二つの蓋が笑う時

@agait

二つの蓋が笑う時

 母はいつも先回りする存在であった。遠足の準備は抜かりなく、中学受験も教材選びから塾選びまで、その私立中学に入ったのだって、系列の大学が存在するところを入念に調べてきたぐらいだ。それでも私に初めて彼が出来たとき、探偵を雇おうとしたのを知った私はドン引きし、三日間口を利かなかった。それ以降は、先回りが余計なお節介だと知ったようで、控え目になってくれた。

あ?その時の彼氏?ワンシーズンも持つことなくサヨナラしたけれど、何か?


「紗希ちゃん、あの……やっぱ、考え直してくれないかしら?」

「やだよ。もう決めたんだから」

 そう言いながら、大量の本を縛ってゆく。大学四年間の本だ。そこそこの大学生活、勉強も可もなく不可もなく、いや、可は少ないが、優はそうもないなかで、『国文法入門』とか『更級日記全注釈』とかいった本を紐縛っては、器用に積まれてゆく。あ、もちろん、動いているのは、三時間かけて実家から駆けつけてきた母だけどね。そのおかげで、私は十分に私の大学生活について感傷に浸れていたのだ。

「紗希ちゃん、あの……やっぱ、考え直してくれないかしら?」

「やだよ。もう決めたんだから」

実はこのやり取りも、二回目。四年ぶりだ。


「どうして、○○大学に行ってくれないの?」

「えー?それ聞いちゃう?だってさ、うん。つまんないじゃない。中学から同じなんだよ。同級生も、この街も、この家も、おまけにお母さんも」

流石に「母さんも」は余計なことで、言った瞬間に「あ、」とは思ったものの、言ってしまったからには仕方がない。ともあれ、母の方も、もう、先の彼氏の一件で言えなかったようで、それでも、引き下がることなくねちねちと、地元の系列の大学への進学を蹴って東京の大学へ行くことを勧めてきたのだ。そう、あまりにも、うるさかったので、

「私のことは、私が決める。私は母さんではないし、母さんは私じゃない。私はお母さんの人形じゃないの」

 と言い放ってしまった。高校三年生の私でも、そのセリフが国文学科志望の割には語彙も貧困で、使い古された親子の間の使い古されたそれであったことはわかったものの、あの時の、あの切羽詰まった私には、それ以外に言い出すことは出来なかった。

「紗希ちゃん、どうしてそんなこと言うの!母さんは……、母さんは……。」

 ハンカチで目を覆い嗚咽が漏れてきた母の様子を見て、私は狼狽するでもなく、情に絆されることもなく、たった一言

 (もう、そっちだってベタベタなセリフじゃん……)

という思いを口に言うのだけは止めようと必死にこらえていたのだった。


 1DK、京王線沿線。各停しか止まらないし、家賃も食費も高かったけれど、こうして初めて私は私の空間と時間を持つことが出来たのだった。

 と、意気込んでいたのはたった三か月。四か月目にはサークルにゼミ、バイトにコンパ。お決まりのそこそこの大学生活。そこそこの恋愛。そんな私のふわふわした大学生活お金は両親からの仕送りではなく、父からの仕送りだって分かったのは、二年生も暮れ、いままでふわふわしていた周りが、急に決まったかのようにスーツを買いだしたり、黒に染め直したりした頃だった。一年生の時は毎日のように掛かってきた母からの電話が、あまりにも鬱陶しいので、これまた鬱陶しい男たちのアプローチをいなしながら覚えた「やんわりと、気づつけないように」断るやりかたで、丁重にお断り申し上げたのだが、意外にも母はそれっきり、本当に用がない限り、電話をかけて来なくなったのだ。そうしたら、今度はなんと、私の方が逆に寂しくなってしまったのだ。とはいえ、こっちから電話をかけるのは癪に障る。悔しいけれど、間違い電話のふりをしてかけてみた。電車代をケチッて実家にも帰っていなかったので、実に数か月ぶりの電話である。

