬鹿にしてんの?

 ギャルが筆もてるんだってぐらいしか、思わんの?

 私が毎日必死に描いてるの、幼稚園児がお絵かきしてるのかぐらいにしか、思わんの!?


「何で、皆んな私が描いてるの、馬鹿にすんの? 描けてえらいねって、それ褒めてるとか、マジで私が思ってると思うの? 喜ぶと、思ってんの? 私、自分が才能ないのも知ってるし、私みたいなギャルがガチで絵描いてるのウケるって言われてるのも知ってるし、受験近いのにこんなことやってるのマジ無意味って皆んなが笑ってることも知ってるし。でも、無意味でも、才能なくても、笑われても、私だってコンクール出したいし! 私だって、皆んなに負けたくないって思うし! それ、おかしいこと!? 変なこと!? 恥ずかしいことなん!?」


 下手が絵を描くと笑われて当然なん?

 無意味なことするのは、ダメなことなん?


「先生は、数学の先生なので芸術はよくわかりません」


 そう言って、カトゥーが箸を置く。


「でも、頑張りたいって田原さんが筆を持ったことは、無意味なことだと思いません」

「何で!? 皆んな言ってんじゃん!」

「皆んなに先生は入りません。大体、無意味って何さ。自分が自分の矜持のために選択したものを、他人が無意味って決めつける方が何なのさ。否定なんて、ナンセンス! 人間、生きてる間は経験値溜め続けるの。田原さんはさ、皆んなに負けたくないって思って筆を持ったわけでしょ? その経験値は、いつか絶対、田原さんの未来に活きますっ! 田原さんが決めたこと、選ばなかったこと、何もかも、全てが。これからの田原さんの糧になる! そこに無意味も、ダメも存在しないの!」

「……カトゥーとうどん食べてる今も?」


 無意味もダメも存在しない? それって、この瞬間も?


「当たり前でしょ? 赤いきつね食べる度に、先生を糧に経験値積んでるなって思いなよ」


 そう言って、先生は私のうどんを指さした。


「田原さんの選択肢は、絶対に未来に繋がって、その先を紡ぐから」


 



「田原、先生?」


 あの時泣いてた自分に手を差し伸べてくれた加藤先生と同じように、私は泣いてる生徒に手を差し伸べる。

 結局あの絵を描き上げても、入賞もなにもなかったけど、けど。あの時から私には新しい夢ができた。


「お腹空かない?」


 私も加藤先生みたいな、誰かの背中をゆっくり押してあげれる先生になるって夢は。

 

「実は、ここに赤いきつねと緑のたぬきがあるんです。どっちがいい?」


 誰の選択も否定しない、先生になる夢を。私も、誰の未来の糧になって明日を繋げて行きたい。

 勿論、この子の未来も。

 今日も私は未来を繋げて、紡いで生きています。


おわり

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