なのに

「あら、紗希。」

なんて塩対応!嫌な方に期待を裏切ってくれる母に怒りも見せるわけも行かず、なんでもないことを言ってその場を繕うしかなかった

「最近、父さんの調子どう?」

「父さん?いないよ。いなくなった」

「え!?」

 突然のびっくり。聞くと母は緑の紙を役所に持っていったそうだ。父が浮気したでもなく、母が不貞を働いたわけでもなく、DVがあったわけでもなく、なんとなく、別れたそうだ。あまりにも予定がいなことだったので、「そんな大事なこと、どうして娘の私に相談してくれなかったのよ!この先どうするの?女一人で、しかも、もう、専業主婦で何にも手に職もない、五十のオバサン、誰が雇ってくれるのよ!」

 そんな激高した私に母は一言いってのけた。

「私の人生は、私の人生。私は紗希ではないし、紗希は私ではないわ」


 夕暮れになって、このままでは一人で片付かない、と思った荷造りも母のお陰であらかた片付いた。引っ越し屋が引き取りに来て、もう、備え付けのコンロと僅かばかりのものしかなくなった。

「この部屋ってこんなに広かったんだあ……ってこれ、言ってみたかったんだよね」

母と娘、クッションフロアーに二人大の字になって、天井を見る。相変わらず真っ白い天井。でも今日はとってもぼんやりとした白に見える。

「父さんとは……どうなのよ」

 おずおずと切り出してみる。やっぱ気になるでしょ。娘として。でも、聞いちゃいけないような気がして、聞き出せなかった。でも、こういう時だから、聞いていいよね。

「逢ってるけど。」

「は?」

 父とは何となく分かれたものの、週に一度は逢っているそう。その方がいいんだって。……ああ、心配して損した、と思うと、キュルルルと腹が鳴る。

「ふふふ、心配したでしょ」

「そりゃ、ね。でも、お腹の方が先みたい。デリバリー頼んじゃおっか。私、奢るよ。」

「いいって、いいって。私は、これ。」

 おもむろにトートバックから取り出したのは赤のカップ。「赤いきつね」とででんとロゴが入ったカップ蕎麦だ。

「だってさ、家計だって大変になるって言ったの、紗希でしょ。それに、これ美味しいのよ。若い時には見栄張って、絶対にインスタント食べない!って、言ってたけど。あれ、後悔しているわ」

そんなに言われると、食べたくなるじゃん。

「私の分は?」

「え?『私の人生は私のもの』じゃなくって?」

「げええ!!なんてことを!根に持ってる~!」

けっきょくコンビニまでひとっ走りして購入。赤いやつを赤いやつを……いや、緑!緑!母と一緒なんて、嫌!「緑のたぬき」だ~!

 

 最後の晩餐。緑と赤の蓋が空いて、ふわりと出汁の香りが漂う。

「あ、母さん、赤と緑で出汁の香りが違うんだね」

「ふふ、違うよ。地域で出汁の成分を変えているんだって。そう。私の『赤いきつね』ははるばる三時間かけて旅したんだからね。」

 それが言いたいがためにわざわざ持ってきたとは、なんて母だ。と思いながら、

「ねえ、半分こしよ。」

「え?いいよ。じゃあ、私のアゲを半分こ。あ、コンビニ限定で2枚あったから、丁度良かったね。」

 私も天ぷらを半分にして母にあげる。

「ねえ、出汁も試させてよ!」

「え~、仕方ないなあ。3時間かけて持ってきたんだよ。じゃあ、紗希のも頂くということで」

 出汁もお互いのを啜る。確かに、微妙に違っている。

「見慣れたパッケージで、同じものだと思っていたけど、やっぱり違うんだね。」

「奥が深いわ……」

「そう、母さんと私みたい。」

 クサいなあ、と思いつつも、言ってしまった。親と子で似てるけど、違うんだ。なんて、言えないよね。でも、この時ばかりは、妙に納得してしまって、ぽろっと言ってしまった。母は、ふふふと笑うだけだった。


 食べ終わって、ふうと一息つくと、お昼のセリフが蘇ってきた。

「紗希ちゃん、あの……やっぱ、考え直してくれないかしら?」

「やだよ。もう決めたんだから」

 そう、一緒には暮らさないよ。母さん。

私の人生は私の人生。母さんの人生は母さんの人生。今度は三時間かけて、東日本風味の「赤いきつね」を持っていくからね。

二つのカップに付いたままの蓋が笑っているように見えた。

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